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社長の経営日誌

 FILE No.277 2012.6.9
「 猪木舌出し失神KO事件(2) 」

(前回からの続き)

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 これが有名な猪木の舌出し
の証拠写真、木村健吾の
指が見えます。(日本スポ
ーツ出版・ゴング誌より)

今回、この試合のVTRを改めて観てみました。
猪木がホーガンのアックス・ボンバーを喰ってリング下へ転落して動けなくなった時、セコンドが殺到していますが何が行われているかまでは画面では確認できません。
ただ、猪木がリング上に押し上げられた時には既に舌は出ており確かに木村健吾は猪木が舌を噛まないように指を口に入れています。

試合終了のゴングが鳴らされ、セコンドや関係者に取り囲まれあおむけにされた時には舌はもう口の中に戻っていますが、舌の件はともかくVTRで確認すると猪木がアックス・ボンバーを受けてから担架で運び出されるまでの時間は10分間ほど、この間ずっと気絶したふりをしていた(しかも数分間は舌を出している)としたら超一流の役者顔負けと言えます。

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 猪木を倒し優勝した
ホーガン、その心中は…?
(日本スポーツ出版・
ゴング誌より)

余談ですが、この時試合の勝利者ハルク・ホーガンの様子はどうだったのでしょうか。
リング上では堂々とIWGP優勝記念のベルトを授与されたホーガンでしたが、控え室に戻ると虚ろな目で肩を落とし櫻井康雄記者に声をかけてきました。

「イノキは大丈夫か?本当に大丈夫か?俺は心配だ…。本当に心配だ…。」
ホーガンは病院に取材に行く櫻井氏に自分のホテルの部屋まで後で電話してくれるよう依頼しました。

深夜、病院の取材から社に戻った櫻井氏は約束どおり新宿の京王プラザホテルのホーガンの部屋に電話を入れ「意識も回復し、ひとまず落ち着いている。」と伝えるとホーガンはほっとしたように「良かった。今夜はこれで眠れるよ。」と言った後、「シンマは怒ってなかったか?」と聞いてきたそうです。
シンマとは、当時新日本プロレスの専務取締役で猪木のマネージャーだった新間 寿氏の事です。
櫻井氏が「別にアンタの事は怒ってないよ。怒ったって仕方ないだろう、試合なんだから。」と答えるとホーガンはこう言いました。
「明日、いやもう今日だな。 アメリカへ帰るんだ。 明日マネー(ギャラ)をもらうんだが、新日本プロレスはマネーを払ってくれるだろうな。」
ホーガンは自分のギャラの心配をしていたのです(笑)。

その深夜午後一時過ぎ、櫻井氏の下に今度は、猪木が病院を脱走したという衝撃情報がもたらされました。
電話をしてきたのは芸能レポーターとして有名な梨元 勝氏(故人)で、氏は当時、東京スポーツに連載記事を持っていたので東スポの芸能デスクと連絡をとりあっていたのです。
「あの…、今、猪木さんが奥さん(倍賞美津子)と一緒に病院を出ていっちゃったんですが…。」
「ええ〜!!」
櫻井氏はとりあえず梨元氏に「誰にもこの事は言わないで。」と口止めし猪木の自宅に電話するも誰も出ず、今度は新間 寿氏の自宅に電話をして事の経緯を話しました。
新間氏は「まさか…」と絶句したものの「わかった。また後で連絡する。」と言って電話を切りました。
編集局へ泊り込んだ櫻井氏の下へ新間氏から電話があったのは明け方でした。
「猪木は病院にいるよ。でも今日の昼頃には退院すると言っている。その頃、病院に行ってごらん。」

その事を梨本氏に伝えると「本当ですか? こっちは確かに病院を出て行くのを目撃したんですが…。」と信じられないといった返事、まさに狐につままれたような心境だったでしょう。

午後12時20分頃猪木は堂々と?退院、自宅へ直行しましたが櫻井氏が後日オフレコで猪木に「深夜の脱出」についてつっこむと猪木は真相を告白しました。
「 梨元さんに見られているとは思わなかったな。脳震盪を起こしたのは事実だが意識を回復すると色々な事を考えて眠れなくなった。 俺のわがままだが家に帰りたくなって啓介(実弟)に車を持って来させてウチの奴(美津子夫人)とそっと抜け出したんだ。
家に帰ったらぐっすり眠れたけど、朝早く新間に叩き起こされて明け方にそっと病院に戻った。 まあ、俺とすれば軽率だったよ。自分を何だと思っているんだと新間に言われて…。」

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 場外でダウンした猪木に
駆け寄る坂口征二
(日本スポーツ出版・
ゴング誌より)

