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社長の経営日誌

 FILE No.281 2012.7.7
「 マテ茶 」

いよいよ暑い暑い夏がやって来ましたが、このブログの更新日は7月7日、七夕の日は、ウルトラマンやゴジラの生みの親、特撮の神様こと故・円谷英二先生の誕生日です。
それにあやかって「ウルトラマンA(エース)」の主人公、北斗星司と南夕子も7月7日生まれという設定になったのです。
「ウルトラ〜タ〜ッチ!!」(←知ってる?)

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 これがMYブームの
「太陽のマテ茶」
(C)日本コカ・コーラさん

暑い夏の私のお気に入りはコカ・コーラさんから発売されている「太陽のマテ茶」です。
マテ茶は日本ではあまりなじみはありませんが、ブラジルやアルゼンチン、パラグアイなど南米を原産国とするイェルバ・マテ(モチノキ科の常緑樹)の葉や小枝を乾燥させた茶葉による飲料です。

栽培の難しさから野菜を食べる習慣が少ない南米の人の食事は肉食中心、一人当たりの肉の消費量は日本の3〜4倍だとか…。
今の日本の若者は草食系などと言われますが、対照的に南米の国々はまさしく肉食系の集まり、それなのに太っている人がさほど多くない(日本人の方がよほど太っている)のはなぜでしょう? 実はマテ茶にその秘密があるのです。

マテ茶の葉には、レタスに比べて約25倍もの食物繊維やカルシウムが豊富にあるだけでなくビタミンAや鉄分なども含まれているので「飲むサラダ」とも言われており、南米では野菜代わりになっています。

…と言うわけで万年ダイエット宣言中(佐山サトルか!)の私も毎日、コンビニで「太陽のマテ茶」を買うのが日課、肉料理が好きな方、緑黄色野菜不足が気になる方には是非お勧めします。

さて、ここで雑学クイズ、このマテ茶を今から30年以上も前に日本で初めて本格輸入した偉人は果たして誰でしょう?

私の出題ですから、勘の良い読者の方はすぐわかりますよね?
そう、「燃える闘魂」アントニオ猪木その人なのです!!
タバスコを輸入したのも猪木さんだという事はメディアなどでもよく紹介されていますが、80年代初頭、新日本プロレスの会場や通販で「アントン・マテ茶」なる商品が販売されていました。
猪木さんは14歳〜17歳までの三年間、ブラジルでの移民生活を経験していたので現地の特産品を輸入するビジネスを思いついたのしょう。

当時の猪木の側近、新間 寿氏(元新日本プロレス専務取締役)が著書の中で振り返っています。
「ブラジル人は肉食である。牧童たちは肉を好んで食し野菜を取らなくていいようにマテ茶をがぶがぶ飲んだ。そうすると肉を食べて酸性になった血液がマテ茶の働きでアルカリ性に戻るというのである。
「だから新間、よく考えてみろ。ステーキを食べる時に必ずジャガイモが出るじゃないか。あれは肉を食べて血液が酸性になるのをジャガイモによってまたアルカリ性に戻す為なんだよ。」などと猪木はよく話した。
(中略)早速「アントン・マテ茶」と銘打って大々的に売り出した。
デパートにも売り込み猪木の顔写真や似顔絵をつけた商品をどこも一度は扱ってくれるのだがリピートがない。 何故売れないか? お世辞にも美味しいとは言えなかったからである。
「まあ、こんなの社長、ちっともうまくないじゃないですか。」
私は猪木にはっきりと言った。
「いや、新間、飲めば本当にうまくなるんだよ。」
私の忠告にも猪木はいっこうに耳を貸さない。 プロモーターに段ボール三箱も四箱も買い取ってもらったり、新日本で買い取ったものを各会場で先着順に無料進呈したりと苦心惨憺、しかし在庫はうず高く積まれるばかりである。
テレビでマテ茶はいいといくら宣伝しても、通販でしか売っていないのではやはり売れ行きはさっぱりなのだ…。」『アントニオ猪木の伏魔殿』(徳間書店)より

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 貴重な「アントン・
マテ茶」の広告

写真は知人提供の30年前のアントン・マテ茶の広告ですが、 いや〜、猪木さん若くてかっこいいですね〜!
因みに隣の写真の褐色の男性は後にザ・コブラに変身するジョージ高野選手です。

この頃、アントン・マテ茶を飲んだ人に感想を聞いてみたところ「不味かった。」と一言(笑)…、誤解のないように言っておきますが現在の「太陽のマテ茶」は大変飲みやすく後味もさっぱりしているので、当時と比べるとかなり味も改良されているのでしょう。

結局はあまりにも時代が早すぎたのですね。 ウーロン茶やプアール茶がダイエットにいいとか、テン茶が花粉症に効果があるとか、健康茶ブームが起こるのは90年代に入ってからですから…。
マテ茶の生理作用に対する効果にしても研究が始まり発表されるようになったのは割合最近の事のようです。

タバスコも業務用としては古くから使用されていたものの、家庭の食卓やレストランの客席におかれるようになったのは猪木さんが販売権を手放した後でした。
また、六本木で営業していたブラジル料理のお店「アントン」も借金返済の為に売り払ってしまいました。
スペースの都合で今回は詳しく書けませんが、80年代の猪木さんの最大の副業「アントン・ハイセル」、これはサトウキビの搾りかすをバイオの力で牛の飼料にする、夢のリサイクル事業でした。
しかしブラジルの超インフレもあって事業は大失敗、借金は数十億円に膨れ上がり猪木さん及び新日本プロレスを地獄へ叩き落す事になりました。思えばこれも、誰もバイオテクノロジーなんていう言葉すら知らない時代の話でした。

「アントン・グループなどと称して事業家を気取り、これまで様々な物に手を出したが、結局プロレス以外は全滅に近い。 はっきり言って私は金儲けが下手だ。」(「アントニオ猪木自伝」新潮社より)

先見の明がありすぎていつも人より30年早いアントニオ猪木の発想、時代がようやくアントニオ猪木に追いついてこれから静かなブームが起こりそうなマテ茶、先駆者である猪木さんに心の中で敬意を表し、今日も私は「太陽のマテ茶」を愛飲するのでした。

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