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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.580 2018.6.30  

「 5月の行事(5) 」

2018年もあっという間に半分が終わってしまいました。
今回は5月のネタですが何と、この月は当ブログの一ヵ月のアクセス数がこれまでの2064(昨年9月)を抜いて3036!! 史上初の3000超えを達成しました!!
要因は…よくわかりません(笑)。一昔前は3000を越えるなど夢のまた夢と思っていただけに自分でも驚きです。皆様どうも有難う御座います。

5月と言えばゴールデンウィーク、当初は家でごろごろするつもりでしたが3日に急遽東京に日帰りで出撃、元ゴング誌のドクトル・ルチャこと清水勉さん主催のトーク・イベントに参加して来ました。

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 栗栖さんは大阪からオールポリネシアンタッグ王座を持参
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 ギャラの代わりに持って帰った本物ベルト

今回のゲストは昭和の時代は「薩摩の荒法師」、平成に入ってからは「イス大王」と呼ばれた栗栖正伸選手の登場です。
新日本プロレスからジャパンプロレスに移籍、全日本プロレスのリングで一度引退(88年)した栗栖選手が突如FMWのリングで復活したのが平成元年でした。
パイプ椅子で相手を滅多打ちにする反則殺法で翌年には古巣・新日本マットに乗り込み大暴れした姿が印象深いですが、この日はそのヒール殺法の原点となったメキシコ修業時代の秘話が中心でした。
司会の清水さんも語っていましたが、当時の日本ではメキシコマットの情報が皆無に近く、栗栖選手がヒールとしてトップを獲った実績が伝わらなかった事が惜しまれます。帰国後の栗栖選手は売り出される事なく遠征前と同じように前座試合に組み込まれましたが、メキシコの実績を踏まえれば小林邦昭以前に栗栖選手が初代タイガーマスクの抗争相手として「虎ハンター」になっていても決しておかしくなかったからです。
同じくメキシコで成功した日本人第一人者と言えば、先頃娘が覚せい剤不法所持で逮捕されたG・Hが真っ先に思い浮かびますが、栗栖さんはそのG・Hとの根深い確執など貴重な話を聞かせて下さいました。

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 96年、大阪・難波のサイン会にて、二人共若い(笑)

後半にはオークションがあり、目玉商品として栗栖さんがかつてハワイで奪取したオールポリネシアン・タッグ選手権の本物ベルトが登場しました。
相棒を探していたヒロ・ササキに呼ばれてハワイ入り、1981年4月23日(日本では初代タイガーマスクがデビューした日!)ニューサモアンズから奪取したベルトとの事ですが、「プロモーターがギャラを払ってくれなかったので、代わりにベルトを日本に持ち帰って来た」そうです(笑)。
実は私が今回無理をして上京したのは、数日前に清水さんのブログでこのオークション開催を知ったからで、実際使われた正真正銘本物のベルトを是非欲しいと思っていました。しかも有名なベルトならそれこそ数百万円単位、とても我々が手を出せない次元の世界ですが、失礼ながら誰も知らない(実際私も初めて聞いた)ローカル・タイトルならせいぜい2〜3万円で落札可能なはずです。
ところが、栗栖さんと一緒に来場していた奥様が付けた最低入札価格は何と30万円!

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 栗栖さんと22年ぶりのツーショット!

桁が一つ違うよ!栗栖さん曰く、「当時ハワイに同行した夫人の飛行機代を捻出したいから」37年前の飛行機代を言われてもなあ(苦笑)。
案の定30万円でスタートしたオークションは誰も手を挙げず(当たり前だ!)、イベント終了後清水さんと話したら「俺も2万円だと思った。」
その清水さんが「2〜3万なら買う人がいる」と栗栖さんに話をしてくれましたが、急に惜しくなったのか(笑)?とりあえず大阪の栗栖邸に持って帰る事になり、本物ベルト入手を期待した私としてはいささか拍子抜けでした。栗栖さん、売る気になったらいつでも私に声をかけて下さい(笑)!
そう言えば栗栖さんが一時期「栗カラス」なるマスクマンに変身した事があり、そのマスクも自宅で見つかったそうですが「今度試合のオファーがあったら被るつもりで持ってこなかった」栗栖さんまだ試合をする気か!? 私もあのど迫力の椅子攻撃を久々に観たいので、是非何処かの団体にオファーをお願いしたいです。
前回のカブキさんに続き、この日も22年前のツーショット写真を持参したところ栗栖さんも笑っていました。お互い若いですが、私もこの頃は痩せていたなあとしみじみ(苦笑)、今回の写真と22年前の写真を揃えてある人に見せたら開口一番、「丸くなってる!」ほっとけ(笑)!

