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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.614 2019.2.23  

「 獅子の瞳(1) 」

♪獅子の瞳が輝いて…ウルトラマ〜ンレ〜オ〜!(レ〜オ〜!)

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 「ウルトラマンレオ」放送45周年を記念してブルー
レイ発売!

お馴染み、「ウルトラマンレオ」の主題歌でのスタート、私にとって今年の1月は文字通りの「レオ月間」でした。

日本が世界に誇る円谷プロダクション制作の「ウルトラシリーズ」は、私がまだ生後半年の1966年(昭和41年)1月、TBSテレビ系の「ウルトラQ」で幕を開けました。
同年7月からは後番組として「ウルトラマン」がスタート、平均視聴率36.8%、最高視聴率は42.8%(!)と言う驚異的数字を叩き出し日本中に空前の「怪獣ブーム」を巻き起こします。
その後、約半年のブランクを経て1967年(昭和42年)に始まった「ウルトラセブン」で俗に言う「第一期ウルトラシリーズ」は終了しますが、流石に私は幼すぎてリアルタイムで触れる事はありませんでした。
しかしシリーズ終了後も夕方の時間帯には断続的に再放送があり、幼児や小学生向けの学習雑誌(たのしい幼稚園とか小学○年生、懐かしいな!)ではウルトラマンの特集が定番とあって、私と同年代の子供たちにはこれがウルトラの原体験となったのです。
おもちゃ屋にはマルサンやブルマアクのソフトビニール人形が溢れ(今も持っていたらお宝だったのに!)レコードや怪獣図鑑等々、再燃した怪獣ブームに気を良くした円谷プロは遂に新しいウルトラマンの制作を決定、1971年(昭和46年)から「帰ってきたウルトラマン」の放送が始まりました。これこそ私にとって初のリアルタイムでのウルトラシリーズです。
文字通りブラウン管に「帰って来た」ウルトラマンは以後、「第2期ウルトラシリーズ」として「ウルトラマンA(エース)」(1972年)、「ウルトラマンタロウ」(1973年)、そして本稿主役の「ウルトラマンレオ」(1974年)と続き、同時期に始まった「仮面ライダーシリーズ」とともにヒーロー番組のブームを牽引する事となります。
今の若い人には信じられないでしょうが、この時期は月〜日までほぼ毎日のように特撮ヒーロー番組が(それも大半がゴールデンタイムで!)やっていた夢のような時代で、これにアニメも加わり、私のようなテレビき○がいにはたまりませんでした。
これだけ子供番組が量産されると放送時間が重なるのも当然で、まだビデオが無かった為、「ウルトラマンA」の裏番組の「変身忍者嵐」、「ミラーマン」と重なった「シルバー仮面」、国民的人気アニメ、日曜日18時半の「サザエさん」の裏の「ファイヤーマン」などは当時観られず残念でした(苦笑)。

ウルトラに話を戻せば、第一期シリーズの「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」はそれぞれ独立した作品として別の世界観の如く描かれていましたが(マンもセブンも同じM78星雲人と設定されたが劇中では明確な繋がりなし)、「帰ってきたウルトラマン」第18話にウルトラセブンがゲスト出演すると大反響を呼び、やがて「ウルトラマン」最終回に登場したゾフィを長男とするウルトラ兄弟の設定が生まれました。
ヒーロー番組粗製乱造の中の対抗措置として歴代ウルトラマンの共演は必然であり、兄弟に留まらず「ウルトラマンA」ではウルトラの父が、そして父がいれば当然母も…と、「ウルトラマンタロウ」ではウルトラの母まで登場(初の女性ウルトラマン)、我々テレビの前の子供は大喜びでしたが反面、ウルトラマンのファミリー化路線は本来神秘的存在、超人であるはずのウルトラマンの魅力を損なう事になった感は否めません。

そこで、第2期シリーズ最後の作品となった「ウルトラマンレオ」では、過去の反省も含め大胆な構造改革が実行されました。
先ず主人公のウルトラマンレオはL77星出身、つまりこれまでのM'78星雲生まれのウルトラマンとは別の種族と設定されたのです。
些細な事のようですが、これまでウルトラマンの共演を当たり前のように観て来た我々としては「今度のウルトラマンはこれまでのウルトラマンと同じ一族ではない」と宣告されたのは結構ショックでしたよ。

