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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.620 2019.4.6  

「 平成最後のオールスター戦(1) 」

4月に入り当社は新年度(第46期)に突入しました。

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 馬場さん追善&ブッチャー引退、平成最後のオール
スター戦

平成の終わりまで一か月を切りましたが、例によって二か月遅れが定番のこのブログはまだ2月のネタ、何しろこの月は私にとってオリンピックorワールドカップ級の超ビッグイベントが開催されましたので、この話題をスルーするわけには行きません。
2月19日、東京・両国国技館にてジャイアント馬場さんの没後20年を追善した、夢のオールスター戦が実現したのです!!
新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリングノアなど国内主要5団体に加え内外から多くの選手及びゲストが集結、平成の最後にこんな素晴らしい夢が見られるとは(涙)。

余談ですがこの大会の発表時にネットなどで紹介された解説記事には笑ってしまいました。
「プロレスのオールスター戦と呼ばれる大会は過去3度実現しており、今回は通算4度目となる。1度目は東京スポーツが創刊20周年を記念して主催した、新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレスによる合同興行(1979年8月26日 日本武道館)、2度目と3度目はやはり東スポ主催で東日本大震災復興支援チャリティーとして行われたALL TOGETHER(2011年8月27日 日本武道館)(2012年2月19日 仙台サンプラザホール)である。」 何気なく読み飛ばすところでしたが何かおかしい? 95年4月2日東京ドームの「夢の懸け橋」が無視されているじゃないですか(笑)。
週刊プロレスを発行するベースボールマガジン社の主催により男女含め当時の13団体が協力した同大会でしたが、前述の東スポ主催のオールスター戦と違い正式な会見をする事も無く、大会概要やら対戦カードの発表を全て週刊プロレス誌上でのみ行った事で「私的な大会」と批判され、ライバル誌など他のマスコミは黙殺しました。
前述の3度の内、昭和の時はまだ私は中学生、平成のチャリティーの武道館大会は裏のIGF両国に足を運びましたので、「夢の懸け橋」のタイトルに相応しかった同大会は唯一生で目撃出来たオールスター戦、従ってプロレス界の歴史から抹消されているのが残念でなりません。

馬場さん追善興行となる今大会では永遠のライバル、”黒い呪術師“アブドーラ・ザ・ブッチャーの引退式が行われる事も決まりました。

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 一昨年にお会いしたブッチャー、車椅子でしたがお元気でした。

ブッチャー7年ぶりの来日! 朗報でしたが一昨年、フロリダでのレッスルコンで車椅子姿を目撃して胸が痛んだ私としては果たして本当に来日が可能なのか?正直半信半疑でした。
大会概要が発表され早速入場料をチェック、特典付きの最前列のブッチャーシートは20000…成程2万円か、引退興行だしオールスター出場だから、ま、そんなもんだなと思いつつよく見ると、ん?0が1つ多い?
な、な、なんと20万円!? アントニオ猪木VSモハメド・アリ(最高額30万円)かよ!?流石にこれには唖然としました。
猪木アリ戦はあくまで特例につき、純粋なプロレスの興行としては今回がブッチギリの最高額、こんな高いチケット誰が買うんだよ、最初からスポンサーやタニマチ用かとも思いましたが、どうやら高額チケットの背景にはブッチャーの手術代捻出があったようです。尚、ブッチャーシートの購入特典は引退式のリング上で花束を渡して記念撮影が出来る事、こっちが逆に花束欲しいぐらいだなあ(苦笑)。
結局一緒に観戦予定の新宿区の同業、Hさんと相談して一万円のマス席の一番前を購入しました。何人もの友人から「社長ならブッチャーシート行くかと思ってました。」と冷やかされましたが、こちとら貧乏庶民、買わね〜よ(笑)!
世界最強タッグ優勝戦の日、Hさんから確かにチケットを受け取ったのですが…ああ何と言うこと、私不覚にも何処かで失くしてしまったのです!大阪に帰ってチケット紛失に気がついたのですが一体何処で無くしたのやら(涙)。37年の観戦歴の中でチケットを無くした事なんて初めてですよ。ブッチャーシートを笑っていたので呪術師にたたられたのか(苦笑)?
以前に「Webチケットは馴染まない、やはり紙の切符が好き」と書きましたが、人間勝手なものでこうなるとWebの方が安心ですね(苦笑)。
やむなく1階の一番安い7千円のチケットを自分で買い直し、当日は本来座るはずだった席に陣取ったのでした…。

馬場さんの追善&ブッチャー引退に花を添える為のゲストとしてスタン・ハンセン、ドリー・ファンク・ジュニア、ミル・マスカラス&ドス・カラス、ジョー・ディートンら、私の大好きなレジェンドたちの来日が決定しました。
こうなるとファンの期待はリング外でのイベントですが、先陣を切って大会6日前に横浜のハードロックカフェでスタン・ハンセンのトークショーが開催されました。

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 幕張メッセでのスーパーマーケットショー、ジェプラのブースより

