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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
 FILE No.329 2013.6.22
「 怪物商法 」

アメリカのフォーブス誌には毎年、日本の長者番付が掲載されています。
今年も第1位はユニクロの柳井正さん、そして2位は先頃上場したサントリーの佐治信忠社長、3位はソフトバンクの孫正義さんとそうそうたるメンバーが名前を連ねていますが総資産485億円(!)で第48位にランクインしているのが元政治家であり、株の世界でも有名な新日本観光のオーナー、糸山英太郎氏です。

私が小学生の頃、その糸山氏が1973年、まだ30歳の時に書いてベストセラーになった本を親父が買って来ました。

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 40年前の名書「怪物商法」

常識をぶち破る「怪物商法」- タイトルも斬新でしたが、お金の山の中から黄金の握りこぶしの模型がニョキッと突き出した表紙が子供の私には強烈なインパクトがありました。読めばいかにもお金持ちになれそうな気がしたのです。

小学1〜2年生の頃、クラス全員が七夕の短冊にそれぞれ願い事を書いて、それを参観日に合わせて教室の後ろに展示した事がありました。
「将来、宇宙飛行士になりたい。」「プロ野球選手になりたい。」etc…皆、子供らしい夢を書いているのに私の短冊には「お金持ちになりたい」(!)、あの時は滅茶苦茶恥ずかしかったと未だに母親に言われます(笑)。
やはり私は商売人の子、この頃から稼ぐ事に憧れていたのでしょうかね〜。
そんな私ですから、丁度読書に目覚めた時期という事もあり糸山氏の著書に食いついたのです。勿論読めない漢字も多く子供には難解な部分も多々あったのですがそれでも夢中になってあっという間に読破しました。
思えばこの「怪物商法」こそ私が生まれて初めて読んだビジネス書であり、糸山氏こそ生涯初めて尊敬し憧れた(まあ、我が親父殿は別格という事で 笑)経営の師だったわけです。
確かその感想を学校で毎日提出する連絡ノートに書いたら担任の先生が「凄い本が読めるのね。」とコメントを書いてくれました。

糸山英太郎氏は新日本観光の創業者で昭和44年には所得日本一にもなった佐々木真太郎氏の息子として昭和17年にこの世に生を受けました。
名字が違う事からもわかるように母親は佐々木氏の正妻ではない、所謂お妾さんの子だった為、学生時代に自分の出生の秘密を知った糸山氏は非行の道に走って何度も警察沙汰を起こし遂には勘当されてしまいます。

裸一貫で社会に飛び出した糸山氏はたった一つ持っていた資格である運転免許証を活用出来るからという理由で、中古車のセールスマンになりました。
足を棒のようにして歩いても一台も売れない日が続く中、糸山氏は独学で現在の営業にも通じる「けなす客ほど脈がある」「セールスマンは情報を売れ」「嫌な客にぶつかれ」「買い手に足元を見られるな」「会社より自分を売れ」といったノウハウを学び取り、やがては一年間で77台を販売するという業界の新記録を達成、独立したのです。

この時代、気まぐれな客の口約束で何度も苦渋を飲まされた経験から、糸山氏は「一筆書いてください。」というのが口癖になりました。
「金を貸してくれ。」と切り出すよりはるかに難しい「一筆書け。」、この台詞をすらすら言えるようになった時こそ一人前と糸山氏は言います。

独立後、最初は順風満帆だったものの、ある時トラブルに巻き込まれ借金を作ってしまい返済期限が迫り窮地に陥った糸山氏は最も頭を下げたくない相手、父・佐々木真太郎氏に金を借りるしか手立てが無くなりました。
18歳で勘当されて以来、いつかは親父を超えて見返してやろうと頑張ってきたのに4年ぶりの再会が借金の申し込み、悔し涙を浮かべる糸山氏に父は冷たく「金は貸せないが、お前を買ってやろう。」と身売りを要求したのです。
どうしても金が必要で切羽詰まっていた糸山氏は「売りましょう」と答えるしかありませんでした。
「本当だな。」「本当です。」「よし、一筆書け。」あっけにとられる糸山氏、お釈迦様の手のひらの孫悟空の如く、この4年の行動を父は全て把握しており、口癖までが伝わっていたのです。

