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(前回からの続き)
まだまだ続く6月編ですが、この月の総アクセス数は3170! 5月に続いて大台を突破し最高記録を更新しました。嬉しい悲鳴の反面、どうなってんだろ?といささか怖くなってきました。せいぜい発言には気をつけます(笑)。
さて、6月編の舞台はイタリアに移り、7〜14日の日程で参加した「イタリア周遊オーベルジュ・商流・物流視察会」の模様をレポートします。
何やら長ったらしいタイトルですが企画はお馴染みの近江さんで、「周遊」の名の通り計6都市を駆け巡る贅沢なツアーとなりました。
出発は7日で、13時15分成田発アリタリア航空に乗って約半日、ローマに着いてそのまま食事に向かいホテルにチェックインしたらもう23時でした。
時差ボケの中で翌8日からはハードな視察の始まり、朝8時にバスで3時間かけて約230km先のナポリまで移動、60年の歴史のある物流会社、ジャネッティ・グループを訪問しました。
この日は日帰りで、歌で有名なサンタルチアの海岸やべスビオ火山を眺めてからバスでまた3時間、ローマに戻った頃はもう夜でしたがこちらは白夜なので外はまだ明るく、昼間と変わらない暑さでした。
そのまま有名なトレビの泉に行き、お約束通り泉を背にしてコインを投げましたが、周りは物凄い人だかりで落ち着いて写真も撮れないので、帰り路に発見した誰もいない噴水(偽トレビの泉?)で改めてコインを投入して記念撮影、同じ事を考える奴が多いようで、水の底には結構コインが沈んでいました(笑)。
(第2日目のダイジェストはこちらをクリック)
翌日の朝は今回のイタリアで最も私が行きたかった場所、コロッセオ(コロシアム)に行って来ました。
今から30年前の1988年1月、我らがアントニオ猪木は単独でローマ遠征を行いました。
当時イタリアでは「ワールドプロレスリング」のVTRがオンエアされており、地元テレビ局の招聘によって実現したこの遠征、日本ではこの時期「新春黄金シリーズ」の真っ最中とあって猪木さん単独出場となりましたが、エースの猪木さんがシリーズに穴を開けてまで参戦したのですから、よほど好条件のオファーだったのでしょう。
会場となったローマのパラウエル・スポーツアリーナは日本で言えば日本武道館クラスの大会場で、試合は23、24日の2日間でしたが両日とも満員の大盛況、計2万5千人の観衆が集まりました。
ここで当時の宣伝用ポスターにご注目、猪木さんがどーんと大きく掲載され、他の出場選手は写真はおろか名前すらありません。つまり完全にアントニオ猪木の為の興行で、猪木人気だけで2万5千人を集客したのですから驚き、決して大袈裟でなく猪木さんは「イタリアで最も有名な日本人」だったのです。
普段はプロレスの興行が無い事からボクシング用のリングが使われ、女子プロやミゼット(小人プロレス)も混ぜた大会は、前座試合の途中であまりのつまらなさに客席からブーイングが出たそうですが(笑)、メインの猪木さんの試合になるとムードは一変しました。
二日間ともシングルマッチで、対戦相手は新日本の常連・バッドニュース・アレン…同一会場で同一カードの連戦など日本ならまずあり得ないし「手抜きのマッチメイク」と批判されるところですが、現地に猪木さんに見合うレベルの相手がいない事からアレンを帯同したのでしょう。
ヒールファイト全開で客席をヒートさせる見事な仕事ぶりのアレンを、猪木さんは初日は延髄斬り、二日目は卍固めで仕留め、大熱狂でイノキ・コールを叫ぶローマのファンに応えました。
試合以外でもテレビ出演、取材、ショッピングと大忙しだったイタリアでの猪木さんでしたが、到着早々ハプニング?に巻き込まれました。
かねてから猪木さんへの挑戦を表明していたオランダの格闘家、クリス・ドールマンが現地入りしたからです。
猪木さんとドールマンの因縁は長く、76年2月、猪木さんが一番最初の「格闘技世界一決定戦」で柔道家のウィレム・ルスカ(ミュンヘンオリンピック金メダリスト)と戦った時、ドールマンがルスカのセコンドに付いた事が始まりでした。
この頃から対戦の噂はあったのですが実現には至らず時が流れ、87年になってドールマンが試合のビデオテープと挑戦状を送って来た事から改めて対戦がクローズアップされました。
22日にローマに着いた猪木さんがホテルにチェックイン、ロビーで取材を受けている時に現れたドールマンは「明日は誰と試合するんだ?何なら俺が相手になるぞ!」と挑発、猪木さんは「わかった。ユーの挑戦は必ず受ける。」と冷静に対処し握手、翌々日の24日の朝に改めて1時間半の会談が行なわれ、二人は記者の前でがっちり握手をかわし写真撮影に応じました。
その日の夜の試合で勝利して控室に引き上げる猪木さんにドールマンが詰め寄るシーンもあり、これで対戦実現は間違いなし!とマスコミは「4月、東京での実現が有力」と書き立てましたが、どういうわけか話は立ち消えになりました。
交渉が一向に進まない中、その間隙を縫って?UWF(第2次)がドールマンに接触し獲得に成功、翌89年5月に前田日明との試合が実現したのは周知の通りです。
幻に終わった格闘技戦、二人は同年代(猪木=43年2月20日、ドールマン=45年2月17日、誕生日が3日違い!)ですし、出来れば最盛期の70年代に実現して欲しかったものです。
そしてもう一つ、このイタリアでは猪木さんの口から「コロッセオで試合をする」という仰天のプランが語られました。
前年10月の「巌流島の決闘」(FILE No.274参照)を超える壮大な格闘ロマン、猪木さんがシリーズを欠場してまでイタリア遠征を強行したのは、コロッセオの下見の為でもあったのです。
24日午後、コロッセオを訪れスタンドから競技場の内部を見下ろした猪木さんは、アリーナの地下部分がむき出しになっているのを目の当たりにして「いやあ、これじゃあ(試合は)無理だな。」と渋い表情、
しかし、板を敷き詰めればアリーナの復元が可能と聞くと格闘家の目となり、 「写真では見た事があったけど、実際生で見るとやはり格闘技者のハートに揺さぶりかけるような何かがあるね。」
夢の実現に一歩前進?と思われたものの、お国が相手では交渉も難航したのか?この壮大な格闘ロマンも、いつか話題に登らなくなりました。
巌流島ではマサ斎藤でしたが、「コロッセオの決闘」が実現していたら果たして猪木さんは誰と戦っていたのか??
