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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
 FILE No.503 2016.12.24

「 STRONG STYLE HISTORY(2) 」

(前回からの続き)

上井さんが我が地元・大阪市城東区にて開催する「STRONG STYLE HISTORY」の日がいよいよ目前に迫り、スペシャルゲストの初代ブラックタイガーが11月29日、御夫婦で無事来日されました。
ブラックタイガーことマーク・ロコさんは引退後、スペイン領のカナリア諸島にて悠々自適の生活、今回は実に26年ぶりの来日です。

翌30日に新幹線で大阪入りした御夫妻を夜、上井さんが接待すると言う事で無理にお願いして私も同席させて頂ける事になりました(感謝!)。
その日は朝から緊張状態でしたが、夜6時半に指定されたホテルのロビーに到着、ほどなくして上井さんと今回ブラックタイガーのブッキング窓口になったフリーライターのAさんが姿を見せました。マークさん御夫妻は部屋で休んでおりまもなく降りて来るとの事、胸の鼓動の高鳴りが一層激しさを増して来ました。
暫くすると雑誌で見たままのすらっと背の高い英国紳士が婦人を伴って登場、デタラメな英語で挨拶して握手、我ながら早くも舞い上がっております(笑)。
「焼き鳥が食べたい」と言うリクエストにお応えして上井さんの運転する車で向かった先は、あらら蒲生四丁目、私の家のすぐ近くの上井さん行きつけの焼き鳥屋さんでした。

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 ブラックタイガー出現に
奥様も大うけ

とにかく皆で乾杯、Aさんに通訳してもらって食事の合間合間に色々と質問してみました。その会話を以下、再現してみます。
(現役時代はそれこそ日本中をサーキットされましたがどの町が印象に残っていますか?)
「トーキョーなどの都会よりも小さな田舎町に行くのが大好きでした。」
(日本で一緒になった外国人選手で仲が良かったのは誰ですか?)

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 私が持参したマスクを
持って…

「ハルク・ホーガン! ミスター・イノキから依頼されてまだグリーンボーイだったホーガンにレスリングのコーチをしました。」
(83年8月に初代タイガーマスク(佐山サトル)が電撃引退した時はどんな心境でしたか?)
「かなり時間が経ってから聞いたと思うのですが、当然ショックで困惑しました。」
(佐山さんは翌年UWFで復帰しますがマークさんはそちらに行こうと言う気はなかったのですか?)
「別にオファーがなかったので、そういう気はありませんでした。」

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 このベルトもレプリカ
です。

私の記憶では85年の週刊プロレスのインタビューでブラックタイガーは「カール・ゴッチからUWFに来ないか?と誘いがあったが、聞く話によるとギャラは安い試合は少ない、ほんとに新日本に残って良かった。」といったニュアンスの発言をされているのですが、もう30年以上も前の話、恐らくオファーがあった事自体お忘れなのでしょう。

82年4月、衝撃のブラックタイガー初来日時、まだこの時点では正体不明の触れ込みでしたが月刊ゴングのインタビューでウォーリー山口記者が「貴方はマーク・ロコと言う選手をご存知ですか?」と掟破りのケーフェイ質問を敢行した事がありました。
すると、マスク越しにもわかるムッとした表情で黙って椅子から立ち上がったブラックはおもむろに記者を抱え上げ床の上にボディスラムで叩きつけたのです!
雑誌にも掲載されたこの写真のインパクトが強く、以来私の中で知らず知らずのうちに「素人に手出しする怖い人」と言うイメージが植えつけられていたのですが、実際お会いした素顔のマークさんは180度大違いの気さくなジェントルマン、当時のヒール(悪役)はリング内外でそれぐらいプロに徹していたと言う事でしょう(記者ボディスラム事件の事はご本人も「そんな事もありましたね(苦笑)。」と記憶されていました)。
あっ、もう一つ梶原一騎原作の漫画「プロレススーパースター列伝」のタイガーマスク編の中にあった、ブラックタイガーとアブドーラ・ザ・ブッチャーが新幹線の車中であわやストリートファイト寸前になるエピソード(ご丁寧に「これは実話である」の但し書きが!)はフィクションか否か確かめるのを忘れていました(嘘に決まってるだろ! 笑)。

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 ベルトを持って帰国したい(笑)?
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 素顔のマーク・ロコさんは本当にいい人!

とにかく優しく陽気なマークさんは私が持参したマスクを被ってくれて暗闇の虎に変身!WWFジュニアベルト(日本で唯一奪取した王座)のレプリカを持ってポーズを決めてくださいました。
焼き鳥屋に突如出現したブラックタイガーに店内のお客もびっくりでしたが、タイガーマスクとの抗争をリアルタイムで目撃して来た(82年9月21日大阪、記念すべき新日本初観戦もこの二人の選手権でした)自分が今、家の近所で本物のブラックタイガーと一緒に食事をしていると言うのが何だか信じられない気持ちで本当に夢を見ているようでした。楽しいひと時はやがて終了、再び車で御夫妻をホテルまでお送りして再会を誓い握手してお別れしました。
ブラックタイガーIN蒲生四丁目!はこちらをクリック

