〜ミル・マスカラス&テリー・ファンク 来日記念〜 |
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(前回からの続き)
今週二度目の更新は引き続き12月のネタで、第二週は2014年最後の東京出張でした。東京の夜は何と言っても後楽園ホール、今回は仮面貴族ミル・マスカラスとテキサス・ブロンコ(荒馬)テリー・ファンクが同時来日と言う奇跡が実現しました!
昭和の二大スーパーヒーロー、リビング・レジェンドが夢の競演、これを奇跡と言わず何を奇跡と言うのでしょうか?
…一ヶ月が過ぎた今もあの日の事を思い出すと興奮しますが(苦笑)冷静に振り返ってみましょう。
大会のチケットは今回もこの興行をプロモートしたNOSAWA論外選手から購入しました。 早く予約したおかげでリングサイド最前列の真ん中辺りを用意してくれたのですが、この事が当日とんでもないラッキーを引き寄せる事になったのです…。
待ちに待ったメインエベント、主役であるマスカラスとテリーは夢のタッグを結成(船木誠勝とのトリオ)しました。
メインに出場する六人の選手が一人ずつテーマ曲に乗って入場、いよいよテリーの順番となり館内に「スピニング・トーホールド」が流れ出すとテリー・コールが大爆発!
通路を埋め尽くしたファンにもみくちゃにされながら入場するテリー、80年代にタイムスリップしたかのような光景です。
そしてトリを務めるのは勿論マスカラス、「スカイ・ハイ」のメロディが流れると館内はもはやうるうる、試合前からできあがった状態となりました。
マスカラスは試合の度に違うデザインのマスクを着用する事から「千の顔を持つ男」と言われています。そしていつもマスクを二枚被っていてオーバー・マスクを客席に投げ込む事はあまりにも有名です。
昔はリングアナが「ミル〜、マスカラス〜!」とコールすると同時にさっと投げていましたが何故か近年はリングインと同時に投げるようになりました。
投げ込まれたマスクを求めて客席で激しい乱闘?が起こるのをテレビや会場で何度も目撃しましたし、その昔は虫捕り網を持参して空中でキャッチしたファンがいた?などというエピソードまであるほどです。
30年以上も前からマスクをゲットできた幸運な人を羨ましく思っていましたがこの日は前述のように最前列、しかもマスカラス側の赤コーナー付近だったので試合前から(こっちに飛んできたらいいなあ〜)と淡い夢を見ていました。
この日は全身を豹柄で統一したマスカラス、リングに上がるといつものようにマスクを外すとウソ!? 私の方に向かって投げてくれたのです!!
抜群の運動神経を発揮して?素早くジャンプして空中で捕獲に成功、夢にまで見たマスカラスのマスク、ゲットしちゃいましたよおおおお!!!!
リング上から対戦相手の論外選手がこっちを見て「俺にくれよ!」というポーズをしているし、周りのお客からは拍手されるわ、「おめでとうございます」と握手まで求められるわの大騒ぎ、これも論外選手の用意してくれた席のおかげですよ(感謝)。
後日、スカパー!でのオンエアでも私がマスクをキャッチする瞬間がしっかり映っていました。映像を見ると他にもかなり手を伸ばしているライバルがいたんですね〜、現場では夢中で全然気がつきませんでしたわ。
佐野先生にメールで報告したら「驚きと感動、まさに奇跡!田宮さんのプロレス愛が引き寄せたとしか思えません!」と自分の事のように喜んでくれ「是非マスクを見せてください、その時は個室のある店を予約しましょう、居酒屋や焼肉屋ではいけません!」(笑)、ゴルフでホールインワン出した時のように祝賀会を開催して後楽園ホールに記念植樹でもしましょうか(笑)。ああ、ホールインワン保険ならぬマスカラス保険に加入しておくべきだった…。
完全に舞い上がって試合中も夢見心地だった私、テリーのジャブとサウスポーのパンチ、マスカラスのフライング・クロスアタック、昭和の時代と変わらぬムーブに館内も沸きっぱなしでした。
週刊プロレスのグラビアのキャッチコピーを借りればまさに「プロレス文化遺産」…観客だけでなく取材するマスコミも、そして対戦相手すらもこの日は皆、ファンに戻っていたのだと思います。何しろ21世紀の今、この二人の試合が見られる事自体が奇跡なのですから…。
至高の時間は15分過ぎ、いよいよフィニッシュに突入、マスカラスが論外をコーナーに叩きつけショルダスルーで投げると素早くコーナー最上段へ。
「あっ、出るぞ!」という期待感で館内が一つになる中、やはりこの技、ダイビング・ボディアタックがとどめになりました。しかもこの時テリーはスピニング・トーホールドをカズ・ハヤシに決める好アシスト、二大レジェンドの必殺技の競演という最高の締めくくりでした。