それにしても猪木の軽率な行動があったにせよ、猪木の舌を引き出すよう指示をしたはずの盟友、坂口征二がなぜ翌日「人間不信」との書置きを残して失踪したのかという謎が今も残ります。
この件に関して坂口は多くを語りませんが、事件から27年が経過したインタビューではこのようにコメントしています。
「…あれにはカチンと来て、会社に書置きをして行方をくらましたね(笑)。
猪木さんがアックス・ボンバーで倒れて慌ててね…あれは猪木さんというよりも自分自身がホントに情けなくてよ。 人を恨むんじゃなくて自分自身が情けなかった。ちょっと駄目だった。本当にカチンと来た。 ああいうのは初めてだったよ。
(書置きした)その足で飛行機の切符を目黒駅前の旅行社で買った。『明日のハワイ行きありますか』って一枚取って。女房には『会社にもどこに行ったか黙っとけ』って伝えてよ。そうでもしなかったら自分の気持ちが治まらなかったんだよ…。」

真面目で責任感の強い坂口をそこまで追い込んだ不信感の正体は果たして何だったのでしょうか?

当時週刊ファイト誌の編集長だった井上義啓氏(故人)がマニア達と語る伝説的な「喫茶店トーク」の中でこの試合について語っている部分を要約して引用してみましょう。

「あの試合がアングルだなんてどこをどう押したら出てくる台詞なんだろう。
猪木がアングルなく失神し、ダラリと舌を出して蘇生できなかったのはテレビでも映し出されていたように紛れも無い事実。 私は最前列の記者席ではっきり見ていたのだし、坂口が上から屈みこんで『ベロ(舌)はどうした?』って叫ぶのをはっきりこの耳で聞いている。
はっきり現場は見えなかったけれど坂口の話などから坂口が無理矢理に喉の奥で丸まっていた舌を引き出したのは事実(*前述のように坂口は木村健吾に指示したと証言)。
あれがアングルだと言うのなら、こちらが『人間不信』と書き残して雲隠れしていたよ(笑)。
(しかし、その坂口が『人間不信』の書置きを残して失踪しましたが…)
「それがあの事件の、たった一つわからないミステリーなんだ。  
こういう事ではないか。 失神して、しばらく息を吹き返さなかった事はホンマものだ。 しかしそれ以外はわからない。
ボクサーの失神KO負けと同じで、比較的すぐに立って歩けたのかもしれない。
坂口の『人間不信』は最初の失神以外はみんなアングルに思えたからじゃないかな。
それ以外にあの謎めいた4文字は解読不可能ですよ…。」

リング上で猪木を応急処置したふけたかしドクターの証言どおりであれば非常に危険な状態であった猪木がそんなに早く回復していたというのは俄には信じがたい話ですが、病院の医師の診断は「一過性脳震盪」、文字通りの一過性であった事とプロレスラーの常人では考えられない驚異的な回復力を考えれば、一時的に気を失ったものの救急車が到着した頃にはかなり回復していても決して不思議ではありません。
立ち上がって観衆に応えれば皆は安心するでしょうが、稀代のプロフェッショナルでありファンの心を掴んで離さない感性にかけては誰よりも長けている猪木はあえて無理をせず病院送りを選択し、自ら壮大なドラマを作ろうとしたのでしょうか?
試合前に三大新聞に取り上げられる方法を真剣に思案していたという猪木なら十分にあり得る話です。
「猪木さんの葬式を出さねばと青ざめた」坂口は猪木の深夜の病院脱出で全てを察知したものの、人一倍真面目で誠実な彼には猪木のアドリブ?は理解できず、キレてしまったのかもしれません。 勿論、これらも全て妄想の産物かもしれませんが…。

試合から20年の歳月が流れた2003年、櫻井康雄氏が猪木にコメントを求めたところ、猪木は一言こう言ったそうです。
「20年前のホーガン戦? 思い出したくもないこったね。 敗軍の将、語らずだよ。」

現在、新日本プロレスの過去の名勝負シリーズが隔週ごとにDVDマガジンとして書店などで発売されています。
勿論この試合も収録されており、好調なセールスを記録しているとの事です。

それにしても普通、格闘家にとって敗北は恥ずべき事、ましてや負けて病院送りにされるなど致命的なはずですが、それがこれだけの年月が過ぎても伝説的に語り継がれ今も議論されるのですから、やはりアントニオ猪木は真のスーパースターです。

参考文献
月刊(週刊)ゴング、プロレス、ファイト、プロレス・スキャンダル事件史
<過去の日記>
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