(前回からの続き)
21世紀に入り、かつては考えられなかった本物と同等のクォリティを持つチャンピオンベルトのレプリカが新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアから公式グッズとして発売されたり、海外のメーカーが製作したベルトがインターネットで入手できるようになり、ベルトマニアには良い時代がやって来ました。
私も今年になってネットオークションで知り合った方から、アメリカで製作させたと言うベルトを何本か購入しました。(←私も懲りませんね 笑)
まだ面識はないのですが、この方はJ・Sと違って(笑)誠実な方なので安心です。
さて、先月(11月)の28〜29日は珍しく関西で連チャンのトークイベント、まず28日は神戸・元町にあるプロレス・バー「リングソウル」にて小橋建太さんがやって来ました。
これまではなかなか行ける機会が無く初めて訪れた同店ですが、こちらでは過去多くのプロレスラーがイベントを行っています。
小橋さんとは今年4度目のツーショット撮影(うち2度はスリーショット)、今回私が持参したのがプロレスリング・ノアの至宝、GHCヘビー級のチャンピオンベルトでした。
GHC(グローバル・オナード・クラウン)は2001年にノアによって創設されたタイトルで、直訳すれば「地球規模の崇高なる王位」を意味します。
初代王者は三沢光晴選手(故人)、第23代目となる現王者は鈴木みのる選手ですが(このブログの更新日時点、12月23日に丸藤直道選手が挑戦)、2003年3月1日、日本武道館で第6代王者となったのが小橋さんでした。
小橋さんは同王座の最長記録となる735日間も王座を保持、その間実に13回の防衛を重ねましたが、特筆すべきはその13回が引き分けが一つもない、全て完全勝利での防衛だった事です。その完璧な強さに小橋さんはいつしか「絶対王者」と呼ばれるようになりましたが、この小橋=エース時代が興行的にもノアの最盛期で、新日本プロレスを追い抜いて業界の盟主となったとまで言われたものです。
そんな絶対王者の象徴であるベルトを持っての記念撮影、裏にはサインも入れて頂き感激の一夜でした。
そして翌29日は大阪の茨木市内で、私のご近所の上井文彦さんが「過激な仕掛け人」新間寿さんを招いてのスペシャル・トークを開催しました。
新間さんのトークに参加するのは今年8月以来ですが、イベント前にfacebook上で上井さんが新間さんへの質問を募集していたので以前から聞きたかった事を5〜6問書いておきました。しかしいざイベントとなったら全然時間が足りず一つも聞いてくれません(笑)。しかし上井さんは律儀な方なので時間がかかっても全部質問し後日報告しますと約束して下さいました。
さて、この日のテーマの一つは第一次UWF(旧UWF)…83年、クーデターで新日本プロレスを追放された新間さんはフジテレビと接触、テレビ放映の内諾を取り付けると水面下で新団体設立の準備を始めました。
元々UWFはクーデターが終息し臨時株主総会によって新日本の社長に復帰したものの、一度は自分に弓を引いた選手や社員の中で居心地が悪かったアントニオ猪木の受け皿として用意された(*猪木は否定)団体だったのです。
契約金として二千万円(私の知る限り具体的な金額がでたのはこの日のイベントが初)を融通した新間さんに対し猪木は「自分はすぐには行けないから。」と先発隊として、前田日明、ラッシャー木村、剛竜馬、グラン浜田らを派遣、彼らは84年、新日本のシリーズ中に突然姿を消し、水面下から聞こえて来る新日本プロレス、全日本プロレスに次ぐ第三団体結成の噂にマスコミは騒然となりました。
しかし土壇場で猪木は寝返り?新日本に残留、元々アントニオ猪木、長州力、タイガーマスクと言ったネームバリューのあるスターが揃う事がテレビ放映の条件だったフジテレビも降りてしまう悪条件の中でUWFは84年4月、旗揚げを強行しました。
