包装資材の専門商社 タミヤ

ホーム タミヤのチカラ 商品ラインナップ 環境保全活動 会社情報 お問い合わせ

会社情報

Home > 会社情報 > 社長の経営日誌
会社概要
主要販売・仕入先
社長の日誌

社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.623 2019.4.27  

「 平成最後のオールスター戦(4) 」

(前回からの続き)

平成の最後に相応しいオールスター戦が終わり祭りの後の静けさ、いささか気が抜けましたが、まだ用事が残っており東京に滞在していました。
翌々日の21日の午後はなんと!最近大変懇意にさせて頂いている大隅社長のはからいで(感謝!)ドリー・ファンク・ジュニアに会えたのです!!
大隅社長は水道工事などの公共事業の傍ら、日本におけるドリーのマネージャー的役割を果たされている業界では有名な方ですが、本業も自分の好きな事もしっかりやっているという意味で私にとっては憧れの経営者です。
ドリーとのご対面は当初、両国の翌日(20日)の予定でしたが、流石に疲れが出たのかこの日ドリーはホテルの部屋から一歩も出て来ず、大隅社長も会えなかったとの事、帰国日にあたる21日に改めてセッティングして頂けました。
この日の私の予定は朝から某メーカーさんを訪問し、そのまま先方と昼食をとるはずでしたが、何よりもドリーが優先というわけで食事の方はキャンセルさせて頂き(すみません!)大隅社長に指定されたホテルへと向かいました。
予定よりかなり早目にロビーに到着、大隅社長に連絡を取ると近くでドリー夫妻と食事中でまもなく帰るとの返事でした。
その間40分ほどでしたが、何度トイレに立った事やら…近年はプロレスラーの方と接する機会が増えた私ですが、これほどの極限の緊張は久しぶりでした。
80年代、日本人なら勿論アントニオ猪木、外国人ならザ・ファンクスが一番大好きだった私、ファンクスとハンセン&ブロディの抗争で何度涙を流した事やら…どんな困難にも立ち向かう不屈の闘志と勇気を教えてくれたファンクス、そのドリーがまもなく目の前に現れるのですから落ち着けと言う方が無理です。
そのうちようやくドリー夫妻と大隅社長が帰って来ました。いつもなら西村修選手もついていますがこの日は公務(現職の文京区議会議員)の為、大隅社長お一人でのサポートです。
「ハロー」と握手を交わし自己紹介しましたがこちとら緊張でガチガチの心臓バクバク状態、舞い上がっているのが自分でもわかりましたが、ドリーもマーティ夫人も大変にこやかに接して下さいました。後で聞いたら大隅社長が昼食時に私の事を「マイベストフレンドでビッグカンパニー(何処が!?)のプレジデント」とかなり吹いてくださっていたのも功を奏したようです(笑)。
大隅社長に通訳して頂きブロディとの試合が好きだったと伝えるとブルーの瞳でにっこり、 一緒に写真を撮って頂き、色紙にサインも頂けて本当に感激のひと時でした(涙)。
秋には再来日予定との事ですので、どうか元気で再会出来る日を楽しみにしています。

この夜は後楽園ホールにて新日本プロレスの大会があり、試合は観られなかったもののFC撮影会で天山広吉選手と記念撮影、その後は急いで中野に移動しました。

 クリックで拡大
 「青春のメモリー」会場は中野サンプラザ
 クリックで拡大
 チケットは前売りで完売!

