(前回からの続き)
前回詳報の通り、8月27日から日本小売業協会さん主催の「第16回 欧州最新流通&物流システム視察会」に参加しました。
何やら長いタイトルですが第16回とあるように、毎年訪問国を微妙に変えながら今年で16年連続の開催となる意義深い視察旅行です。
今回訪れるのはドイツ、チェコからベルギーを経由してフランスの計4ヵ国で、日程は11日間に及ぶハードな旅でした。
申し込みを済ませた後、某お得意先から取引先の会での海外旅行の案内がありました。
行き先を見るとトルコ!いつか一度行ってみたいと思っていた国ですが、日程を見るとこちらの旅行ともろ同じの8月末(涙)、さらに大阪中小企業投資育成さんからも海外視察の案内が届き、こちらの行き先はインドネシアでしたがこれまた8月末! なんで皆さんこう同じ時期に旅行をやりたがるのかと苦笑してしまいましたよ。
しかし極めつけはアントニオ猪木議員による8月30、31日北朝鮮の平壌でのプロレスイベント開催が電撃決定! いや〜、これはマジで行きたかった! 北朝鮮に行く機会などなかなかないですからね〜。
そう言えば私が日本にいない間に週刊新潮がスッパ抜いたそうですが、猪木さん2012年の末に三度目の離婚をしていたそうで…。 皮肉にも私が三度目の結婚を御紹介した(FILE No.352 参照)昨年秋に正式に離婚が成立した模様、元気があれば離婚もできるってか!?(笑)
話を戻して様々なオファーをお断りし一番最初の約束通り、小売業協会さんの欧州ツアーに参加した律儀な(笑)私でした。
第1日目 8月27日(水)
ドイツ(フランクフルト → ベルリン)
いよいよ出発日、本来は成田空港出発なのですが、私は旅行社にお願いして関空発着にして頂いたので助かりました。 関空集合組は私を含め四人、一人では途中の乗り継ぎなどとても自信がありませんが、これだけいれば心強い限りです。
8時に空港集合につき朝は4時半起床、おかげで10時発のルフトハンザ航空に乗った瞬間から心地よい眠りに落ちる事が出来ました。
約半日のフライトでドイツのフランクフルトの空港に当着、日本との時差は7時間なのでこちらはまだ15時前です。 ブラジルに行った時の27時間を経験してしまったので、半日程度の移動は軽く感じてしまいました(笑)。
飛行機を乗り換え16時45分発の便に乗り一時間後にベルリンへやって来ました。
ここでデュッセルドルフ経由でやって来る成田出発組と合流する手筈です。
待つ事約1時間、ようやく成田組が到着、お馴染みの小売業協会の近江部長や、ブラジルでご一緒した方も何名かいらっしゃいます。 添乗員も含めこれで総勢22名が揃いぶみ、 毎度ながら多彩なメンバーですが、やはり今回は物流関連の方が多いのが特徴でした。
この夏スマホを買い換えた時、そのままで海外でもメールやインターネットがOKと聞いていたのにドイツへ到着してみるとどちらも繋がらないじゃないか! バカヤロ〜、いい加減にしろ! 何故か国際電話だけは通じるものの、すっかり当てが外れてしまいました(涙)。
そのまま空港からバスで夕食に向かいましたが日本なら既に深夜、しかも飛行機内で計3度も食事が出たので身体が受け付けません。ま、とりあえずドイツと言えばビール、という事で無理やり流し込みホテルにチェックイン、長い一日が終わりました。
第2日目 8月28日(木)
ドイツ(ベルリン → ライブチヒ)
前夜は長旅の疲れから、23時頃にはベッドに入ったのですが時差のせいでしょう、夜中の2時頃目が覚めて朝まで眠れなくなってしまいました。
どうせ眠れないのならと朝4時頃から当然海外にも持参したゴムチューブを使って筋力トレーニング、さらに朝食前にホテルの近くを散歩に出たら予想外の寒さ、薄着だったので鳥肌が立って来ました。もっとも日中の気温は連日20〜25℃、暑くもなく寒くもない過ごしやすい毎日でした。 これまで行った先がインド、ブラジル、ミャンマー、カンボジア…etc、大概暑い場所ばかりだったので(ロシアですら6月で暑かった!)やっと涼しいベストシーズンの国に来る事が出来ましたよ。
朝9時にホテルを出発してベルリンの市内を見学、ドイツの象徴と言われるブランデンブルグ門を拝んでからベルガモン博物館を見学し、昼食は欧州での三大百貨店の一つと言われるKeDeBeのフードコートで済ませました。バイキング方式で自分の好きなものをチョイスして精算という方式でしたが、オマール海老が美味しそうだったので思わず手を伸ばしてしまいました。
午後からは有名なベルリンの壁を見学、長きに渡って東西ドイツを首都ベルリンで分断していたこの壁が崩れたのが1989年11月9日の事でした。
全く同じ時期、プロレス界でも長年冷戦状態を続けていた2大メジャー団体、新日本プロレスと全日本プロレスが雪解けの時を迎えつつありました。
水と油の両団体が手を組むなど、馬場と猪木の長年の確執を知るものには絶対に有り得ない事なのですが、この年の夏猪木が参院選に出馬し当選、坂口征二に社長の座を譲った事で流れが変わったのです。 馬場と坂口は日本プロレス時代からツーカーの仲、両団体の話し合いで先ず、翌年から新日本の常連外国人だったスティーブ・ウイリアムスの全日本へのトレードが決まりました。 引き抜き行為ではなく選手がこのような形で円満に移籍する事はマット界初のケースでした。
その見返りとして新日本が90年2月10日に行う東京ドームでのビッグマッチには、過去全日本の常連だったNWA世界ヘビー級王者、リック・フレアーの参戦が決定したのですが、ここで問題発生、アメリカ側の政治的事情によりフレアーの来日が急遽中止になってしまったのです! 東京ドームを目前にして目玉カードが吹っ飛ぶ緊急事態、大ピンチの新日本を救ったのは馬場の大英断でした。
「選手を貸して欲しい。」という坂口の要請に「ああいいよ。」と何と二つ返事、こうして 当時全日本所属の主力選手、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、谷津嘉章、スタン・ハンセン、タイガーマスク(三沢光晴)の新日本出場が電撃決定したのです!
