7月も終わりが近づいていると言うのに相変わらず4月のネタですみません、昭和の日である29日、京都にて待望の「太田裕美コンサート2017」に行って来ました♪
今年に入って既に8度目と、昨年の12回をあっさり追い抜きそうな勢いで裕美さんの歌を聴きに行っている私ですが、イベントやディナーショーを除くとフル・バージョンのソロ・コンサートは昨年5月のやはり京都以来一年ぶり(渡米で3月末の和歌山を欠席が痛かった!)、待ちに待っただけあって本当に楽しみでした。因みに京都でのソロ・コンサートは2013以来5年連続、私はWWE日本公演と被った2015のみ泣く泣く欠場しました…。
会場であるロームシアター京都(サウスホール)は駅から歩いて10分程の場所ですが、向かっている途中で後ろにどう見ても10〜20代そこそこの若い女の子二人組がついて来るのに気がつきました。まさかこんな若い子たちが裕美さんのコンサートに来ないだろうと思っていましたが、私が道を右折するとその子たちも右折、どこまでも同じ方向について来ます。やがて会場が見えて来ると後ろで「あっ、あそこだ。」の声、え〜、まじかよ?これは珍しいと思っていたら、何と同じ会場のメインホールでは「モーニング娘」のコンサートがあったのです(笑)。
因みに全国行楽日和だったこの日、友人は東京ドームで行われていたポール・マッカートニーのコンサートに行っており、私が裕美さんのコンサートに来ていると知ると「木綿のハンカチは持って来ましたか?」のメッセージ、先方はジョークのつもりだったのでしょうがちゃんと持参しましたよ(笑)、おかげで「ファンの鏡」の称号を頂きました。
17時半、東京ドームにも負けない熱いステージのスタート、冒頭4曲は裕美さん自身のギター演奏によるアルバムの曲の弾き語りでした。
このコンサートの三日前、タイミングの良い事にNHK-BSプレミアムにて「名盤特集」として1時間まるまる裕美さんの3rdアルバムである「心が風邪をひいた日」(1975年12月5日発売)の大特集がオンエアされました。
番組の収録が3月の初旬、ちょうどこの日のコンサートの選曲を始めた頃だったそうで、おかげでマニアックな曲が多いステージとなりました。
「4年前、この京都で久々にコンサートをやった時、当分京都には来られないかと思っていたので色々な曲を歌っておこうと詰め込んでいたら、4年連続(*5年の間違い)で呼んでもらえて本当に嬉しいです。今日、初めて太田裕美のコンサートに来たと言う方、いらっしゃいますか?(何人かの拍手)41人(笑)。初めての方は私の知っている曲が無いと思うかもしれませんが(笑)春らしい選曲にしました。楽しんでいってください。」
番組オンエア直後から、「心が風邪をひいた日」のCDの追加注文が来たりと、反響の凄さにテレビの影響力を改めて実感したと言う裕美さん「こんな凄い楽曲を当時二十歳そこそこの小娘に提供してくださった事は本当に歌手冥利に尽きます。」
番組内で当時裕美さんのディレクターだった白川隆三さんが語っていましたが、その頃歌謡曲系の歌手は複数の作詞・作曲家に曲作りを依頼し、その中で最も良い作品をシングル盤にして残った曲の寄せ集めをアルバム化するのが一般的でした。
そんな中で裕美さんのスタッフはテーマを明確にしたコンセプトアルバムを制作しており、フォークシンガー以外では当時こんな手法をとっていた人は誰もいなかったそうです。
そして、この名盤のA面1曲目に収録されていたのが、裕美さんの代表曲となった名曲 「木綿のハンカチーフ」でした。
作詞家の松本隆さんはシングルと比べて制約の無いアルバム作品と言う事で、「歌の中で短編小説を描こうと思った」と4番まである長い詞を書き上げました。
当時としては画期的な実験的作品でしたが、詞を受け取った作曲家の筒見京平先生は困惑したそうです。
1番と2番、以下サビの部分の繰り返しが主流の時代にこんな長い歌詞ではとても曲が付けられないと思った筒見先生、詞を短くしてもらうべく白川ディレクターに連絡をとろうとしましたが、当時夜な夜な飲み歩いていた(笑)白川さんが捕まらず諦めてやむなく作曲にとりかかったところ「予想外にするっと完成した。」
ディレクターに連絡がつかなかった事が逆に幸いしたわけですが、もし現代のような携帯電話の時代だったら詩の改変が実行され「木綿のハンカチーフ」は今とは全く違う曲になっていたかもしれないのです。
完成した曲はスタッフ間での評判もすこぶる良く、シングルカットの声が高まりました。しかし歌番組全盛の時代、テレビで歌うにはやはり長すぎる事がネックで白川ディレクターは一か月ほど悩んだとの事、結局思い切ってアルバムとほぼ同時タイミングで発売(75年12月21日)し、今も語り継がれる空前の大ヒットとなったのです。
