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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です

FILE No.375

2014.5.24
「 ブラジル・ドバイ最新流通視察(3) 」

(前回からの続き)

サンパウロのホテルの一室、力道山と運命的な対面を果たした17歳の猪木さん、力道山が初めてかけた言葉は「裸になれ。」でした。

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 17歳の猪木さんは力道山に連れられて帰国

猪木さんがシャツを脱ぎズボンも脱ごうとすると「下はいいよ」と言われ、次に「背中を見せなさい。」と命じられたそうです。
後ろ向きになった猪木さんの背中にじっと注がれる力道山の鋭い視線…やがて力道山は猪木さんの肩をぽんと叩くと「よし、日本に行くぞ」…この一言で猪木さんのプロレス入門は電撃的に決まりました。

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 100年に一人の逸材が
プロレス入り

こうして猪木さんは3年ぶりに日本の土を踏む事になるのですが、後年、猪木さんが力道山に関する書籍を読んでいて、自分の時と全く同じシーンに出くわしてびっくりしたそうです。
それは朝鮮にいた力道山が15歳の時、相撲大会に出ていて見に来ていた二所ノ関部屋の後援会長をしていた百田という日本人にスカウトされる場面で、百田は力道山に会うなり「裸になれ。背中を見せろ」と命じ「よし、日本に行くぞ。」と告げたと言うのです…。

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 力道山の付き人となり
辛い修行が始まる…

猪木さんが日本にいた子供の頃は一大プロレスブームの真っ只中でした。
自分も将来プロレスラーになりたい…そんな子供の淡い夢は一家でブラジルに渡った事ではかなく消えました。その夢が地球の裏側で向こうの方からやって来たのです。
もしブラジルに来た力道山が陸上競技で優勝した猪木さんの新聞記事を目にしなかったら…。もし猪木さんがたまたま働いていた市場の組合長が力道山の知り合いでなかったら…。何かが一つ違っていたら不世出のプロレスラー、アントニオ猪木は誕生しなかったのです。何というお導き、改めて神に感謝ですよ!

海外視察レポートのはずがいつの間にかアントニオ猪木物語になっていますが(笑)、アントニオ猪木の強靭な肉体と、後に「燃える闘魂」と呼ばれるようになった強い精神力を形成したのは、14〜17歳という多感な時期に過ごしたこのブラジルの大地なのです。

正式名称 ブラジル連邦共和国 面積851万km2(日本の約23倍)
首都ブラジリア 人口 2億103万人(2013年8月現在)

27時間もの長旅で身体はくたくたでしたが、猪木さんより57年遅れてブラジルの土を踏む事が出来て感慨無量でした(涙)。

我々が到着したリオデジャネイロは人口600万を越すブラジル第二の都市で再来年にはオリンピックが開催される予定です。
地球の裏側なので4月は日本で言えば10月ぐらいの感覚でまさにベストシーズン、と言っても気温は30℃、暑いことは暑いです。もっとも数ヶ月前までは連日35℃以上の猛暑日が続いていたそうで、当初の予定通り12月に来ていたら大変でした。

空港からホテルまでは50分ほどかかり、チェックイン後長旅の疲れを癒すブラジル初のディナーは名物のシュラスコでした。鉄串に刺して焼いた肉の塊を目の前でスライスしてくれるブラジル風焼肉ですが、豪快に牛、豚、鳥の様々な部位が計10種類以上出て来るので早々とギブアップでした。
ダイエット中の私はお酒も控え目、ソフトドリンクのメニューを見ると猪木さんが自伝の中でブラジルでの少年時代、「この世で一番美味しいと思っていた」と語っていたガラナ・ジュースを発見しました!
アマゾン川流域を原産地とするガラナの実を原料とするガラナ・ジュースはこちらでは、コーラと並ぶポピュラーな炭酸飲料との事です。
興奮して早速注文する私、ジンジャーエールに少し果実の味が付いたような趣きで確かに美味、少年時代の猪木さんの気持ちを想像しながら味わいました。カルピスじゃないですがまさしく初恋の味?(笑) ブラジル滞在中は連日ガラナ・ジュースを愛飲し続けたのでした。

第3日目 4月21日(月)

