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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.507 2017.1.28  

「 1984年の新日本プロレス(1) 」

新しい年が始まったと思ったらあっと言う間に1月ももう終わり、はっと気がつけば3月末の決算までもう二か月となりました。
今年も4月からは営業で採用した新卒社員が3名入社する予定になっていますが、私が社長になって以来ほぼ毎年コンスタントに続けているこの新卒採用、小さな会社の分際でそんなに人採って大丈夫なの?と思われがちですが、入って来る人がいる一方周期的に落ちこぼれていく人もいるのでうまく辻褄が合うものなのです。
因みに昨年(2016年)4月は男子3名、女子1名をいずれも営業職で採用しましたが、現在生き残っているのは男女各1名のみ、一昨年(2015年)の男子2名も半年〜1年程で討ち死に、私の手元の記録によると2003〜2016年まで営業職で入社した新卒(一部中途採用含む)社員の総数26名、現在も在籍している者はわずか8名、生存率はたったの30%です。
折角縁あって入った会社を何でこうも簡単に辞めてしまうのか、本人たちにすりゃ悩んだ末の結論なんでしょうが、私には正直理解できません。
昨年辞めた新人にしてもまだ半人前以下の仕事しかさせていないうちから、やれうつ病だ、やれ心療内科に通っていますだと、どれだけ心が弱いんだよ!?
私が常々社員に口を酸っぱくして言っているのは、うちの会社で務まらない奴は何処へ行っても務まらないよと言う事です。
別にうちが働きやすい、恵まれた職場などと言うつもりは毛頭ありませんが(そうなる努力は続けています)世の中上を見ても下を見てもきりがないもの、結局何処へ行っても自分の心がけ次第なんですよ。
当社で謀反を起こして辞めていった連中の大半がその後どれだけ哀れな末路を辿った事やら…全ては歴史が証明している通りです。ま、本人たちがそれなりに幸せに暮らしているなら大きなお世話でしょうが(笑)。

今年の入社予定は女性2名、男性1名ですが、女性営業の雇用を徐々に増やしているのは、我々の主要お取引先である流通小売業界の顧客の大半が女性なので、もっと女性目線の感性に訴えかける売り場作りを提案する必要性を感じるからです。
もっともこれまでの私は「女性営業を採用して欲しい」と言う長年の現場からの意見に消極的でした。
まだまだ遅れている我々の業界、言っちゃあ悪いがガラが悪く理不尽な話も多い営業の現場が、女性に務まるとはとても思えなかったからです。
それに本音を言えば(終身雇用と言う考え自体古臭いのかもしれませんが)折角戦力になっても女性社員の大半はいずれお嫁に行って辞めてしまうのだから、と言う思いもありました。
しかし、これは私だけでなく皆同じ事を言うのですが、今の世の中はっきり言って下手な男よりもよほど女の方がしっかりしていて仕事が出来ると言う事に気がつきました(笑)。
使い物にならない男の教育に労力をかけるより女性をてっとり早く戦力化した方が(例えそれがお嫁に行くまでの期間限定であったとしても)よほど元手が回収出来て効率が良いと言うものです。
それにしても、学校でも家庭でもろくに怒られた経験もない「ゆとり世代」がネクタイを締めて社会に出て来るのですから、今の企業は大変ですよ。
本来学校や家庭で教えなきゃいけない事まで会社で教育しなければならないわけで、それこそこちらにもそんな「ゆとり」はないっての(笑)。
ほんと男ども「キ○タマあるなら少しはピリッとしろよ!」と言いたいですが、某コップ屋さんと飲むと結論はいつも「ゆとり教育は百害あって一利なし」…でもちょっと待ってください、確かに男の軟弱化がゆとり教育の弊害である事は間違いないとは思うのですが女の子だって条件は同じはず、それなのに何故男だけがこうもフヌケになってしまったのか? この事をずっと考え続けていて、ようやく私はその原因に思い当りました。
プロレス中継がテレビのゴールデンタイムから外れた事こそが諸悪の根源なのです!!

私たちが子供の頃は毎週プロレスがゴールデンタイムで放送されているのが当然の環境でした。だから(どの程度熱狂するかは人によってまちまちにせよ)男の子なら誰でも一度はプロレスを目の当たりに出来ました。
特に初代タイガーマスクが活躍した81〜83年は一大プロレスブームの真っ只中、私は高校生でしたがプロレスを観ていないとクラスの話題に乗り遅れる程でした。
こうして世の男の子たちはプロレスを通じ正義と悪について、そしてあらゆる困難に立ち向かっていく勇気を無意識のうちに学びとっていましたが、プロレスがゴールデンタイムから撤退(88年4月〜)した事によってその機能が果たせなくなり、その頃から世の中が狂い始め迷走が始まりました。
そこへ追い打ちをかけるようにゆとり教育が相乗効果?となり、軟弱な男の増加により拍車がかかったのです。「草食系男子」なんて言葉が流行るようでは世も末ですよほんと。
力道山時代は全国の子供たちがプロレスごっこに熱中、怪我をする子が続出して社会問題となり、力道山はブラウン管から「我々は厳しいトレーニングを積んでいる。良い子はくれぐれもプロレスの真似はしないでくれ。」と口を酸っぱくして訴えたそうです。
ゲームの中でしかプロレスを知らず、プロレスごっこをする子など皆無な現代からすると隔世の感がありますが、我々はプロレスごっこによって無意識のうちに痛みの加減を知り、相手を育む心を学びました。
今、アメリカのWWEの番組を観ているとCMに入る前に必ずこんな映像が流れます。
「WWEスーパースターは世界中で戦っている。鍛え抜かれたプロフェッショナルだ。
だが彼らも無敵ではない。リングでは常に痛みと怪我がつきもの。骨折、筋肉の断裂、脱臼、腱の断裂…安全に気をつけよう。絶対に真似をするな!」
アメリカでのWWE(プロレス)の社会的影響力が垣間見えて羨ましい限りですが、私に言わせればプロレスは立派な教育番組、日本もそれこそ50年計画で男を徹底的に鍛える為に早急にプロレスをゴールデンタイムに戻すべきなのです!