旗揚げこそしたものの元々は猪木の為に作った団体ですから猪木が不参加となった以上、UWFに存在意義はありませんでした。ましてや当時はテレビ局のバックアップがなければプロレス団体は存続できない時代で、フジテレビの放映が消滅した段階で先は見えていた為新間さんは水面下で事態の収拾に乗り出しました。 新日本プロレスとテレビ朝日に接触してUWFは新日本の興行を引き受けるプロダクションとなり、所属全選手が新日本のシリーズに出場、シリーズ終了後数試合UWFの主催興行を行う、テレビ朝日の中継番組の枠のうち15分間だけを「UWFアワー」としてUWFの選手の試合に充てると言った覚え書きを結び、その対価として新日本&テレビ朝日から年間2億4千万円がUWFに支払う条件を勝ち取ったのです。 かつては東京プロレス、そして旗揚げしたばかりの新日本プロレスでお金の問題で血を吐くような思いをした新間さんならでの親心でしたが、「新間さんを男にしようと新日本プロレスを飛び出してついて来たのに今更おめおめ新日本に戻れるか!」とUWFの選手、社員たちは猛反発、その反対派の急先鋒が若き日の上井さんでした。
結局UWFは生みの親の新間さんとも決別、独自の格闘技路線を追求してやがては現在まで続く総合格闘技の基礎を築く事になるのですが、その生い立ちにはこんな複雑な背景があったのです。
新間さんがUWFに関わった期間は短いものでしたが、「過激な仕掛け人」らしく様々な仕掛けがなされました。
当時WWF(現在のWWE)は新日本プロレスと業務提携中でしたが、WWFと極めて親しい関係にあった新間さんは「新日本との契約が終了した後に好きな選手をUWFに派遣してやる。」と言う約束を取り付けていました。
UWF旗揚げシリーズのポスターには新間さんの写真が大きく載り、「私は数十人のレスラーを確保した!」と派手な文字が躍りましたが、この言葉は決してはったりでは無かったのです。
さらに新日本プロレス所属の藤波辰巳選手がWWFインターナショナルヘビー級選手権を保持しているにも関わらず、旗揚げ直前の3月30日、ニューヨークMSGのリング上で若きエース、前田日明を「WWFインターナショナルヘビー級選手権」の王座決定戦に出場させ王座を獲得させると言う大胆な事をやってのけ世間を騒然とさせました。つまりこの時点で日本に藤波辰巳と前田日明、二人のWWFインターナショナルヘビー級王者が存在すると言う珍事が起こったのです。
新間さんの構想としてはWWFから送り込まれてくる挑戦者を相手に前田に防衛戦を行わせ、ゆくゆくは藤波のベルトとの統一戦に持って行くつもりだったのでしょう。
当然の事ながら新日本プロレスは怒り心頭で統一構想にも難色(統一戦を行う事自体が相手側のベルトの存在を認める事になる)、結局は新間さんがUWFからも撤退する事になった為、このプランは暗礁に乗り上げベルトも自然消滅してしまいました。
そんな珍品中の珍品、UWF版のWWFインターナショナルヘビー級のベルトのレプリカを入手しましたので、この日のイベントに持参しました。
前述のネットで知り合った方から購入したのですが、アメリカから届くのが当初は9月と聞いていたので余裕で間に合うと安心していたら納期が大幅にずれこみ、冷や冷やもの、結局手元に届いたのがイベントの二週間前でしたよ。
WWFのタイトルにも関わらず中央に大きくUWFの文字が刻印された政治色の強いベルト、このベルトの本物は果たして今どこにあるのか?新間さん自身もわからないそうで「上井が何処かに持って行ったんじゃないの?」とニヤリ(笑)、新間さん、上井さん、花束贈呈で来場のザ・ボディガー選手と並んで記念撮影をさせて頂きました。
しかし同じ事を考える人がいるもので、会場にはIWGPのベルトを持参している人もいました。さらに何故かPWFを持って来た人も…IWGPは新間さんが創ったタイトルですからわかりますが、何で馬場さんのPWFが(笑)?
いずれは藤波選手の本家のベルトも手に入れて、幻に終わった統一戦に思いを馳せたいものです…。
気がつけば今回は今年最後の更新となりました。一年の最後は今年の総決算的な内容にするはずが、プロレスネタばかりですみません(笑)。
マイ・ベルトコレクションは性懲りもなく来年も紹介していくつもりです、皆様良いお年をお迎え下さい…。
* 次回更新は1月5日(火)となります。
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