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社長の経営日誌

2010.11.20
FILE No.198
「 後継者(2) 」
 200回までM2 

(前回からの続き)
私が社長になったのも34歳の時でしたので、自分が60歳になった時に30代の新社長を誕生させるのが一番理想的ですが、私の場合、息子はいませんのであかの他人に譲る事になります。

不幸の星の下に生まれた(笑)未来の社長候補は今頃どこかの中学校にでも通っているのでしょうか?
いや、ひょっとしたら(30歳は離れませんが)、既に社内にいる若手の中から後継者が出る可能性だってあるわけです。
後継者そのものはまだまだ白紙とは言え、最低でもあと15年は社長を続ける為、そして来るべき新しい時代に向けて磐石の体制を整える為、一層社員教育に力を入れるつもりです。

私の社長就任時、業界ではまだまだ30代の社長は非常に珍しい存在でした。
同業者の会合などに行くと周りの大半は親子ほど年齢の離れた社長ばかりで思いっきり浮き上がっていました。
私の記憶では同年代の社長は、金沢の田井屋の田井さんと和歌山のモリモトの森本さんぐらいだったでしょうか。
田井さんや森本さんは、先代を早くに亡くされ若くして社長業を継ぐ事になって大変な苦労をされたと聞き及びます。
我が社の場合、父親がまだ健在にも関わらず異例の早さで世代交代をしたので、非常に珍しがられました。
しかしこの10年で各社とも大幅に世代交代が進みました。
私の感じではざっと半分ぐらいの会社が二代目(会社によっては三代目以降のところもありますが)に代わったのではないでしょうか。
時には私より10歳ぐらい年下の社長にお会いする事もあり、カルチャー・ショックを受けます。
今までは一番若手扱いされていた私ですが、そのうちに今度は長老呼ばわりされるんでしょうね、あ〜嫌だ嫌だ…。

息子さんを入社させこれから社長交代を迎える会社も多数ありますが、二代目というのは何かと注目されるもの、噂話の大好きなこの業界、たまにメーカーの営業や支店長がやって来て「○×(同業者名)さんはあの息子が社長になったら先は暗いでっせ〜。」などと好き勝手な事をのたまっているのを聞くと、(あ〜、私も同じ事言われてたんだろうなあ。)と苦笑してしまいます。
(私の場合は今でも言われてるかも、大きなお世話だっつーの!笑)

とにかく、企業のトップ交代はデリケートで難しいもの、「社長10年史」に書いたように我が社でも、多大な犠牲を払って新時代にシフトできました。
世代交代のパイオニア?としてはこれから同じ局面を迎える同業の方に、おおいに参考にして頂ければ幸いです。

還暦で社長引退宣言をしている私ですが、そうそうシナリオ通りにいかないのが人生と言うものです。

22歳でプロレスに入門してマット界の若きエースとなったジャイアント馬場は38歳で日本のプロレス界から引退しハワイで暮らそうと考えていました。
そしてハワイを拠点に米マットをサーキットして40歳で完全引退、ハワイの海を見ながらのんびりと余生を過ごすつもりだったと言います。
しかし運命は、馬場の人生設計を大きく狂わせました。
プロレス界の複雑な事情は馬場の引退を許してくれず、34歳で理想のプロレスを目指して独立、全日本プロレスを旗揚げする事になりました。
そして馬場は61歳で波乱の人生を終えるまで生涯現役としてリングに上がり続ける事になったのです。

私だってひょっとしたら、70、いや80歳になっても社長の椅子にしがみついているかもしれません。
あまりにもひどい老害をばらまいていたらどなたか是非、「おまえ30年前にブログに書いていた事と違うじゃねえかよ!」とつっこんで下さい(笑)。

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