ブラジルで初めて迎える朝、移動だけで一日以上かかっているので旅行日程上はもう三日目です。この日は朝8時からリオの市内観光に出発しました。
因みに日本とブラジルの時差はちょうど12時間、こちらが月曜日の朝8時という事は、日本はもう月曜日夜の8時という事になります。

この日の気温は33℃、まずやって来たのは海抜710mの頂上に高さ30mのキリスト像がそびえ立つコルコバートの丘で、頂上へはケーブル式の電車に乗って15分ほどで到着しました。
キリスト像を見上げた後、土産物屋に立ち寄ると前夜のガラナ・ジュースに続いて今度はガラナの実のサプリメントを発見! どんな効能があるのかもよくわからぬまま購入、帰国後も毎日愛飲しております(笑)。
続いて向かったのは海抜390mの奇岩、その名もボン・ジ・アスーカルです。
ラグビーボールのような不思議な形をした岩山ですが、ここへはふもとからまずゴンドラに乗ってウルカの丘へ行き、そこから更に第二ゴンドラへ乗り換えて到着しました。
ボン・ジ・アスカールとはガイドさんによれば、「砂糖のパンの岩山」という意味だそうですが、あれっ?私が持っているガイドブックにはインディオの言葉、ポウンドアスカ(ギザギザに尖った小島)に由来と書いてあるぞ??

昼食はショッピングモール内のフードコートで済ませましたが、とにかく言葉が通じない、メニューもろくに読めないのは辛いですね〜。自慢じゃないが英語すら喋れない私、それがこちらでは英語どころかポルトガル語ですからね…。
どうにか注文できたのはロシア料理のビーフストロガノフ風のメニューでしたが、しつこくてあまり美味しいとは思えませんでした。
ブラジルと言えばコーヒーの本場、食後の口直しに近江部長たちとコーヒー・ショップに立ち寄りました。コーヒーは無事注文できたのですがミルクがわかってもらえず、いくら「MILK!」を連呼しても店員は不思議そうな顔をするばかり、ここで近江部長が自分の胸を指して乳搾りのパフォーマンスを展開すると店員たちは大爆笑でやっと理解してもらえました(笑)。後で同じツアーの人に聞いたら、行きの飛行機でも「ミルク」が理解してもらえなかったそうです。こちらでは「レイチ」と言うのが正解だそうですが、「ミルク」なんて世界共通語じゃねえのかよ!

リオと言えば世界的に有名なのが前月(3月)に行われたカーニバルですが、午後からはその会場となったサンボードロモにやって来ました。
♪リオの街はカーニバル 銀の紙吹雪…と、ここへ来ると嫌でも中森明菜の「ミ・アモーレ」を口ずさんでしまいます(笑)。
続いてやって来たのは世界一のサッカー競技場、マラカナン・スタジアム、中には入れませんでしたがこの会場では、何と今から60年以上も前の1951年10月23日、柔道家(後にプロレスラーに転身)の木村政彦が、グレイシー柔術の祖、エリオ・グレイシーと戦っているのですよ!
プロレスvsグレイシー柔術の元祖となった伝説の一戦はキムラ・ロックと呼ばれる腕がらみで木村政彦が勝ちました。
会場の入口前の路上に空き缶が一つ置いてあり、中には小銭がいくらか入っていました。
てっきりお賽銭か募金と思って何気なく余っていた小銭を入れたら、突然近くにいた黒人がサッカーボールを使った芸を始めたのでびっくりしました。この人、大道芸人だったのですね(笑)。
この日の観光、最後は高さ80mもある巨大なカテドラル(教会)で、外観はとても教会には見えませんでしたが何と二万人も収容できるそうです。中に入ると床から天井まで高さ60mものステンドグラスが拝めるそうですが、残念ながらこの日は入場できませんでした。

いったんホテルに帰って再度出発し中華料理のディナーで腹ごしらえの後は夜22時からのサンバ・ショーを観賞にやって来ました。
会場はリオで唯一、カーニバルと同じ踊りが楽しめると言うプラッタフォルマ劇場で23時半までのショータイムでしたが、時差ボケが抜けきっていない為か睡魔に襲われている方も(笑)。
終了後、ホテルに帰ってベッドに入る頃には既に日付が変わっていました…。
第2〜3日目のダイジェストはこちらをクリック

(次回へつづく)
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