すみません、話がすっかり脱線気味ですが(笑)、企業は人材育成に心血を注がねばならない、その事を私は新日本プロレスをビジネスモデルとして学びとったと言うのが本日のお題です。

今から35年以上も前の80年代初頭、日本全国はアントニオ猪木率いる新日本プロレスによって空前のプロレスブームに沸き返っていました。

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 ゴールデンタイムを支えたスーパースターたちに
日本中が大熱狂

アントニオ猪木、藤波辰巳、長州力、タイガーマスク、ハルク・ホーガンらスーパースターの大活躍によって年間200以上の興行は全国何処に行っても満員、古舘伊知郎アナによる過激な実況が人気を呼んだ金曜夜8時のテレビのレギュラー放送も常時20%以上の高視聴率、時には25%を叩き出す回もあり裏番組の超人気ドラマ「太陽にほえろ!」をも追い抜く程の勢いでした。
この頃は新日本プロレスとジャイアント馬場の全日本プロレスの実質二団体(女子は除く)時代でしたが、観客動員・テレビ視聴率とも新日本は全日本に大きく水を開け、強気で知られる新間寿さん(新日本プロレス専務取締役営業本部長)は「これはプロレスブームではない。あくまでも新日本プロレスブームなのだ。」と豪語、まさしくカネの雨が降りまくった奇跡の時代が続いていたのです。
しかし「好事魔多し」とはよく言ったもの、空前の大ブームの陰で内部では不気味な地殻変動が起こりつつありました。
その原因は社長の猪木さんが副業として行っていたバイオビジネスの「アントンハイセル」でした。赤字が膨らむ一方のこの事業に一時的に本業の金をつぎ込んだ事が火種となり、レスラー、社員の不平不満は爆発寸前だったのです。
これだけ客が入っているのに我々のギャラが上がらない → ハイセル事業に新日本プロレスの収益が合法的に流用されているのが原因だ → ハイセルが潰れたら新日本プロレスも連鎖倒産してしまう …真偽は定かではありませんがそんな噂が内部を駆け巡り、危機感を覚えた一部のレスラーや社員が集り社内クーデターを画策しました。

83年8月10日、ブームの立役者で人気ナンバーワンのタイガーマスク(佐山サトル)が電撃的に引退を表明、この事件を引き金に一気に内部の膿が噴出しました。

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 83年、猛虎伝説に突然の
終止符、ここから内部の
問題が表面化

クーデター派に誘われたものの人間関係に疲れた事や、かねてから理想としていた新しい格闘技を探求する事がタイガー引退の主な理由でしたが、これをきっかけに水面下で動いていたクーデター派は全員の辞表と血判状を片手に猪木社長に辞任を要求、猪木さんはこれに屈する形になりました。
同じく副社長だった坂口征二も辞任、新間氏は全責任を負わされる形で事実上の追放処分となり、代わってクーデター派が代表権を得ましたが、大株主であるテレビ朝日が「猪木、坂口抜きでやっていけると思ってるのか!」と激怒、わずか三ヶ月で臨時株主総会が行われ再び猪木が社長、坂口が副社長に復権しました。
結局クーデターは短期間で収束し元鞘に収まったかに見えましたが、不気味な火種はまだ内部で燻っていたのです。

クーデターの首謀者の一人で、責任を取る形で退社した元営業部長の大塚直樹氏は新しく興行会社「ジャパンプロレス」を設立、翌84年6月、これまで宿敵だったジャイアント馬場の全日本プロレスとの業務提携を発表しました。
さらに大塚氏は所属選手を抱えてその選手を提携する全日本のリングに送り込む為、新日本の選手を引き抜くと堂々と宣言したのです。
「ポスターに名前が載っている選手が出ないとファンや地方のプロモーターに迷惑がかかりますから新日本の9月のシリーズ(20日までのブラディファイトシリーズ)中は一切動きません。選手が移籍するのはシリーズが終わってからです。社長の猪木さん、副社長の坂口さん以外の全員に声をかけるつもりです。」
辞めた社員が客や他の社員を持っていくのは、我々の業界の専売特許ではなかった(笑)、しかしここまでオープンな引き抜き宣言も異例です。
当然新日本側は「うちを辞める選手は一人もいません!」と全面否定、それなりに警戒もしていたはずですがシリーズ終了翌日の9月21日、日本マット界に大激震が走りました!

(次回へつづく)
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