(前回からの続き)
私が友人に「今度、ミミ萩原さんのイベントに行く」と話したところ「ミミさんとゆずポンって似てますよね。社長の女性のタイプってあんな感じなんですね。」と言われましたが(笑)確かに両者には共通点が多いのです。
1. 芸能界からプロレス入り
2. 人一倍努力家の頑張り屋さん
3. 白いベルト(それぞれ違うタイトルだが)の王者になった。
また、今回ミミさんの自伝を読み返していたら、これもゆずポンと同じでキティちゃんの小物をコレクションしていた事が発覚!いつの時代も女の子のキティちゃん好きは不変なようです。
よりによってミミさんのイベントと同日、我が地元関西では伊丹で初代タイガーマスクがトーク・イベントを開催(涙)、さらに夜は新日本プロレスのG1大阪2連戦の初日で、当初はこの二つをはしごするつもりでしたが、ミミさんに会える機会は年に一回あるか無いか、地元を捨てて上京しました。
新日本は2日目を観戦に行く事にして購入済みだった初日のチケットはネット・オークションに出品したところ、流石は前売りで完売のプラチナチケット、定価より高く売れましたよ。
8月4日当日は早起きして8時前の新幹線に乗りました。
日本橋三越に「藤波家の食卓」が出店中で、藤波さんが応援に来るとの情報を掴んでいたのでミミさんイベントの前に立ち寄りたかったからです。今回は二子玉川とか遠方の店舗でなく東京駅からほど近い日本橋三越だった事もラッキーでした。
10時過ぎに東京に着き、デパート前にて東京在住の筋金入りのドラゴン信者である根本さんと合流、地下の催事場に行くとタイミングよくちょうど藤波さんが姿を現したところでした。
IWGPチャンピオンベルトにサインを頂き記念撮影させて頂きましたが、毎度の事ながらこの為にわざわざ重いベルトを東京まで持って来る物好き(笑)。
日本橋三越ではこの期間「1980年代展」を開催中で、藤波さんのガウンや初代WWWFジュニアのベルト、タイガーのマスクが展示してあり、グッズ売り場では昔のマルベル堂の猪木さんや藤波さんのブロマイドを購入、こちらにもサインを入れて頂けました。
藤波さんにお礼を言って根本さんと別れ巣鴨に移動、13時からはいよいよミミさんのイベント開始です。
ミミさんの登場時には当時の入場テーマ曲「I BELIEVE ME」が流れ、懐かしさに感動しました。
英語の歌ですが、当時歌詞を覚えたくてこの曲が収録されたレコード(全女選手のテーマ曲集)を購入、何度もヒアリングして英語をカタカナに直したのも懐かしい思い出で、未だに部分的には歌えます。 ただ、この日のトークで可愛い子ちゃん路線から脱皮したかったミミさんはこの曲があまり好きじゃなかった事が発覚、これにはショックでした(苦笑)。
第1部はプロレスラー時代を振り返るトークタイム、やはり印象に残ったのは芸能界から転身して来たミミさんに対し周囲からの風当たりは相当にきつかったという事でした。
当時のエースはジャッキー佐藤さんで、ミミさんはジャッキーには可愛がられていましたが、それが余計にやっかみに繋がったようです。
この日はジャガー横田さん、ブル中野さん、高階由利子さん、立野紀代さん、井上貴子さんとOGたちがゲストとして集結、思い出話に花が咲きましたが、辛い立場のミミさんをいつもかばい励ましてくれたのがほぼ同時期に入門したジャガーで、二人が今も固く強い絆で結ばれている事が実感出来ました。
辛いイジメを経験したから、自分が上に立った時には絶対イジメをしなかったと言うミミさん、後輩だったブル&高階さんも「ミミさんが怒ったのを見た事がない」「後輩に対しても敬語で話す先輩だった」「たった一度だけ後輩を怒ったのは、煙草が止められない選手(当時の女子プロは三禁)に対してだけ」と口を揃え、その言葉の端々からリスペクトぶりがありあり、尚、ブルさんはステージ衣装に着替えたミミさんに「すみません、ファスナーを上げて貰えますか?」と頼まれたのを覚えているそうです。
