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孤高の天才 社長の経営日誌社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です

FILE No.387

2014.8.23
「 幻のBI対決(4) 」

毎年恒例8月第3週のお約束と言えば、ジャイアント馬場 vs アントニオ猪木、幻の対決シリーズです。
79年に「プロレス夢のオールスター戦」(FILE No.237241 参照)が行われた8月第3週にあやかって4年連続(オールスター戦ネタも含め)の登場となりました。

馬場と猪木の対決と言えばこれまで再三お届けしたように、執拗に挑戦を繰り返す猪木、黙殺し続ける馬場という図式でしたが、実はたった一度だけ馬場の方から「挑戦を受けてやるから参加してこい!」と呼びかけた大会があったと書けば驚く方も多いのではないでしょうか。
それが、全日本プロレスが1975年(昭和50年)の掉尾を飾って開催した大会、「オープン選手権」でした。
この画期的な大会が行われる事になった当時の時代背景をまず再現してみましょう。

前年の1974年(昭和49年)は新日本プロレスのアントニオ猪木が日本統一の為の戦いを本格化させた年でした。
この時代は新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレスの三団体時代(女子は除く)でしたが、3月19日、猪木は国際プロレスを離脱してフリーとなった(事実上、新日本の引き抜き)元エースのストロング小林と対戦してジャーマンスープレックスホールド(原爆固め)で勝利、4〜5月に開催された「ワールドリーグ戦」では公式戦と決勝戦で同門の坂口征二とも戦い(公式戦は時間切れ引き分け、決勝ではドクターストップで勝利)、10月10日にはフリーの大物、大木金太郎をバックドロップで撃破するなど、破竹の勢いで名実ともに実力日本一の座に王手をかけつつありました。
そんな猪木は春頃からしきりに、もう一方の雄である馬場との対戦と日本統一、即ち日本選手権の開催構想をアピールしていました。

この年の秋、馬場は月刊ゴング誌の編集長だった竹内宏介氏(故人)のインタビューに応じ、猪木の挑戦問題に対して独自の理論で反論しました。
「ありとあらゆる手段で追いかけられた感じだね(苦笑)。まあプロレス世論というものでは馬場は無視したとか挑戦を逃げたとかさんざん言われたけど、マスコミの皆さんにはもう少し冷静な目でプロレス界の現状を見て欲しかったですね。
最近のマスコミのこの件に関する扱い方はまるで喧嘩を煽っているような感じだものな。
本来、公平であるべきマスコミがそういう姿勢ではそれこそ話し合いのテーブルに着くのも難しくなるよ。」
(馬場さん自身、猪木選手とは金輪際戦う意志はないのですか?)
「そんな事はない。俺だって猪木との試合がファンが望む最高の試合だと言う事は分かっているし、実現したら日本のプロレス史に残るような勝負になると思う。

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 猪木の挑戦問題に対して
静かに反論する馬場

いずれは絶対に実現しなくてはならないカードだと思う。ただ、今は…」
ここで竹内氏は先手を打っていつもの馬場の十八番の台詞で切り返しました。
(時期尚早という事ですか?)
「(苦笑)俺の考えではこういう形式の試合は挑戦されたら即実現するという内容のものではないと思う。お互い別の組織で活動しているのだから、まず試合を統括して管理する統一組織が出来てからではないかと思う。」
(それなら馬場さんはそうした統一組織の実現に積極的に努力する気はあるのですか?)
「これは全日本プロレスを作った時点から俺の理想とするところだよ。
ただ、そういう気持ちを持っていても、ああいう形で一方的に挑戦表明をしたりされるとな…。それでなくても難しい他団体との話し合いがますます難しくなる事だけは確かだね。とにかく俺はいつでも話し合う用意はあります。大人の話し合いならね…。でもこれだけ個人的な感情が入ってくると難しいと思うけどね。」
(猪木さんは力の強い者が勝つ世界なんだから、王者なら誰の挑戦でも受けるべきだと主張していますが…)
「ある部分ではその通りだと思うけど、我々はあくまでプロレスラーであって街の喧嘩じゃないのだから、きちんとしたルールと組織の下で対戦するのが当たり前です。
猪木は、これは日本のプロレスの発展につながる戦いだと言っているようだが、自分個人の名声と利害を得る為の戦いなら逆にマイナスだよ。
俺は、挑戦を受けろ!と言う前に試合を実現する為に話し合いを、と言ってもらいたかったね。」
大人の態度に終始していた馬場でしたが、やはり一連の猪木からの挑戦問題に対しては内心腹を立てていただろう事を竹内氏はひしひしと感じたと述懐しています。

