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社長の経営日誌

 FILE No.222 2011.5.14
「 50周年(4) 」

(前回からの続き)
それまでは福徳銀行と取引をしていたのが、46年4月からこれも中川製袋さんの口利きで、現在に至るまでメインバンクとしてそれこそ長〜いおつきあい(どこかの銀行のCMみたいだ。)となる四国銀行さんの守口支店とのお取引がスタートします。

47年4月には大阪市鶴見区(区画整理前で当時は城東区)に移転、引っ越しの為、近所や幼稚園の友達と別れるのが淋しかったのを覚えています。
中川さんの取引先で大山とかいう先があったそうですが、ここが倒産しその土地と建物が空いていたので買わないかという話を頂いたのです。
このように、親父の人生とタミヤの歴史の節目には必ず中川さんが関わってくれているのですね〜。

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 大阪市鶴見区にあった
旧・田宮紙業社

写真はその鶴見区の事務所の現在の姿ですが、小学生時代の私はこの建物の二階に住んでいました。(52年ごろ近所のマンションに移りました。)
子供の頃はこの鶴見区の家(&事務所)が凄く大きいイメージがあったのですが、大人になって見るとこんなに小さい建物だったんですねえ…。
現在、この事務所は当社の関連会社であるエヌティ企画が使用しています。

そして49年5月にとうとう法人設立、株式会社田宮紙業社の誕生です。
古くからのお取引先などはいまだにこの名前を覚えてくれています。

紙製品やポリ袋などが主体の取り扱い品に、食品向けのトレイ類が加わり少しずつ増え始めたのは昭和50年頃のようです。

勿論この頃はカラー・トレーなどなくオーソドックスな白いトレーのみでした。
この時に一番最初にお世話になったのが、後に私が入社する事になるリスパックさんです。
いや、まだ当時はリスパックさんも独立前で親会社である岐阜プラスチック工業さんの食品容器部門だったかもしれません。(* リスパックさんの設立は50年11月。)

時代は平成に入り2年12月に株式会社タミヤに社名を変更しました。
またも余談ですが、ずいぶん昔、私が幼少の頃から社名変更の構想はあったようで、親父殿が考えていた幻のネーミング?が「ダイヤ通商」(笑)
何でダイヤだったのかは謎ですが、ダイヤモンドをイメージしたロゴ・マークを見た記憶があります。
当時、日曜日の夜九時に放送していた西郷輝彦主演の「どてらい男(やつ)」が好きで観ていたのですが、私はこのドラマ内で主人公が起こす会社の名前「天守産業」を推薦したものです(笑)。

平成に入っての社名変更は取り扱い品が随分と変わってきて紙の割合が減った事が発端と思われますが、やはり田宮の名前は残した方が良いと周りに言われて、田宮紙業社が株式会社タミヤになったのです。
この時、私は既にリスパック東京支店で勤務していましたが、その名前を聞いて(そのまんまだよなあ。)と思ったものです(笑)。

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 現在のタミヤ本社全景

そして4年の夏に現住所である東大阪市に本社及び物流センターを移転しました。
手元の資料によると新事務所での業務開始日は平成4年8月31日となっています。
ざっと駆け足でタミヤが誕生するまでとその後の50年を紹介しました。 昨年「社長10年史」をお届けしましたが、さしずめ「会長50年史」といったところでしょうか(笑)?

今回これを書くにあたって両親を取材したところ、私自身も知らないような話が一杯出てきました。
それらの歴史は誰かがきちんと書き留めて後世まで残しておかないと、それこそ歴史の中に埋没してしまいますので非常に有意義だったと思います。

(次回へつづく)
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