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社長の経営日誌

2009.7.4
FILE No.116
テーマ 「 食中毒 」

新型インフルエンザ騒動もひとまず落ち着きましたが、暑い夏に本来気をつけなくてはならないのが食中毒、実は私も昔ひどい目に遭いました。
今回はその時の悲惨な体験をお話しましょう。

何月だったかは忘れましたが、1996年の夏,連休を利用して、父親の実家の広島(大竹市)に法事で行った時の事です。
夕方、親戚の家にいたら急に激しい下痢が襲って来たのです。
トイレから離れられないぐらい、それこそ全身の水分が全て無くなるんじゃあないかと思えるほどのひどさで、これは只事ではない!と直感しました。
そして真夏だというのにゾクゾクと寒気がして来て、高熱を発しました。
意識がある間に親戚の人に助けを求めて、救急車を呼んでもらうのがやっとでした。
車が到着する頃には殆ど半失神状態で、ぼんやりする意識の中で搬送されたものです。
そのまま三日間入院し注射と点滴の毎日となりました。

連休が終わると会社が始まるのですが、当然出社できるはずもありません。
しかし困った事にお客様とのアポイントがあった事を思い出しました。
携帯電話も普及していなかった時代でしたから朝、病院の廊下にある公衆電話まで約束のキャンセルの為、電話をしに行きました。
点滴を抱えて半死半生の千鳥足で気力だけで歩きましたが、電話までのわずかの距離が何キロもの道のりに思えたものです。
退院できる日にはようやく軽く流動食もとれるようになりましたが、三日の入院で一気に体重が5キロも落ちていました。

親戚の人とタクシーに乗っての病院からの帰り道、何と中川製袋化工さんの本社工場が見えるじゃあないですか。
どうせならとご挨拶に寄らせてもらいました。

幸いにも中川兼太郎社長、そして創始者である中川兼人会長がいらっしゃってお話しさせて頂く事ができました。
食中毒で入院していて近所の病院から出てきたばかりだと言うと大笑いされました。
私が、兼人会長と実際にお会いするのは二度目、そしてじっくりとお話を伺うのはこの日が最初で最後の機会となりました。
そう、これから4年後に会長は還らぬ人となったのです。
「お別れの会」に参列させて頂く為、再び広島を訪れた時、4年前のこの日の事を思い出しました。
偉大な創業者のお話を聞く事ができた、大変貴重な体験でした。
それにしても、入院明けでしたからこちらはTシャツに短パン、無精ひげは伸び放題といういでたちでの乱入でしたから、中川製袋の人たちは驚いたでしょうね〜(笑)。

この時の食中毒、黄色ブドウ球菌だったか、それともサルモネラ菌だったかは失念してしまいましたが、どちらにせよ食中毒でまだ助かりました。
なにしろ1996年と言えばO-157が大流行した年でしたから、本当に恐ろしかったものです。
前夜に大阪の某チェーン店で食べた寿司にあたったのではないかと思われるのですが、不思議にも一緒に食べた人は何ともありませんでした。
疲れて抵抗力が落ちていた事もあるのでしょう。
あれ以来私は夏場の生ものは、極力避けるようになりました。
あんな苦しい辛い思いは二度とごめんですから…。
皆様も暑いこの時期の健康管理には、くれぐれもご注意を!

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