偶然の産物として生まれた奇跡の名曲、そして40年の月日が流れても今も変わらず歌い続ける裕美さん…「自分が子供の頃に見ていた歌手の方で40年歌い続けた人って(少し考えて)森山加代子さん、中尾ミエさん、園まりさん…あっ、結構いらっしゃいますね(笑)。でも40年後に歌っている方にいつの間にか自分が加わるなんてあら不思議。」
因みにこの日の「木綿のハンカチーフ」は14曲目で披露「この曲を歌うとこれでコンサートが終わってしまうみたい(笑)」。
丁度この日は北朝鮮が性懲りもなくミサイルを発射した日で、東京では一時地下鉄が全面ストップとなり、裕美さんはその事に触れ「日本は平和ボケしてるけど、東日本大震災の時も思った事ですが、いざとなったらなるようにしかならないと思う。」「ただでさえ男の人は武器を手にすると使いたくなる性分だから」と皆を笑わせました(笑)。
「心が風邪をひいた日」に収録の、京都を舞台にした明るい曲「ひぐらし」で一旦終了、アンコールの声に応えて再登場した裕美さんは全員総立ちの中で「さらばシベリア鉄道」、春らしく「葉桜のハイウェイ」を熱唱、ステージを飛び跳ねるように歌う姿に客席からは「裕美ちゃーん」の黄色い声援(裕美ちゃんと呼んでも違和感全くなし!)、まさしく裕美ちゃんの可愛らしさ全開のコンサートが終了しました。
ソロ・コンサートの場合以前は終わった後ロビーにセットリスト(歌った曲の順番)が貼り出してあり、ファンがこぞって写真撮影して帰るシーンが恒例でしたが、最近何故かこのセットリストの貼り出しが無くなってしまいました。長年務めていた裕美さんのマネージャーが昨年引退してしまった事が関係していると思われますが、やむなく最近は自分で曲順をメモしていました。しかしこの作業、予想外に大変で、何しろ手元が真っ暗ですから後でメモを見返しても何を書いているかわからない(涙)。そこで一計を案じ今回は蛍光ペンを用意しましたが、殆ど役に立ちませんでした(苦笑)。
この日開場して中に入ると、引退したはずのマネージャーさんが何故か売店でグッズを売っていました。いつの間にか復帰を果たしたのか?詳しい経緯はわかりませんが、終了後ロビーに出ると期待通りセットリストが復活していて嬉しかったです。
蛍光ペン以外に反省点がもう一つ、ソロコンサートでは前述のようにアルバムの曲も結構歌うのですが、私とした事が題名が思い出せない曲が何曲かあったのです。
熱心な裕美マニアには笑われそうですが、シングルの代表曲なら歌詞まで覚えている私も久しく聴いていないアルバムの曲となると大苦戦、もっとも裕美さんがMCでタイトルを言ってくれたり、前述のようにセットリスト貼り出しもあったので助かりましたが、「ファンの鏡」の称号まで頂いた私としてはこんな事ではプライドが許しません。
そこでゴールデンウィークから裕美さんの全アルバムの総チェックを開始しました。
おかげで殆ど連休中は引きこもり状態でCDばかり聴いていましたが、裕美さんの持ち歌は約300曲、聴いただけでタイトルを思い出せるようにするべく同じCDを5〜6回ずつ聴いているので、なかなか前に進みません。何故この情熱を他の事で使えないのかと我ながら呆れますが(苦笑)、これで次回のソロ・コンサートはより楽しめそうです。
翌月上京した際、裕美さんが観に行って「凄いパワーだった。」とツイートしていた草間彌生展を観て来ました。えっ、それ、誰?と言うそこの無知な貴方、草間彌生さんは1960年代には「前衛の女王」と言われた有名な芸術家なのです。実はかくいう私も裕美さんのツイッター見るまで名前すら知りませんでした。草間政一(新日本プロレス元社長)ならよく知っているのですが(笑)。
会場の国立新美術館は平日にも関わらず切符を買うのに40分待ち、入場にさらに40分待ちと物凄い人、撮影可能エリアで撮った写真をお届け致します。
(草間彌生展の模様はこちらをクリック)
4月最後のネタはまたもプロレス、26日は全日本プロレス、春の本場所チャンピオンカーニバル、コンサート翌日の30日には東京女子プロレスをいずれも大阪で観戦、女子系は行かない私ですが、今回は私がお気に入りのキャラ、美威識軍の沙希様と昨年撮影会でお会いしたまなせゆうな選手が復活したと言うので駆けつけました(笑)。
(全日本プロレスの模様はこちらをクリック)
(東京女子プロレスの模様はこちらをクリック)
アメリカ編もあり長かった4月ネタもようやくフィニッシュ、次回は5月ネタに突入します!
|