一方大会の主役であるマサ斉藤さんですが、容態が危ぶまれていたものの奥様に付き添われて1日の夜に無事大阪入りされたと聞いてほっと一安心、翌12月2日遂に本番の日がやって来ました。
キャパ750人の城東区民ホールは上井さんの営業努力で平日夜にも関わらず大入り満員、会場まで徒歩3分の私が間違いなく一番近い観客でしょう(笑)。
熱気溢れる中で第1試合から地味ながらもストロングスタイルの名に相応しい熱戦が続き、休憩時間後にはブラックタイガーがリングに登場しました。
同じくゲストの初代タイガーマスクと二頭の虎ががっちり握手、二人が会うのは最後の試合となった83年2月7日蔵前のリング上以来と言うので、実に約34年ぶりとなる感動の再会です。
メインを飾るのは金本浩二と高山善廣のタッグ対決、この二人の試合は2004年、上井さんが新日本のマッチメイカー時代に神戸のG1クライマックス公式戦で実現するはずだったのが高山の病気欠場により流れてしまったという因縁浅からぬ組み合わせで、上井さん自身いつかオトシマエをつけたいと願い続けていたものだそうです。

そして全試合終了後、いよいよ本日の主役マサ斎藤の特別イベントが始まりました。
テーマ曲の中花道を自力で歩いて来るマサさん、後で聞いた話ですが本番直前まで車椅子に乗っていたと言うのですから驚異的な精神力です。
マイクを握ってゆっくりと挨拶、呂律こそ回っていませんでしたが館内の誰もが固唾を飲んでリング上のマサさんの一挙手一投足を見守りました。
と、その時、突然「マサ・サイトー、キル・ユー!」と叫びながら通路から現れる大男、いや〜、すっかり忘れてました、予告通り海賊亡霊その名もガスパーXの乱入です!
確かにジェイソンマスクこそ着用しているものの上半身はTシャツ姿、何だよ折角私が用意した衣装着てないじゃん!といささか拍子抜けしましたが、この海賊かなりの大型で私の衣装など小さすぎてとても着られない事は一目瞭然でした(何しろ私自身15年ぶりに試着したら結構きつかったので 笑)。
リングに駆け上がった海賊、手にはステッキの代わりに何故かビニール傘、その傘でいきなりマサさんを一突き、さらに蹴りを見舞います。
病人に対して何て酷い事を!?館内ドン引きの中なおも執拗に攻撃を続ける海賊、しかし防戦一方ながらも膝立ち状態でブルブル全身を震わせ耐えるマサさん、おお、これぞまさに現役時代見た風景です!
館内から爆発する「サイトーコール」「ゴー・フォー・ブローク!」の掛け声に乗ってマサさんは怒涛の反撃開始、コーナーに海賊を吹っ飛ばすとストンピングを連発、それはまさに奇跡が起こった瞬間でした。
タジタジとなった海賊がマスクを外すとその正体は何と武藤敬司!
思わぬ超大物の登場に騒然とする館内、武藤はマサさんとハグしがっちり握手、館内が深い感動に包まれたのは言うまでもありません。
重度のパーキンソン病を患うマサさんの闘志に火をつけたのは紛れもなくプロレスの持つ根源的なパワーです。本当にプロレスの素晴らしさをまざまざと感じた夜でした。
この日は上井さんの配慮で写真はもとより、動画の撮影及び配信がOKという画期的な大会だったのでYOUTUBEにこの模様もアップされており、このブログを書いている時点(12日現在)で再生回数は既に2万回を突破しています。皆様も是非感動の名場面をご視聴下さい。
動画ではありませんが 笑 大会ダイジェストはこちらをクリック

試合の翌々日、東京に舞台を移して行われたブラックタイガーのサイン&撮影イベントにも行って来ました。
既に家の近所でサイン&写真も撮らせて頂きましたので無理に上京する事もなかったのですが、私は義理堅い人間なのです(笑)。
第1部がブラックタイガー、第2部が素顔のマーク・ロコの2部形式で行われたイベントには予想を超える数のファンが殺到、マークさんがまた一文字一文字丁寧にサインを書かれる方なので予想以上に時間がかかり結局4時間以上も費やすロングランイベントとなりました。体調を気遣ってお店のオーナーは途中で打ち切りも打診したそうですが、「寒い中並んでくれたファンの為に」と最後までファンサービスに勤めてくれたマークさん、本当に有難うございます!

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東京でもブラックタイガーのイベント開催

翌週海賊衣装を返還してもらう為、上井さんとお会いしてお茶を飲みました。
上井さんの話では面倒くさがりの武藤選手、最初は海賊マスクも被らず素顔でリングに上がろうとしたらしく説得するのに大変だったそうです(笑)。
87年からスタートした海賊男のストーリー、よく考えてみれば一番最初に海賊に襲撃されたのは誰あろう武藤敬司でした。

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 海賊亡霊よ安らかに…
アーメン

(そこまで計算したわけではないでしょうが)最初の被害者が実は正体だったと言うミステリー小説顔負けのオチがついたところでようやく長く続いた海賊物語は終焉、衣装一式は再び私の手元で封印します。

気がつけばこのブログも今回で2016年の最終回です。
皆様が長く見慣れた海賊亡霊のタイトルバックも今年が見納め(涙)、来年からはデザインを一新してスタート予定です。(2017年1月7日更新より)
皆様、良いお年をお迎えください!

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