九州に本部がある大手チェーン店のデリバリーをさせて頂いている関係で、今年に入って博多への出張の機会が何度かありました。
大阪からの新幹線なら、東京に行くのも博多に行くのも時間的には全く変わらないのに博多行きの方が疲れるのは何故か(一説にはトンネルが多いから?)、博多行きの方が1000円高いのも不思議です(笑)。
しかし今回は博多出張と同じタイミングで素晴らしいイベントがありました。

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 長州力、博多に降臨!
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 ご機嫌で貴重な話を…
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 抽選のくじをひく、必ず目を瞑るのが可愛い(笑)
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 PWFベルトを持っての記念撮影
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 ラストは田中ケロちゃんのコールでポーズ

昨年上井さんの主催で大阪にて行なわれた長州力選手のトーク・イベント第2弾が、今度は博多に舞台を移して実現したのです。
二年前の試合以来の博多入りと言う長州選手、先ず当地の思い出として新日本時代に旅館で同部屋の北沢幹之さん&新倉史祐さんと共に幽霊を目撃した話からスタートしました。
また、これは福岡ではなく滋賀ですが猪木さんの自伝にも書かれていた、倍賞美津子さんに悪霊が憑依した現場に居合わせた話なども披露、決して「盛っている」わけではなく、世界中を旅するプロレスラー、ミスター高橋の著書に「幽霊軍団にギブアップ」というのがありましたが、心霊現象に遭遇した選手は意外に多いのです。
猪木さんの話になると、(過去色々とあったものの)「やはり会長(猪木)は我々とはモノを考える次元が違う」と絶賛、これも何度か活字になっていますが、長州選手がまだ若手だった頃に猪木さんのお付きで行ったステーキハウスで、コックがプロレスを侮辱するような事を言った時に猪木さんがステーキを床の上に落として「これは牛の肉じゃねえ!」と言い張ったエピソードを紹介していました。
その他、(闘魂三銃士の評価)「武藤の間(ま)が一番苦手、橋本は直線的でやりやすい、蝶野はマイペース」、(ゴッチ道場の落第生と言われる事)「自分にはゴッチ流は合わなかった、練習後にワインを飲みながらゴッチさんの長話に付き合わなければいけないのも苦痛だった」、(最も強かった相手)「人を殺せるだけの技術を備えていて恐怖を感じたのはウィリエム・ルスカ、腕もでかくてそもそも骨格そのものの造りが違う、技をかけられても受け身が取れなかった。」など興味深い話が続々、普段はプロレスの話をあまりしたがらない、下手にマニアックな質問をすると不機嫌になる?印象が強いのですが、この日はファンの恐る恐るの?質問にも丁寧に答えてくれました。
さて、記念撮影タイムでは前回IWGPヘビー級を持参しましたので、今回は出来れば藤波選手との「名勝負数え唄」の象徴であるWWFインターヘビーを使用したかったのですが、現在完全リアルコピー版を製作中でとても間に合わず、長州選手が全日本時代に奪取したPWFヘビー級を持参しました。
PWFと言えば何処まで行っても馬場さんのイメージですが、長州選手は86年4月にスタン・ハンセンから同王座を奪い全日本を離脱してベルトを剥奪されるまで一年近く王者として君臨、6度の防衛に成功しています。ベルトを見ても長州さんは特に無反応でしたが、もしや忘れてるのか?(笑)

翌日、帰りの新幹線での事、只今古い雑誌を整理中で95年頃の週刊ゴングを読み終えて目の前の網ポケットに入れていると、隣の席に座った外国人男性が突然「読ませてくれ」と声をかけて来ました。プレゼントしてあげると喜んで日本語が読めないのに1ページずつ丁寧に見て、懐かしやIWAジャパンのガラスデスマッチのグラビアに絶句していました(笑)。
てっきりアメリカ人だと思い(外人は皆一緒に見えるぜ!)「アー・ユー・アメリカン?」と尋ねると「ノー、ベルギー!」 何と観光でやって来ベルギーの方でした。私も調子に乗ってバッグからPWFのベルトを出して見せてあげたらまた大喜び、狭い車内の座席で記念撮影タイムが始まりました(笑)。その方は京都まで行くので私の方が先に降りましたが、プロレスが日本とベルギーの親善に役立ちました(笑)。

さて20日は交野市の「きさいちカントリークラブ」で会社のゴルフコンペ、約半年ぶりのコースでいつもながら114(イイヨってか 笑)と最悪のスコア、そりゃ数日前に一度練習に行っただけでは駄目ですわ(苦笑)。
毎度毎度同じ事を書きますが、次回こそ!最低週に一度は練習してもう少しマシなスコア(100を切ります!と断言出来ないのが情けない…)で上がる事をここに公約します!

