2月17日の日曜日、東京・新木場1stRINGでまたもスターダムの大会を 観戦しました。 当初は朝8時17分新大阪発の新幹線に乗るつもりでしたが、早く目覚めた事もあって30分早い7時37分に乗車できました。
結果としてこれが大正解! 浜松で不発弾の撤去作業中という事で途中40分も停車してしまったからです!
本当に焦りましたがそれでも試合開始時間には余裕を持って間に合いました。
当初の時間に乗っていたらもっとあたふたした事でしょう、どこまでも強運の私です…。
苦労して到着したこの日の大会でしたがお目当てのゆずポンが出場した第3試合(この日は全5試合)が終わって休憩時間に入ったところで名残惜しかったものの会場を後にしました。(この日の試合の模様はこちらをクリック)
何故? 実は杉並区は高円寺で行われるトークイベントに参加する為で、全試合が終了してからではこちらの開始時刻に間に合わないからです。(東京の方ならお分かりでしょうが新木場から高円寺は結構遠いのです。)
もしゆずポンの試合がメインかセミ(第4or5試合目)なら高円寺の方は諦らめるつもりでしたが、今回に限って全対戦カードの発表が試合のわずか数日前、やきもきしていましたが第3試合と知って思わずガッツポーズ、マッチメイカーさん有難う! とことん私は運が強い(笑)。
そんなわけでやって来た高円寺、イベントの場所となるのは元UWFインターナショナルの選手兼フロントであった宮戸優光(みやとゆうこう)氏が2000年にオープンしたレスリングや総合格闘技のジムであるUWFスネークピットジャパン(http://www.uwf-snakepit.com/)です。
勿論、同ジムは体力作りや健康管理が目的の初心者も会員になれます。
私が東京に住んでいた時代なら絶対通っていたんですけどね〜。
このジムで定期的にゲストを招いて行われるトークイベント、本日の主役はかつて新日本プロレスの専務取締役営業本部長でアントニオ猪木の敏腕マネージャーだった、新間 寿(しんまひさし)氏ですよ!これはもう絶対聞き逃せません!
昭和のプロレスマニアには全く蛇足ながら新間氏の略歴を簡単に紹介すると、猪木の参謀としてアリ戦を始めとした様々なビッグマッチを実現させ新日本プロレス黄金時代の陰の立役者となり「過激な仕掛け人」と呼ばれていた方で83年、社内クーデターにより退社、猪木と疎遠になるも89年猪木の政界入りに伴いスポーツ平和党幹事長に就任、しかし93年解任されて再び猪木と絶縁、2002年に恩讐を超えてまたも電撃和解…ある時は盟友、懐刀、そしてまたある時には宿敵と猪木と新間氏は切っても切れない間柄なのです。かつて猪木夫人だった倍賞美津子がお二人を指して「一種異様な関係ね(笑)。」と評した事もありました。
猪木の表も裏も知り尽くした新間氏の話を聞こうと集まった熱心なマニア約20名、その中にどこかで見た事ある奴が…、何と私の前の会社の同期社員(岐阜プラスチック工業)でプロレス検定1級資格保持者、そして太田裕美ファンという共通点もある山北麻文くんではないですか!! 静岡から駆けつけるとは…お互い好きだね〜、おかげで当ブログにも実に久々に登場して頂く事になりました(笑)。
本日の主役、新間さんは今年78歳とは思えぬほど元気で、私を始め集まったマニア連からの濃い質問に答えながら実に3時間に渡って様々な裏話を披露してくれました。
「今の新日本プロレスはIWGPの意義も精神も全く失ってしまっている。あのタイトルは提唱者の私に返還しろと言いたいね。」
「猪木−アリ戦では猪木に不利な裏ルールが確かにあった。試合前夜に猪木にその報告をしたよ…。」
「私はカール・ゴッチを全く評価していない。あれは猪木が作った神様、受身のとれない人だったね。 新日本旗揚げ時にブッカーのゴッチに呼んで欲しい一流レスラーの名前を何人か手紙に書いてリクエストしたら大激怒して電話して来たよ。」
「スタン・ハンセンは全日本プロレスに引き抜かれたが彼は後日違約金を小切手でちゃんと持って来たよ。そういう筋を通したのは彼だけだったね。」
「猪木が試合をして手が合わなかったのはブッチャー、ジャック・ブリスコ、ワフー・マクダニエル…、いずれも高額ギャラで全日本から引き抜いたのに不完全燃焼で終わっちゃったね。」
「レインメーカー?(*新日本プロレスにカネの雨を降らせるオカダ・カズチカの愛称)雨具の会社か?自社ビルの一つでも建ててから言え。」
そして極めつけは…
「新日本プロレス時代、一番頭に来たのは私が控え室に入るとレスラーたちが小声でケッフェイ(プロレス界の隠語で部外者に聞かれては困る秘密)と合図して話題を変える事だったよ。」
詳しく解説していると何頁あっても足りないうえに毎度ながらディープすぎて既に大半の読者の方がついていけない世界に突入しておりますのでこれぐらいにしますがもっともっと聞きたい話はいっぱいあり時間がいくらあっても足りませんでした。
私が持参した著書にサインと力強いメッセージを書いてくださった新間氏、昭和プロレスの貴重な語り部としてこれからも元気でいて欲しいものです。
東京駅まで山北くんと一緒に移動した時、「タミヤの社員も社長が入ってきたらケッフェイと合図したらいいだろうな。」だって、面白いじゃないかコノヤロ−(笑)。
どんな業界にもケッフェイは大なり小なりあるもの、皆さん、業界外の人間に秘密が 漏れそうになったらケッフェイ!と合図して誤魔化しましょう(笑)。
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