こうして借金の返済と引き換えに父親の新日本観光に入社する事になったものの、糸山氏は父親が自分が必要になったから呼び戻したのだと都合よく解釈していました。
入社初日、出社すると早速会議があるから出席しろと命じられた糸山氏は会議室に入ると重役席の末席に腰を下ろしました。そこが自分の席であると信じて疑わなかったのですが、部屋に入ってきた父は、いきなり糸山氏を罵倒しました。
「そこにいるのはどこのどいつだ! お前は私に身売りした新入社員じゃないか! 重役でもないくせに重役席に座るとは何事か!そのへんに土下座しておれ!」
顔面蒼白になって床に土下座し屈辱感に悔し涙を流す糸山氏を無視して淡々と続けられる会議…いつかこの床下から社長の椅子までたどり着いてやると心に誓い、この日から糸山氏のはい上がり人生が始まったのです。

入社した糸山氏が最初にやらされたのはゴルフ場のキャディの仕事でした。
当時は今のようにカートもなく、キャディは重いバッグを担いで歩き馬車馬のようにこき使われる時代で、寝泊まりに与えられたのも夜中にネズミが這いずり回るような部屋でしたがそんな劣悪な環境の中でも糸山氏は客の心理を研究して喜ばせるコツを学びました。この時に編み出した糸山式キャディ心得は後に糸山特許のアイディアと伝説にまでなります。
後に経営者となった糸山氏はキャディが重いバッグを担がなくても済むようにカートを完備しました。キャディ出身の経営者だからこそ現場が働きやすい環境を整える事の重要性がわかっていたのです。

キャディの次に会員権の販売、そしてゴルフ場の土地買収の仕事を任されるようになった糸山氏はゴルフだけでなくプールや結婚式場、ボウリング場、ホテルなどあらゆる部門で手腕を発揮するようになります。
中でも2年間で143室のうち15室しか売れなかった伊東の別荘マンションを日本にはまだなかった長期ローン支払いと部屋に予め家具をつけて売るという当時としては前代未聞のアイディアでわずか45日で売り切ってしまった実績は、糸山氏の地位を決定づけました。

糸山氏の著書は他にもゴルフ場のオープン時に近隣の悪質な同業にコースの真ん中に穴を掘る嫌がらせをされた時に報復として真夜中に敵のゴルフ場に忍び込み、倍の大きさの穴を掘った話、商売敵のプールを運営する京阪電鉄に自分のプールの車内広告を認めさせた話など様々なエピソードが紹介されており、出版から40年が過ぎた今改めて読み返しても痛快で非常に勉強になる事が多く、私にとっては文字通りのバイブルとなっています。もう少し脚色してどこかのテレビ局でドラマにして欲しいものです。

この本の出版後、糸山氏は多くの人がご存じのように政治家に転身、96年までは政界でも活躍されました。
そんな糸山氏もちょうど今月でめでたく古希の70歳となります。

ところで、この原稿を書いている途中で我らがアントニオ猪木が夏の参院選、日本維新の会からまさかの出馬表明!!
このブログ掲載の頃には既に選挙戦に突入しているかもしれませんが、今回の出馬は石原慎太郎氏の要請によるものとの事、実は糸山英太郎氏が最初に出馬した時も石原氏の担ぎ出しによるものだったそうです。歳も同じだし私の2大ヒーローは共通点がありますね〜。 よ〜し、今年の夏は十数年ぶりに投票に行くぞ〜!!

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 「怪物商法」の表紙を
再現!

金儲けを祈願して我がバイブル「怪物商法」の表紙を再現してみました。
黄金の左と言えば元横綱でプロレスに転身した輪島大士ですが(必殺技はゴールデンアームボンバー!)左手をボディペイント用の塗料で塗りたくり某女子社員らの助けを借りて撮影した苦心の作です。上の写真と比較してみて下さい。
私がもし本を出版するか、まかり間違って選挙にでも出る事になったら本の表紙やポスターにはこの写真を使わせてもらいます(笑)。

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