故郷であるL77星をマグマ星人の侵略によって破壊されたウルトラマンレオは地球に亡命、おおとりゲンと名乗り暮らしていましたが、マグマ星人は双子怪獣を引き連れて地球にも襲来しました。
ウルトラセブンことモロボシダンは宇宙パトロール隊MACの隊長として地球防衛の任に着いていましたが、セブンは双子怪獣との戦いで足に致命的な怪我を負い、ダンはセブンへの変身能力を失ってしまいます。
セブンとして戦えなくなったダンはゲンに期待をかけ、自分に代わって地球を守る強い戦士となるよう徹底的に鍛え上げていくという師弟関係がストーリーの主軸となるのですが、この展開、皆さん何処かで聞いた話だと思いませんか?
そう、まるで「巨人の星」の星一徹と星飛雄馬の親子、「ウルトラマンレオ」には熱血スポーツ根性ドラマの要素が取り入れられたのです。
主役が危機になると頻繁に他のウルトラマンが救援にやって来たこれまでの「A」や「タロウ」とは真逆にレオを故郷を失った孤独なヒーローとし、ダンの指導で成長していく姿を描く方針は、すぐ他人の力を頼りにする甘え癖のついた(当時の)現代っ子に楔を打つ為の試みで、「レオ」のシリーズ前半は怪獣・宇宙人との戦いでレオが一度敗退 → ダンがゲンに敵に勝つ為の技を猛特訓 → レオが勝利 のパターンに終始しました。
良きにつけ悪きにつけ「レオ」最大の特徴としてインパクトは絶大でしたが、第一期シリーズからの(比較的高い年齢層の)ファン・マニア連からは「怪獣・宇宙人が何の目的意識もなくただ暴れるだけでSF的なテーマが無い」と総スカンを食ったそうです。

では、当時小学4年生の私は「レオ」をどう観ていたのか?
…正直に言うと、これがあまり印象が無いのです。既に第2期シリーズも4年目、シリーズ通算では7作目とあっていささか興味を失いつつあったのは事実で、これは何もウルトラだけでなく、同時期の仮面ライダーシリーズ(X〜アマゾンの時代)に対してもそうでした。
前述のようにレオがL77星出身で生まれでこれまでのウルトラマンが出て来ない事、唯一の砦?ウルトラセブンも第1話で変身能力を失った事、全体的な作風が子供にはあまりにも暗かった事などのマイナスイメージばかりで、ましてや前作の「タロウ」が明るいコミカルタッチで、ウルトラファミリー総登場のエンタメ路線だった事から余計に落差を感じ、惰性で観ていたような気がします。
怪獣ブームが終わってロボットアニメに人気が移りつつあり、折しも時代はオイルショックによる狂乱物価の真っ只中、原材料の高騰によりただでさえお金のかかる特撮番組は大打撃を受けました。
「レオ」も悪戦苦闘の中で中盤〜後半には視聴率が10%を維持する事すら難しくなり、遂にウルトラシリーズは終焉を迎える事になったのです。
1975年(昭和50年)3月13日の毎日新聞に「さよならウルトラマン」と題し、28日の放送分で番組が終了するという記事を目にした時には、もうかつての熱狂はなかったものの子供心に一抹の寂しさと、一つの大きな時代が終わった事を実感しました。
最終回でヨットに乗り夕焼けの海に出ていくゲンの姿を観て、もうウルトラマンが帰って来る事は二度と無いと信じきっていたのです。

以後、テレビ好きは相変わらずでしたが、ウルトラマンの事などすっかり忘れプロレス、野球、漫画や読書などに熱中していた私、そして3年が過ぎ中学生になる頃(1978年=昭和53年)、夕方の時間帯に唐突に始まったウルトラシリーズの再放送が私の運命を変えました。幼き頃の血が騒ぎ出したのか、またたく間に虜になってしまったのです。
これは私だけではなく、ノスタルジックな気持ちでファンが回帰する現象が全国的に発生、前回のブームと違ってマニア向けの蔵書やムック本(朝日ソノラマ社のファンタスティックコレクションシリーズなど)が多数出版されるようになり、我々のマニア化に拍車をかけました。中学生になってすっかり忘れていたウルトラにはまるとは、世の中はほんと何が起こるかわかりません(笑)。
勿論マニア層だけでなく、本来のメイン視聴者である子供たちの間でも人気にあっという間に火が付き、おもちゃや関連グッズが爆発的な売れ行きを示しました。
そんな第3次ウルトラブームがピークの1979年(昭和54年)、満を持して関西地区では土曜日の夕方に「ウルトラマンレオ」の再放送がスタートしたのです。
再放送と言っても5年前に熱心に観ていなかった私にとっては殆ど本放送に近い感覚、多感な中学2年生、それもすっかりウルトラシリーズマニアになっていた私は本放送時でのとっつきにくさが嘘のように「レオ」のハードで男臭い世界に痺れ、ハマってしまいました。 小学生の時は「レオ」の魅力を理解するのにはまだ幼すぎたのでしょうが、この現象、小学生時代は何とも思っていなかった太田裕美さんに中学生になってからハマったのと全く同じです(笑)。

そして本放送から早や45年、遂に本物のウルトラマンレオに会える機会が訪れました!

(次回へ続く)
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