(前回からの続き)
話がすっかり脇に逸れましたが今回の主役、WWEもアメリカ東部地区を代表してNWAのメンバーとなっていました。
1982年、父親から全株式を買収してWWEのオーナーとなったビンス・マクマホンは大きな野心を持っていました。
彼には暗黙のルールによってお互いのテリトリーを尊重し、決して他の地区の妨害をせず旧態依然としたやり方で興行を続けるNWAのメンバーが、ぬるま湯に浸りきっているようにしか見えなかったのです。
全国のファンが自分の地元のローカル・プロレスしか見る事が出来ない、他の地区ではどんなプロレスが行われているかを知る術もない、そんな現状に満足しているはずがないと確信したマクマホンは、全米中に進出し全国制覇を成し遂げるという途方もない大きな野望を実現する為、83年に正式にNWAを脱会、84年からこれまでの均衡を破り各地への侵略を開始したのです(この侵略行為は同名のSF小説のタイトルに例えられて「1984」と呼ばれた)。
その戦略はまず当時急速に発達し始めたケーブルテレビによって、各地でWWEの試合を流す事が第一歩でした。
地元のプロレスしか知らなかったファンには大変これが新鮮でしたが、そのうえ豊富な資金力に物を言わせ地元の人気スターを次々と引き抜き敵を骨抜きにしたうえで敵地に乗り込み、興行を打つのですから攻められる側はたまったものではありません。
各地でWWEvsNWA連合軍の激しい興行戦争が勃発しましたが、ケーブルテレビによる宣伝とスター選手を引き抜く物量作戦を展開するWWEの空爆攻撃に各地のプロモーションは防戦一方、弱体化の一途を辿りました。
中でも「超人」ハルク・ホーガンの獲得に成功した事が、結果的にWWEの勝利を決定づけたのは間違いなく、WWEはホーガンをリアルアメリカンヒーローとして徹底的に売り出し、ホーガンは国民的英雄として巨大な存在になっていきます。
そして85年、WWEはとどめとばかりに史上空前のビッグマッチを開催、それが記念すべき第一回目の「レッスルマニア」です。
WWEはこの祭典に総力を挙げて歌手のシンディ・ローパー、アクションスターのミスターT、モハメド・アリら超豪華ゲストまで投入する大盤振る舞いで大成功、全米では社会現象と言われるほどのプロレス(WWE)ブームが起こり、マスメディアはこの現象を「プロレスルネッサンス」と称しました。
元NWA世界王者でもあったハーリー・レイスは当時を振り返り、このように述懐しています。
「結果論になるが、NWAのプロモーターたちがもっと結束していればWWEに勝つチャンスは十分にあった。しかし彼らの多くは既に年老いていて、自分が築いた資産を興行戦争で減らす事を嫌がったのだ…。」
レイスの言葉通り、ある者はさっさとプロモーションを閉鎖、またある者は第三者に株や興行権を売却と次々とWWEの軍門に下り落城、かつて栄華を誇ったNWAも事実上解体し有名無実の存在と化し、21世紀の現在、全米のマーケットはWWEによって完全に制圧されました。
勿論今もアメリカには多数のプロモーションが存在していますが、それらの大半は興行も不定期なインディーズのレベル、そしてそのリングに上がっている選手たちも皆「将来の夢はWWEにスカウトされる事」と口を揃え「WWEのファーム」と化しているのが現状なので、やはりWWEが事実上全米を統一したと言っても過言ではないでしょう。
プロレスをここまでビッグ・ビジネスにしたビンス・マクマホンの経営センスには脱帽ですが、賢明な読者の皆様はこれ、どこかで聞いた話と似ていると思いませんか?
そう、この図式、解散した流通システム研究会とそっくり(笑)!
どの業界も同じような事やってんだなあと思いますが、包装業界はアメリカマット界のようにはならないでしょうねえ…。
私はいつもビジネスのヒントをプロレス界から学んでいます!
全米を制覇したWWEは広く世界にも進出を開始、私はインドやカンボジアでもテレビ中継やおもちゃ屋でグッズを目にして今やWWEがプロレスの世界標準となっている事を実感しました。
恐らく世界においてWWEに侵略される事なくその国独自のプロレスが栄えているのは、わが日本とメキシコぐらいではないでしょうか?