翌週には上京するのに何で前の週の平日にやるんだよ、と当初は欠席のつもりでしたが、日程を見るとちょうど、当社が加盟している協同組合ジェプラが出展しているスーパーマーケットトレードショーの期間中、こりゃラッキー!と一番に予約しました。
時々は仕事のネタも入れないと外野がうるさいので(笑)展示会当日の話ですが、我がジェプラのブースでは弊社が力を入れている冷凍スイーツ、紙製の深絞り容器など、なるべく独自性のある商品を紹介させて頂きました。
館内をうろついていると次から次へと同業の社長さんたちにお会いしましたが、聞けば翌日(だったかな?)に東京で某メーカーさんの代理店会(弊社は随分昔に退会)があるとの事、展示会と同時期にやった方が皆が上京しやすいという発想らしいですが、皆さん展示会中はクライアントとの商談やら接待があるので、時間が拘束されるのはかえって迷惑だとこぼしていましたよ。私の経験上ではどの会も似たようなもの、会員の事情を考えず何でも自分たちの都合だけで決めるんですよね〜(笑)。
ジェプラも似たようなもので、再三催促しても総会とか忘年会とか大事な日程、ぎりぎりまで決めてくれないのですよ。オーナーの予定なんて最低半年前には決めろっての。
以前にその旨をメールしたら事務局の人が弊社の社員に「田宮社長から最低半年前に決めろと連絡があったのですがそんなにお忙しいのですか!?」その社員「いつも暇そうにしてますけどね。」と返したとか(笑)。

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 三年半ぶり、ハードロックカフェでのスタン・ハンセンイベント「ウィー!」

いかんいかん、やはり仕事の話は愚痴と批判が止まらなくなりますので、その夜のトークショーの話に移りましょう。ハードロックカフェ横浜にやって来たのはスタン・ハンセンとテリー・ファンクがイベントをやった時以来なので3年半ぶり、今宵も根強いハンセン人気で店内は満席でした。
“不沈艦”“ブレーキの壊れたダンプカー”と言われたハンセンも今や優しい好々爺、穏やかな雰囲気の中でのトークとなりましたが、最前列にいた私の猪木スタイルに妙にウケていました(笑)。
サイン&撮影会でも「ハロー!ハワユー?」と気さくに声をかけてくれて嬉しかったです。

バレンタインデーの翌日は大阪にUターン、実はこの日の夜は大事なミッションが待っていました。
翌15日、我が家のご近所の城東KADO-YAがもよんホール(城東区民ホール改め)にて上井さん主催により行われるマサ斎藤メモリアル大会のスペシャルゲスト、エリック・ビショフ&サニー・オノオのお二人が来阪されたからです。
大親友だったマサさんの為に何とノーギャラで来日してくださったお二人、上井さんとマサさんの奥様であるミチさんが関空まで二人を迎えに行き、私は指定された天満橋の京阪モールの回転寿司屋の前で待機していました。
上井さんによると、90年代の新日本プロレスとWCWの業務提携時のビショフの印象は「ニコリとも笑わない人」との事だったので、待っている間から緊張しましたが、この日は英語ペラペラのミチさんとオノオさん(オノオさんはれっきとした日本人、本名は小野尾さんです)が一緒なのでまだ安心、到着した御一行と合流してテーブルを囲みました。
ビショフさんはとても温厚なジェントルマンでオノオさんもとても陽気な面白い方、当初の心配は杞憂に終わり楽しい時間を過ごせました。
ビショフさんはとにかく日本食大好き、なんと家では自分で白菜キムチまで作るそうで…今時日本人でもそんな人なかなかいませんよ。

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 巌流島を彷彿させる幟が
ずらり

翌日の夜は大会本番、会場にはあの巌流島を再現したブルー、ピンク、イエローの幟が計114本もはためき圧巻でしたが、実はこれ、弊社にて制作を請け負ったものなのです。上井さんによれば87年の巌流島の時は幟の「巌流島」の「巌」の字が「厳」になっていて(げんりゅうじま!笑)試合前夜に大慌てで全ての幟を手作業でやり変えるという笑えぬ事件があったそうで、今回は同じ轍をふんではなりません。また、幟にはご協賛頂いた方それぞれのお名前を入れましたが、人やお店の名前を間違うと大変なので、何度も入念に校正しましたよ。

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 特製赤色の弊社の幟の前で記念写真

尚、弊社の名前の幟も出させてもらいましたが、こちらのみ製作者特権で「燃える闘魂」の赤色にしました(笑)。
マサさんのメモリアルとあって出場選手は勿論、ビショフ&オノオさん以外のゲストも豪華、休憩時間には大阪初上陸の噂のアンドレザ・ジャイアントパンダ、2本の本物ベルトを持参してくれた田村潔司選手との撮影会もあり、皆さん大喜びでした。
因みに田村潔司選手のニックネームは“孤高の天才”、ん?何処かで聞いた事がある(笑)?
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翌週の舞台は再び東京、いよいよ待ちに待った「夢のオールスター戦」ウィークへと突入!

(次回へ続く)
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