翌日の新聞の「新日本対全日本対抗戦決定」の見出しを見た時、すぐには信じられませんでした。 私は早くから前売り券を買っていたので助かりましたが、当然チケットはあっという間に完売、プロレスマスコミはこぞって「マット界のベルリンの壁崩壊!」と書き立てました。
因みに当日のマッチメイクは長州力、ジョージ高野組vs天龍源一郎、タイガーマスク組、木村健悟、木戸修組vsジャンボ鶴田、谷津嘉章組、そしてビッグバン・ベイダー vs スタン・ハンセンの外国人最強対決、いや〜、懐かしいなあ。
…すみません、またもプロレスの方に話が脱線しておりますが、私の場合ベルリンの壁と聞くとドイツではなくあの歴史的な一日、90年2月10日を条件反射的に思い出してしまうのです(笑)。
夕方にはベルリンを離れ今夜の宿泊地であるライブチヒヘ、ここはワーグナーやシューマンを生んだ音楽の街として有名だそうです。
バスで二時間ぐらいと聞いていたのですが、途中でドライバーの休憩が30分入った事もあり3時間近くかかりました。 こちらでは「○時間走ったら必ず○時間休憩」と言った具合にかなり規制が厳しいようです。
そんなわけで到着は夜の8時半になってしまいましたが、ホテルの前には流石ドイツ、ポルシェが停まっていました。車に疎い私にはよくわかりませんが車輌価格3千万円はするタイプのものだそうです。 私はてっきり「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に出て来るデロリアン号かと思いましたよ(笑)。
何人かの方はチェックイン後外へ食事に出たようですが、夜9時以降は食べないように気をつけている私は途中のサービスエリアでスープと菓子で済ませました。 遅い時間に食べるとどうしても太ってしまうし、翌日胃がもたれるのが嫌なんですよね〜。
(第1〜2日目のダイジェストはこちらをクリック)
第3日目 8月29日(金)
ドイツ(ライプチヒ → ワイデン) 〜 チェコ(プラハ)
まだ時差ボケが残っているのか、この日も朝4時半に目が覚めてしまいました。
この日はライプチヒから南へ260km離れたワイデンにあるWITT(ヴィット)社の物流センターを見学させて頂きました。 現在はOTTO(オットー)のグループである同社は1907年に創業した、100年以上の歴史を誇る婦人アパレルの通信販売会社です。 17万m2のこの出荷センターでは4万5千種類のアイテムを扱い、ドイツを中心に欧州全体に出荷しているそうです。
14時半に見学を終えて出発、次は今夜の宿泊地であるチェコの首都プラハへ200kmの移動です。 今回の視察はひたすら長時間のバスの旅が続きますのでこれぐらいはまだ序の口、後半はもっと過酷な移動が待っています…。
18時にようやく目的地に到着、プラハに来るのは2002年にサンN会の旅行で来て以来ですが、美しい町並みが強く印象に残っていていつかもう一度再訪したいと思っていました。 何しろ街全体が世界遺産ですからね〜。
ホテルにチェックイン後、食事の為何人かで旧市街広場まで歩きましたが、何か映画のセットの中にいるような錯覚を覚えました。
チェコ料理のお店で食事を済ませましたが帰り際に事件発生! お店を出てからメンバーの一人である78歳の女性の姿がない事に気がついたのです。 トイレに寄っていたのでうっかり置き去りにしてしまったわけですが、何人かが慌ててお店に戻ったところ既にお店に姿はなし、あらら迷子にしてしまいました。
ホテルまでは10分ほどの距離ですが果たして単独で帰りつけるかどうか…。
皆で一度ホテルに戻り、フロントから部屋に電話してもらうも反応なし、念の為、部屋まで行って(偶然にも私の隣室でした)ドアをガンガンノックしましたがやはりまだ帰っていません。 こりゃいよいよ迷子だと、再び市街広場まで戻り手分けして探しましたが、この夜の広場は物凄い人でとてもじゃないけど探しようがありません。
ホテルで待機していた添乗員さんに電話連絡したところ、わざわざマスターキーを使って部屋に入って確認してくれたそうですが依然もぬけの殻、そうこうしているうちにかれこれ二時間近くが経過、遂には広場をパトロール中の警官に届け出る事態となりました。
とにかくこれ以上ここにいても仕方がないので一旦ホテルに引き上げる事にしましたが、そこに添乗員さんから電話、今、再度部屋を見に行くと無事帰って来ているとの知らせでやれやれと肩の荷を降ろしたのでした。
本人曰く「トイレを出て外へ出たら皆がいなかったのでぶらぶらして帰ってきた。」との事、でも私も何度か経験ありますが異国で迷子って恐怖ですからね〜。おかげで良い有酸素運動ができました(笑)。
明日はゆっくり市内を見学してプラハにもう一泊です。
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(次回へつづく) |
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