勿論日本にも、そしてメキシコにもWWEは定期的に遠征していますが、だからと言ってその国のプロレスが衰える事はなく、きちんと棲み分けができています。
WWEが初めて単独で日本にやって来たのは1994年で、「マニアツアー」と題し横浜アリーナ、名古屋レインボーホール、大阪城ホール、札幌・月寒グリーンドームと言った大会場で興行を行いました。
日本のプロレス界に黒船がいよいよ上陸!?と騒がれましたが、いざ蓋を開けてみると興行的には大惨敗、私も名古屋と大阪は観戦に行きましたが試合は面白かったものの、客席には閑古鳥が鳴いていました。
プロレス先進国である日本はWWEとしても絶対に制覇したいマーケットだったはずですがすっかり出鼻をくじかれた格好、何故失敗したかと言うと、単純にその頃はWWEに興味を示すファンが少なかったという事でしょう。
まだスカパー!もなく、WWEの試合映像を見る手段は高額のビデオソフトを購入するぐらいしかない時代でしたから、高いチケットを買ってまでやって来るのはよほどコアなアメリカン・プロレスのマニアぐらいで、後楽園ホールならいざしらず大会場のツアーは無謀だったのです。
全米を制圧したWWEも日本では完全にマーケット・リサーチに失敗、日本進出プランを根本から見直し、21世紀になってようやく年に一度のペースで再上陸するようになりました。
この頃になるとWWEファンは飛躍的に増え、会場には若者が多数詰めかるようになりました。 スカパー!でWWEを視聴しているそれらの人々の大半は日本のプロレスを見ていない人たち…野球やサッカーが目的でJ-SPORTSと契約した人がWWEの中継を目にして虜になったのです。
日本のプロレスファンにはショーアップされたWWEのソープオペラ的なプロレスに興味を示さない(または毛嫌いする)人も多いと思います。
かくいう私も勿論、戦いを感じさせる日本のプロレスが好きなのですが、WWEの試合を見ていて思うのは、いざゴングが鳴るとリング上で展開されるのは案外と基本に忠実でトラディショナル(伝統的)でレスリングだと言う事です。
過激になり過ぎた感のある日本のプロレスのように、これでもかこれでもかと大技が連発されるわけではなくその選手の必殺技が炸裂すると大抵の場合3カウントが入ります。
ジャパニーズスタイルを見慣れていると呆気なく感じるでしょうが、一つ一つの技を大事にしている姿勢には好感が持てます。
後述しますが、これはやはり現役時代一流レスラーだった人たちが現在、WWEのマッチメイカーやロードマネージャー、コーチをしている影響だと思います。
昔とはすっかり風景が変わった米マット界ですが、古き良き時代のアメリカンプロレスの伝統芸はきちんと受け継がれているのです。
それにしても連日のようにWWEの番組を見ていて、選手たちが相当に長い台詞を流暢にマイクで喋るのにいつも感心しています。
NGを出したら撮り直しができるテレビドラマの撮影とは違い大勢の観客が見守る前でのパフォーマンス、かと言ってWWEの過密な試合スケジュールからすれば、舞台やお芝居のようにリハーサルや通し稽古をしているとも思えません。
一体選手たちはいつどうやって台詞を覚えているのか、それにシナリオライターが本当に何人ぐらいいて何処まで関わっているのか、WWE製作の裏側が少しでも知りたくてプロレス評論家のフミ斎藤こと斎藤文彦さんがネット上で連載しているコラム(http://nikkan-spa.jp/777977)に質問のメールを送ったら見事採用されましたので以下、フミさんの回答を要約してお届けします。
(前略) WWEスーパースターの毎週のスケジュールは土曜、日曜がハウスショー(テレビ中継のない地方公演)で、月曜が「ロウ」の生中継、火曜日が「スマックダウン」の収録(木曜にオンエア)、基本的には週を4日のサイクルで動きその前後の1日ずつが移動日となっている。テレビやイベント出演と言ったイレギュラーなタレント業務は金、土曜にブッキングされるケースが多い。ハウスショー、テレビテーピングの他にPPV特番が年間12イベントあり、隔月ペースで海外ツアーも開催される。
月曜の「ロウ」も火曜の「スマックダウン」も基本的にはテレビ番組作りの現場だ。
タレント(WWEスーパースター)もスタッフもお昼の12時までに試合会場に全員集合しなければならない。 選手はいったん出席簿にサインした後、近くのジムに練習に行ったりする場合もあるが、基本的には本番が終了するまで1日中会場内に缶詰めになる。
