包装資材の専門商社 タミヤ

ホーム タミヤのチカラ 商品ラインナップ 環境保全活動 会社情報 お問い合わせ

会社情報

Home > 会社情報 > 社長の経営日誌
会社概要
主要販売・仕入先
社長の日誌

社長の経営日誌

 FILE No.251 2011.12.3
「 新宿伊勢丹前事件(5) 」

(前回からの続き)
さらに時は流れ昨年(2010年)、そして今年(2011年)とシンはインタビューの中で事件について触れています。
以下にお届けするのが現時点でのシンの事件に関する最新のコメントです。

(2010&2011年 週刊プロレス インタビューより)

「あの事件は私の人生においても忘れられない事だ。シンジュク・ショッピングセンター(伊勢丹)の前には大勢の人がいた。
その中でイノキのワイフが私の姿を見つけた。視線を感じてそっちを見ると彼女が私のシューズやインドの民族衣装を見て何か馬鹿にするような事を言ったから殴ってやったんだ。
その時点では彼女がイノキのワイフとは知らず日本人のファンの一人かと思っていたよ。
すると突然、イノキが現れた。イノキはワイフが殴られた仕返しをしようと向かって来た。場所がどこであれイノキがいれば戦うのは当然だろう。そこから私とイノキの戦いはレスリングではなく戦争になったんだ。
ショッピングセンターの前は大騒ぎになった。大勢の人が集まって、その騒ぎを見ようとタクシーも停まって交通がマヒした。
警官が来たので、私はタクシーに飛び乗って京王プラザまで行ってくれ、と言った。だけどドライバーは恐怖で固まっていてなかなか車を走らせなかったよ。
それでもラッキーだったのはそのドライバーは怖がりながらもホテルまで行ってくれた事だ。もしあそこで現行犯逮捕されていたら日本での私のその後はなかっただろう。
そしてもう一つラッキーだったのは、京王プラザが一流のホテルだった事だ。
警察はホテルまで来たがホテルマンは彼らを部屋に通す事はしなかった。
警官を見たマネージャー(ミスター高橋?)が部屋から出るな、と伝えてくれた。それを知らずにロビーに下りていたら捕まっていたかもしれない。
イノキが事件として届けなかったのもラッキーだったな。
これほどの事件を起こした事で私の名前は広まって、それまでのヒール・レスラー、つまり(アブドーラ・ザ・)ブッチャーや(ザ・)シークのイメージを上回ったんだ。」
(あの事件はヤラセだったとミスター高橋が著書に書いていたが…)
「ノー。 タカハシがその本を書く前に私のところに連絡があって、こう書きますから、と説明してきた。
彼は退社する時に新日本との約束が守られなかったと言って怒っていた。
タカハシは友人だ。彼は金が必要だったのだろう。私はそう書いて金が入ってハッピーになるならそれでいいと伝えた。」

ミスター高橋の暴露本出版から10年目にしてその内容を一刀両断しているのは痛快ですが、シンが倍賞美津子を殴った、などという話は当時の報道には皆無で、謎はますます深まります。

当時から現在に至るまでの関係者の証言を集めてみましたが同一人物のコメントでも時代によって微妙な変化があり、興味は尽きません。
まず不可能でしょうができれば倍賞美津子さんにインタビューしてみたいものですね。

私が自信を持って言える事は一つ、例え第三者の意図であれ、あるいは偶然であれ、当時の猪木とシンが顔を合わせたら例えリング外でもただではすまないという事です。
これは、二人の戦いをリアルタイムで目撃した人なら納得していただけるのではないでしょうか。
実際に巡業中の駅や体育館で一触即発、「伊勢丹事件」に近いような事は何度 もあったとの関係者の証言もあります。
シンも猪木も稀代のプロフェッショナル、ファンの手前もあって引くに引けない部分もあったのかもしれません。
あの事件はまさしく、「本気のアングル」だったのではないでしょうか。

力道山からジャイアント馬場、アントニオ猪木の時代となり昭和47年に二人が独立しそれぞれ団体を旗揚げしたこの当時、分裂や騒動の余波からプロレス人気には陰りが出ていました。(それでもゴールデンタイムでテレビ中継があり、今とは隔世の感がありますが。)
そんな低迷期に、プロレスから離れつつあった一般大衆を再び引きつけたのが猪木とシンの抗争でした。
日本のシンガーソングライターの草分け的存在である吉田拓郎が何かの罪で警察にお世話になった時、面会に来た奥さんに 「おい、昨日の猪木とタイガー・ジェット・シンの試合はどうなった?」 と聞いたというエピソードが新聞で紹介され「拓郎も注目した猪木VSシン」との見出しが躍ったそうです。
二人のプロ魂はそこまで世間を熱狂させるエネルギーが渦巻いていました。

今からちょうど一年前、奇しくもこのブログの更新日である12月3日、IGFの両国国技館大会にタイガー・ジェット・シンは特別ゲストとして参加しました。
リング上でのセレモニーで因縁の猪木と対峙したシンは何処に隠し持っていたのか、火の球を投げつける暴挙に出て一瞬、不穏な空気が流れましたが落ち着きを取り戻すと自らの守護神でトレード・マークのサーベルとターバンを猪木に渡し、猪木もお返しに赤いマフラーをシンの首にかけました。
伊勢丹前での惨事から38年、積年の遺恨を捨てて握手し抱擁を交わす二人にファンは拍手を送りました。

 クリックで拡大
 事件現場はこのあたりか?
伊勢丹正面玄関前

今年東京に行った時、新宿に立ち寄り伊勢丹で買い物をする機会がありました。
当時の事件現場はどのあたりだったのかを想像しながら正面玄関前に佇みました。誰からも襲撃はされませんでしたが(笑)。

まだまだ多くの謎に包まれている「新宿伊勢丹前事件」は、これからもプロレス史に残りミステリアスに語り継がれる事でしょう。

参考文献
 東京スポーツ
 月刊(週刊)ゴング
 週刊プロレス
 闘魂伝説の完全記録
 昭和プロレス殿堂(携帯サイト)
 見たくない奴は見に来るな!(Livedoor Blog)
<過去の日記>
サイトマップご利用にあたってプライバシーポリシー

(c) 2007 TAMIYA.Ltd