「スカイ・ハイ」が流れる中、リングの周りに殺到するファンの歓声に応える二人、何とも感動的なフィナーレ、この日テリーとともに来日してリングサイドで観戦していたビッキー夫人は号泣していたそうです。
試合後テリーは売店に直行してサイン会を開催、ここには何と200人ものファンが並びました。ポートレートに一枚一枚丁寧にくるくるっとお馴染みのサインを入れるテリー、実は私、学生の頃このサインをよく真似ていたものです。今でも書けますよ(笑)。
遂に実現したドリームマッチでしたが、夢の競演は実は一歩間違うと本当に夢で終わってしまうところだったのです。
テリーは当初、試合前日の12月10日午後に来日する予定でした。ところがテキサス州ダラスの空港が悪天候により閉鎖するアクシデントが発生、この日テリーはいったん同じテキサス州アマリロにある自宅に帰りました。翌日の飛行機はキャンセル待ち状態、もしテリーが来日できなければ興行は台無しになると思うと論外選手は一睡もできなかったそうです。
運命の11日、試合に間に合わせる為には逆算するとアマリロを朝6時台の飛行機に乗らなくてはならないのでまだ深夜の3時半にテリーの自宅に電話する論外、するとテリーは「駄目だ、日本に着くにはあと二日はかかる。」その瞬間血の気が引いたと言う論外、その気持ちは本当によくわかります。
しかしこれはテリー一流の悪いジョークで「冗談だよ。今から家を出る。俺もユーと試合がしたいからな。」テリーさん、ジョークがきつすぎます(笑)。
幸いにも日本行きの便にキャンセルが出たのでテリーは試合開始のわずか数時間前に到着、時差ボケも何のその、試合とファンサービスまでこなしたのですからそのプロ意識には頭が下がります。
本当に奇跡の時間を、そして私にマスカラスのマスクを与えてくれたプロレスの神様に感謝です。しかし私はこれで一生分のツキを使ってしまいました(苦笑)。
(マスカラス&テリー夢の競演はこちらをクリック)
一夜が明けたものの前夜の興奮がまだ冷めやらぬ翌日、この日は御茶ノ水のイタリアンレストランで海外視察でいつもご一緒する近江部長、安井先生とともにランチタイム、実現するかどうかはわかりませんが2015年の海外視察の構想を語り合いました。
夜は華名選手の試合が目的で初観戦となるレイナ女子プロレスに足を運びました。
会場は実に久々の新木場、都心からは少し遠いものの小さくて何処から見てもリングサイドだし、照明も明るいので見やすい会場です。
華名選手は同団体のコンサルタントに就任という名目で参戦、試合をするだけでなくマッチメイクにも関わっているとの事、そう言えばマスカラスやテリーもアメリカではメジャー団体の束縛を嫌って各地のインディペンデントを主戦場にしていたものですが、各団体の救世主的存在となる華名の姿が何となくダブって見えます…。
この日の大会の前座にはメキシコのゴージャ・コングとムニョカ・デ・プラタなる双子のデブコンビが登場、4対2のハンディ戦も何のその、相手を圧殺して客席を沸かせました。
私はマクガイヤー兄弟を思い出しましたよ(←古いね 笑)
(レイナ女子新木場大会はこちらをクリック)
そして翌日は水道橋でマスカラスがサイン&撮影会を開催、会場に車で現れたマスカラス、何とルパン三世も真っ青の上下とも深紅のスーツ姿!
しかしスーパースターはどんな格好でも似合いますよねえ、負けじと?私も赤のマフラーとネクタイで挑みましたがやはり全身から立ち上るオーラが違います。
孤高の天才もやはり仮面貴族には勝てませんでしたが、私が二日前にゲットしたマスクを持参するとマスク越しに柔和な目で喜んでくれました。
マスクには元々、ベロの部分に「To Amigo」(スペイン語で友達への意味)の言葉とともにマスカラスのサインが入っていたのですが、さらにこの日の日付けと「TOKYO」「Lucha」と入れてくれました。ルチャとはルチャ・リブレの略でメキシコでのプロレスの総称です。スペイン語で「自由なる戦い」という意味だそうですよ。
外で待っている時も熱心なファンたちが「マスクの写真撮らせてください。」と私の下に集まりだしその場で臨時の撮影会開始?幸せは皆で分かち合いました(笑)。
尚、この日テリーはノア高知大会に挨拶とサイン会の為来場、現地から有光支店長が写真を送ってくれました。
永遠不滅であって欲しいスーパーヒーロー、しかし時間は容赦なく過ぎていく残酷なものです。だからこそ私も一期一会の気持ちで可能な限り夢を追いかけたいと思っています。
さあ、マスカラスマスク獲得記念祝賀会、いつやろうかな(笑)。
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(次回へつづく) |
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