そんな馬場の神経を逆なでるかの如く猪木は12月12日、ストロング小林との再戦を卍固めで返り討ちにした試合後の控え室で、詰めかけた記者団の前でまたも爆弾発言をぶっぱなしました。
「これで残る戦いはジャイアント馬場ですよ。私は今日から日本統一、世界統一へより積極的に行動を開始しますよ。その為の第一目標はジャイアント馬場さんです。
あえて`さん;をつけて呼んでおきますがね。
今日は試合が終わった後、テレビの前で馬場さんへの挑戦、日本選手権の開催宣言をやろうと思ったのですがそのチャンスがなかった。
だからこの場ではっきりと言わせてもらいます。明日(13日)馬場さんへの公開質問状、公開挑戦状を内容証明付きで発送します。ここまで来たらもうファンを誤魔化す事は出来ない。ここではっきりさせなくてはいけないと思う。」
当然記者からは「あなたがいくらやると言っても馬場さんは受けないのでは?」という質問が出ました。
「やらないならやらないでいい。俺は馬場さんはやらないと思いますよ。
でもそれならはっきりやらない理由をファンに示すべきだと思う。
時期尚早とか、今はその時期じゃないとか、プロレス界のマイナスになるとか、格が違うとか、偉そうな事を言っても結局、俺の挑戦を避けているだけじゃないですか。
あれは逃げ口上ですよ。やってもかなわない、勝ち目がないから日本選手権を棄権すると本音を言えばいいんですよ。」
鼻息の荒い猪木は翌日、公約通り馬場に対する挑戦状を発送、マスコミにも公開されたその書面には「立ち上がり給え馬場くん! 男らしく決着をつけようじゃないか!」と刺激的な言葉が添えられていました。
猪木は「対戦が実現するならテレビ放送も興行権も全てそちら側に任せる」と譲歩して追い打ちをかけましたが、ここまで言われても馬場の態度は変わる事はなく、こんな不穏な状況下で年が明け、二人が公式の場で同席する事になったから大変です。
1月5日東京プリンスホテルで開催された、東京スポーツ主催の第一回目の「プロレス大賞」の授賞式がその舞台となりました。
関係者の間で「ひょっとしたら猪木が馬場に殴りかかるのでは?」などと無責任な噂が流れた当日、猪木の方が先に会場に到着、遅れて到着した馬場の周りは全日本プロレスの選手たちがまるで護衛するかのように取り囲んでいました。
会場中央のテーブルを挟むように対峙する馬場陣営と猪木陣営、パーティに相応しい和やかなムードは全くなく不気味な緊張感が漂う館内、授賞式では壇上で馬場と猪木がかなり近い距離で並んだものの二人は言葉も交わさず、視線すら合わせようとしませんでした。

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 プロレス大賞授賞式で
同席したBI、その胸中は?

受賞者の記念撮影タイムとなり、カメラマンが「お二人で握手をお願いします!」とリクエストしても二人は全く聞こえないふりをして立ち尽くすのみ、そして授賞インタビューで猪木が「今年はこの賞にかけても、人さまに後ろ指をさされるようなプロレスをやらないように頑張る。」と皮肉たっぷりに語るのを苦虫を噛み潰すような表情で聞いていた馬場は記念撮影が終わると「今日はスポンサー筋とのゴルフの約束が前から決まっていたので」とさっさと会場を後にしました。その顔にはこんな場所からは一秒でも早く立ち去りたいと書いてあったそうです。

その確執の根深さから両雄が同じリングに上がる事など夢のまた夢と思われていましたがこの年の9月29日、馬場は記者会見を行い、突然冒頭に記したようにオープン選手権の開催を宣言したのです。
それは全米各地からチャンピオンクラスのトップレスラーを集結させて優勝争いを行うという壮大な内容で、さらにオープンと銘打っている以上、広く門戸を開放して日本国内の各団体からも代表選手の参加を求めるという画期的な宣言でした。
あまりにも唐突な爆弾発表に言葉を失う報道陣、質疑応答の時間になって一人の記者が質問しました。
「それはズバリ、もしアントニオ猪木選手が出場してきたら対戦すると言う事ですか!?」
馬場はとぼけ気味に「そういう事もありますなあ。」とだけ語ってニヤリ、これまで猪木の挑戦を黙殺し続け、メディアを利用したあらゆる挑発に対しても我関せずだった馬場が公の場で「戦いたいなら参加して来い!」と表明したのですから誰もが耳を疑いました。
それから馬場は「他団体へは正式な書面で参加要請をするのか?」という問いに
「外国の団体には正式の文書を出しますが、日本の団体はここで私がこうして発表し、皆さんが記事にしてくれる事でわかるでしょうからあえて招請状を出さなくても…」と付け加えました。
竹内宏介記者は著書の中で最初にこの話を耳にした時、(こんな呼びかけをして猪木が本気で参加を表明したらどう対処するつもりだろう?)と不安を感じたと書いています。
前年に小林、坂口、大木を倒し名実ともに実力日本一になりつつあった猪木は最盛期の32歳、一方5歳年上の馬場は体力的には下り坂の37歳、もし今BI対決が実現したら馬場に勝ち目はない、少なくとも竹内氏はそう予想していたからです。

馬場の思わぬ大胆な呼びかけに猪木の反応に注目が集まりました。
「主旨には大いに賛成だね。以前から俺の言ってきた事だからね。
まだ正式な出場要請はないし、どんなルールでやるのかもはっきりしないので出るとか出ないとか言える段階ではないが、こういう大会に反対ではない。
自分としては出場したいという前向きな気持ちは持っているが、それも馬場の出方次第だね。俺と馬場が日本選手権を賭けて戦うのなら無条件で出たっていいけどね。
しかし有象無象と一緒にトーナメントをやるというだけでは無条件には出られないね。
興行収益とかテレビ中継をどうするのか、出る以上はこちらにもメリットがないとね。俺を出場させたければ俺が納得がいく条件を持ってくる事だね。」
これまでの発言から無条件で名乗りを上げてくるかと思われた猪木も流石に馬場の真意が掴めなかったのか、慎重なコメントに終始しました。
「具体的な話があれば考える」という猪木と「この記者会見が他団体に対する表明」とする馬場、既にこの時点で二人の見解は噛み合っていませんが、すわ、猪木の全日本プロレス参戦が実現し、待ちに待ったBI対決が実現するのか!?
ファンやマスコミが色めき立ち騒然となったのは言うまでもありません。

(次回へつづく)
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