場所的にはやはり外国人が似合うと思うので、私はハルク・ホーガン、アンドレ・ザ・ジャイアント、前述のクリス・ドールマンとの試合を夢想していました。
それから17年の長い年月が流れ、私は何と猪木さんとともにコロッセオを訪れる機会に恵まれました!
当時行なわれていたファンツアー「闘魂猪木塾」で、この年(2005年6月)の開催場所がイタリアになったのです。
ミラノ、ベネチア、ナポリ、ローマを周ったこのツアーは、新日本プロレスのイタリア遠征とのタイアップ企画でもあり、ミラノでは試合を観戦する事も出来ました(6月4日 マツダパレス、メインは天山VSノートンのIWGP戦=これが私の生涯初の海外でのプロレス観戦)。
ローマでは猪木さんとともに待望のコロッセオへ…かつて「コロッセオの決闘」を夢見た私としては、本当に感激しました。
猪木さんに「もし実現していたら誰と戦いたかったか?」を質問したところ「具体的には想定していなかった」とおっしゃっていましたが、オフがあってもコロッセオの見学にも来ない新日本の選手たちの事を「格闘家ならこういう場所に立ってみろよ!」と批判していましたね〜(笑)。
当時はブログもやっていなかったので詳しい旅程も忘れてしまい、お恥ずかしながら右の写真の場所が何処だったのかが思い出せず、今回の視察のガイドさんに写真を見せてようやく謎が解けました。今回は行けませんでしたが、ナポリ近くにあるボンペイの遺跡だったのです。ほんと贅沢な時間を過ごさせて頂きました…。
ただ、この時はスケジュールがタイトでコロッセオでの滞在時間が少なく、いつかまた行きたいと思っていた夢が13年越しで叶いました。
朝の9時半、コロッセオに到着すると入り口付近は既に長蛇の列、我々は予約していたので待たずに入場出来ましたが、予約なしだと1〜2時間待ちはザラとの事です。
旅行前から近江さんにここで時間をたっぷりとってもらうようお願いしていましたので、大変暑い日でしたが、広いコロシアム内をぐるっと周りまるでアントニオ猪木が憑依したかの如く(笑)、赤いタオルを振りかざしてあちこちで記念撮影に勤しみました。
2000年も前にここで戦った剣闘士たち、果たしてどれだけ多くの血が流れ、尊い命が失われた事か…一人の格闘家として本気でこの場所で試合をしようとしたアントニオ猪木、ほんとこんな発想をするレスラーは他にはいませんよ。
私の目にはタイツ姿でコロッセオに立つ猪木さんの幻が見えました…。
(第3日目 コロッセオの模様はこちらをクリック)
すみません、海外視察レポートと言いながら(予想通り?)プロレスネタに終始しております(僕の悪い癖!笑)。
コロッセオの興奮冷めやらぬ中我々は、イタリア発祥の総合フードマーケット「イータリー」(食材販売コーナーにレストランが併設された業態)の見学に行きました。
水元仁志先生のブログで何度も取り上げられている事からも有名な「イータリー」には以前から興味津々でしたが、予想以上に充実した空間でした。但しアメリカのスーパーの例があるので、どうせ写真撮影は無理だろうと思っていたら予想外にあっさりとOKが出ました。
むしろどんどん撮影してSNSで発信して欲しいという考えで、この柔軟さはアメリカのスーパーに爪の垢煎じて飲んで欲しいものです(笑)。
(イータリーの模様はこちらをクリック)
ローマを後にした我々のバスは、今宵の宿泊地であるトスカーナ州を目指し進みました…。
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| (次回へつづく) |
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