第2部はオークションコーナー、ミミさんが実際に使用した水着とリングシューズが登場しましたが、水着なんて買うとただの変態おやじなので(笑)リングシューズは安けりゃ欲しいと思っていました。
もし誰も落札しなければ闘道館が買い取るという事でミミさんは売る気満々(笑)、しかも闘道館の提示価格が結構高く、それがスタートとなってしまった為に誰もついていけず、結局店頭に並ぶ事と相成りました。
そして第3部はお待ちかね、サイン&ツーショット撮影会ですが、この撮影会がまた変わってまして、前代未聞の「懺悔ツーショット」コーナーが設けられたのです。
これは参加者がミミさんの前で跪き、悔い改めたい事を懺悔、ミミさんがそれに対して
1、ヘッドロック 2、スリーパーホールド 3、ラブラブハグ 4、竹刀で一撃 5、水掛け のいずれかで答えるというトンデモ企画でした。
元ネタは懐かしや「オレたちひょうきん族」の懺悔のコーナーでしょうが、何とこれ、ミミさんの発案で、狭い会場内で水を使うのは後始末が大変なので主催者側からはNGが出ましたが、ミミさんはどうしてもやりたいと主張して実現に至ったそうです。
ミミさんの、人を楽しませる生粋のエンターティナーとしての面目躍如といったところですが、そこで水対策として子供用のビニールプールが用意され、全員がそこに入って懺悔をする事になりました。
私はどうせ暑い時期だし、盛大に水をかけて貰う事を期待してバスタオルと着替えのシャツを持参しましたが、問題は何を懺悔するかです。
叩けばいくらでもホコリが出る身ではありますが(笑)、今イベントの企画者でMCも務めた梶谷さんと事前にお話しした時、皆がドン引きするようなあまり重い内容は困るとの事でした(当然)。
前回書いたように私はミミさんの現役時代途中に会場から足が遠のき、引退後は資料性の高い自伝と写真集だけは残していましたが、何枚か持っていたレコードは中古ショップに売ってしまいましたので、その事を悔い改めました(話を盛って3枚で200円にしかならなかったと 笑)。
ミミさんの答えは期待通りの聖水攻撃、おまけにスリーパーまでかけて頂き大変幸せでしたが、ハグして貰った人も羨ましかったなあ(笑)。
この懺悔を全参加者(約60人)とやったのでかなり時間がかかりましたが、ミミさんの用心棒役?として登壇したブル&高階の両氏がマイクで絶妙の司会進行を果たしたおかげで、間延びする事無く終始笑いが絶えない盛り上がりでした。
それに何だかんだと一番水に濡れていたのはミミさん御自身(笑)、お疲れ様でした!
3時間半もの長丁場のラストをアカペラの熱唱で締めたミミさん、この日はチャンピオンベルトを終始身に着けていて、ベルト好きの私としては気になって仕方なかったのですが、十字架をあしらったデザインに「JESUS IS LOAD (イエスは神)」の文字とミミさんの名前が施されたオリジナルの物でした。
飲食店の経営、ダンス教室などご多忙なミミさん、この日も翌日の仕事の関係で広島へ日帰りを強行されましたが、元々霊感が強く、レスラー時代には臨死体験もあったそうです。ご本人曰く「マリア様のお告げによって」93年に広島に引っ越した時には「ミミ萩原が新興宗教の教祖様になった」と報道され、私自身も長くそう信じていましたが、全くの事実無根でした。
しかし福祉施設への慰問やボランティア活動は精力的に行われており、今年から来年にかけて南アフリカやインドにも行かれるそうで、平和の為の親善大使としての活躍に益々期待がかかります。
広島のお店にも一度行ってみたいものですし、来年になるでしょうがファンイベントも楽しみにしています。
(ミミ萩原 ファンフェスタ2018の模様はこちらをクリック)
(前代未聞!? 懺悔コーナーの模様はこちらをクリック)
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