テレビ番組作りの現場では、その番付に関係なくタレントは常にスタンバイの状態を要求される。
読者のTさん(私の事)の「WWEにシナリオライターは何人ぐらいいるのか?」の質問の答えになっているかどうかはわからないが、「ロウ」と「スマックダウン」のバックステージにはライターと呼ばれる人たちが10人ぐらいいる。但し、このライターたちは映画や演劇などで言うところの脚本家、シナリオライターではなく、ポジション的には放送作家、構成作家とカテゴライズされる番組制作グループの中のクリエイティブ・チームを指している。
番組の構成会議で色々なアイディアやプラン、意見を出すのが彼らの仕事だが、実際に企画・運営・制作・進行についての決定権は殆ど無い。
それは新顔のスーパースターのキャラクター設定に関する草案かもしれないし、リングネームやコスチュームについてのアイディアかもしれない。彼らが50本の新しい企画書を提出したとしたらそのうちの48本ぐらいまではプロデューサー、ディレクターからその場でダメ出しを食らう。 結論から言うとテレビ制作の現場ではライターの地位はそんなに高くない。 一番偉いエグゼクティブ・プロデューサーは一体誰かと言うと、勿論製作総指揮・監督のビンス・マクマホンである。
このあたりは非常に誤解を受けやすい部分なのでキッチリと解説しておいた方が良いだろう。「ロウ」と「スマックダウン」にはテレビ番組としての進行台本があって、それを団体競技として共同執筆しているのが放送作家チームだ。
また、スーパースターの番組内のマイクアピールの台詞を放送作家チームがナレーション起こしする事もある。 プロデューサー、ディレクターからのリクエストに応じてすぐに原稿を書くのもまたライターの仕事と言う事になる。
但し、放送作家チームがプロレスそのもののコンテンツ、つまり試合にタッチする事はない。 そこがスポーツ・エンターテインメントにおけるスポーツの部分とエンターテインメントの部分のビミョーな境界線と言う事になるかもしれないし、ごく単純に餅は餅屋と言う事になるのかもしれないが、試合に関しては試合をマッチメイクするプロデューサー・チームが存在する。
テレビの画面には登場しないがジョニー・エース、マイケル・ヘイズ、リッキー・スティムボート、アーン・アンダーソン、デーブ・フィンレー、ジェイミー・ノーブルら(いずれも元プロレスラー)がその顔ぶれだ。
Tさんの疑問「選手たちはあの長い台詞をどうやって覚えているのか?」というところについては、WWEと言うよりもプロレスと言うジャンルの本質を知る為のヒントがそこに隠されていると考えるとわかりやすい。
ちょっと信じられないようなお話かもしれないが、ブレイ・ワイアットと言うカルト系キャラクターはブレイ・ワイアット自身の作品であり、ブレイ・ワイアットは1日24時間 ブレイ・ワイアットを演じているので、あの長い長い台詞はもはや台詞ではない。
ディーン・アンブローズはディーン・アンブローズを、ジョン・シナはジョン・シナを、1日24時間演じていて、ファンタジーとリアリティの境界線の無い空間を生きている。
考えてみればハルク・ホーガンも24時間ハルク・ホーガンを演じている。
ジャイアント馬場さんもそうだったし、アントニオ猪木さんは今でもそうだ。
きっと、プロレスとはそういうものなのだろう。
テレビの画面に登場しなくてもビンス・マクマホンはバックステージからWWEファンを完璧にコントロールしている。マクマホンにとってWWEのリングで起こっている事は全て現実なのである。
ハリウッド顔負けのドラマはただの演技ではない、本気の演技!?と言う事でしょうか。
スポーツ・エンターテインメントはあまりにも奥が深い、奥が深すぎるぞWWE!
初観戦以来20年でここまでハマッてしまうとは自分でも驚きですが、とにかくますますWWEに興味が湧いて来た事だけは間違いありません。
この夏の日本公演が大変楽しみですが、いつの日か本場アメリカでWWEを観戦したいものです。
日本からは観戦ツアーも出ているようですし、一生に一度は世界最大のイベント「レッスルマニア」をナマで体感する事を夢見て、今日もWWEの番組で英語のリスニングを鍛える私です…。
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