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 ディック東郷選手と記念撮影
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 耳の病気にも負けず来日強行、頑張れ菊タロー選手!
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 一瞬だけアイアンマン王者となった沙希ちゃん
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 沙希ちゃん&ゆにの寄せ書き、今宵この二人の間で王座移動

27日の日曜日はDDTの大阪大会、赤井沙希ちゃん出場に加え売店でのサイン会あり、そして先月アメリカのレッスルコンでお会いした菊タローさんが一時帰国して出場と聞いてご挨拶の為に駆け付けました。
しかしこの菊タローさん、来日直前に真珠腫性中耳炎が発症、本来なら一日も早く耳の手術をしないといけないそうです。医者からは「飛行機に乗るなどとんでもない!」とドクターストップが掛かっているにも関わらず来日、さらに試合その他のビジネスですぐアメリカにとんぼ帰りで手術は暫く先になるとの事、どうか無理せず大事にして欲しいものです…。
お目当ての沙希ちゃんの試合は波乱続出で、第2試合で現アイアンマン王者の大石真翔、小学5年生(!)の男の子ゆにとのトリオで6人タッグ戦に挑んで負けましたが、試合後にゆにが大石を丸め込みアイアンマン王座を奪取のサプライズ…このアイアンマンヘビーメタル級王座は24時間、場所や形式を問わずいつでも何処でも防衛戦が可能でレフェリーによる判定さえあれば不意打ちだろうが闇討ちだろうがベルトが移動するという厄介なタイトルなのです(笑)。
メインの試合終盤に沙希ちゃん&ゆにが本部席に座ったので何かあるかな?と思っていたら案の定で、リングに上がってゆにの王座奪取を祝っていた沙希ちゃんが突如襲いかかって王座奪取!第1313代(!)王者となったものの今度はそこに大石が現れまたもや王座移動…私が喜んだのは数十秒だけでした(笑)。
DDT大阪大会はこちらをクリック

さて、5月のラスト週は東京への出張が待っていました。
夜は勿論プロレス、と言うわけで29日は後楽園ホールにて約半年ぶりとなるノアを観戦、GHC三大タイトル戦を投入とあって平日にも関わらず超満員で盛り上がりました。
後楽園ホールは何処からでも見やすいし、照明も奇麗で写真も撮りやすいし(写真を見て頂ければ一目瞭然!)ほんと理想的な会場で、我が大阪にもこんな会場が誕生する事を節に願いますよ…。
セミのGHCタッグ選手権でマサ北宮が潮崎豪の背後から、今話題の悪質反則タックルを足に向かって放った時は場内大ブーイングでした(笑)。
ノア後楽園大会はこちらをクリック

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 プリンスホテル軽井沢の庭園、あいにくの雨…

そして翌日はリスパックさんのトップステージ会参加の為、新幹線で長野県の軽井沢へと移動しました。長野には何度となく訪れていますが軽井沢は初めてです。
全国から集まった包材屋は111社、新幹線で軽井沢に到着すると顔見知りの同業者がぞろぞろ…こんなとこスーツ着たオッサンたちが来る場所じゃないぞ(笑)!
蒸し暑い東京と違って気温は15℃と快適でしたがあいにくの雨模様、包材屋はよほど日頃の行いが悪いようです(笑)。
リスパックさんは今年30年ぶりに社長交代、ご子息の大松栄太さんが新社長に就任され、今後の方針発表をされましたが、その中で先代となる大松利幸現会長から受け継いだ「問屋有用論」を熱く語られていました。
しかしその話の最後に壇上から「そのへんの事は株式会社タミヤの田宮社長のブログに詳しく書かれてありますので是非皆さんご覧ください。」と突然言い出すのでびっくり(笑)!
後のパーティで大松社長とお話したら、私が書いた問屋論のブログを大松会長に見せたら「是非お礼を伝えて欲しい」と言われていたとの事でした。
何人かの同業にも「ブログ是非チェックします」と言われましたので、これで益々アクセス数アップ、近年の傾向であるプロレスファン比率増が少し抑えられる(笑)?
しかし同業の皆様が最近の内容を見ると唖然とする事請け合いです(笑)。
例によって皆様方におかれましては、プリンスホテル軽井沢のフルコースディナーを視覚でお楽しみください(メニュー表回収するの忘れた!)
こちらをクリック
翌日はゴルフ組と観光組に分かれましたが(雨やんで良かったね!)所用があった私はどちらもパスして再び東京にUターン、軽井沢には最低限の着替えだけ持っていき(おかげで私だけトートバッグの軽装で浮いていた 笑)余分な荷物は東京のコインロッカーに預けており、予約の関係で一昨日泊ったのとは違うホテルにチェックイン、夜は新木場にて全日本プロレスを観戦しました。
考えてみればここで全日本を観るのは初めての事で、平日で特に目玉カードも無かったので集客が心配されたもの、最終的にはほぼ満席になりました。
全日本新木場大会はこちらをクリック

この日で5月は終了、翌日からは6月ですが私はまだ東京に残留、以降は次回にて…。

(次回へつづく)
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