「青春のメモリー」と題したイルカさんと太田裕美さんのジョイントコンサートで、会場は4日前「ウルトラマンA」イベントで来たばかりの中野サンプラザでした。
ほんと今年は中野に縁がある私、2月の時点で既に5度目の中野入りです(笑)。
中野サンプラザのキャパは2222人ですがチケットは前売りで完売、流石は年末の特番「10000人が選ぶもう一度聴きたい名曲」の女性部門1位コンビ(裕美さんはアイドル、イルカさんは歌姫部門)、往年のザ・ファンクス並みの最強タッグです(笑)。
そう言えばこの日の同時刻には東京から遠く離れた山口県の光市ではブッチャーのサイン・撮影会が行われていました。
平日の山口で人など来るわけないと思っていたら、後日SNSで私の予想を覆す150人近いファンが集まったと知って仰天、殆どが県外からの密航組でしょうがその熱意あっぱれですよ。 こちとら東京出張中で物理的に参加不可能だったものの、もし大阪にいてよほどの用事がなければ恐らく行っていたと思います。
行かなかった事を後悔した事はあっても行った事を後悔した事は一度もない私、一度きりの人生、後に悔いを残さぬ為にもこれからも可能な限り行動して行くつもりです。
22日は朝から幕張メッセにて「ホテルレストランショー」を視察、午後は東京に戻ってゆずポンが来場予定の渋谷の浜田翔子写真展に向かいました。
熱心な常連ファンが既に3人待っており、14時過ぎにゆずポン親子と浜田翔子さんが登場、家庭の主婦は多忙なのかあまり長居はしませんでしたが、昨年10月以来真近に見たおぼっちゃまが随分と大きくなっていて、子供の成長の速さに驚きました。
ゆずポンの写真を見たFB友達の女性が「まるで聖母さんのよう」とコメントをくれましたが、今ではもうプロレスラーだった事が信じられません。お坊ちゃんと三人で撮らせて頂いた写真は自称・家族写真と称しています(笑)。

夜は昨日に続き後楽園ホール、昨日は試合が観られなかったので、この日と翌日は新日本プロレスとROHの合同興行をじっくりと楽しみました。
因みにこの日撮影会に登場したのはブリスコ・ブラザース…ん?昭和のファンの私は一瞬ジャックとジェリーかと思いましたが、平成のブリスコ兄弟はマークとジェイです。 だいたいジャック・ブリスコ(馬場さんにNWA世界王座を明け渡した事で有名)はもうお亡くなりになってますし(苦笑)。弟のジェリー・ブリスコは健在ですが、何とこの約一か月後に会えたのですよ〜!(詳細は5月のブログにて)

さて、翌23日は土曜日、昨日で仕事は全て終わったのでようやくスーツが脱げました(私を私服に着替えさせてってか 笑)。
一週間もの長期滞在だったので下着やらワイシャツが途中足りなくなって何度もユニクロやら青山に買い足しに走りましたが、汚れ物とスーツをまとめて大阪に送り返しましたので帰りは随分身軽になりましたよ。
この日は朝から横浜のパチンコ店に森咲智美ちゃんがやって来ると言うので顔を出してからお昼の東京女子・新宿FACE大会に行く予定でしたが、疲れが出たのか寝坊してしまいました。9時に横浜に行くつもりが目が覚めたら7時過ぎ、ほんとは5時に起床してゆっくり入浴と朝食のつもりだったので、ああもう間に合わない、このまま二度寝するかと思いましたが、やはりそこは「智ちゃんが待っている!」(別に待ってね〜よ 笑)とばかりどうにか起き上がり大急ぎでシャワーを浴び、コンビニで買ったバナナを電車内でほおばりながら、開店時間ぴったしに到着できました。
着いてびっくり、ほんの一週間前横浜のハードロックカフェにハンセンが来た日に泊まったホテルのすぐ近くじゃないですか(笑)。
サインを頂きツーショット撮影の後は東京へUターンして新宿FACEに、私のお目当ては白川未奈ちゃんの試合でしたが嬉しい事にこの日は久々に沙希さまも参戦、得した気分でした。(東京女子・新宿大会はこちらをクリック
夜は後楽園で前夜に続いて新日本プロレスを観戦、そうそう新日本と言えばこの日も前夜も、公約通り?係員がチケットとFC会員証のチェックに来ましたよ。ご苦労様です!

東京最終日となる24日の日曜日、朝から昨日に続いて森咲智美ちゃんの今度は撮影会に行って来ました。
前日のパチンコ屋イベント、何気なくFBに「森咲智美ちゃん14時まで来店中、お近くの方は是非」と投稿したら、ほんとにその後、「田宮さんのFB見て来ました。」って方がいたそうでびっくり!一体誰だろう?(俺様への事後報告がないぞ 笑)
直接繋がっていない友達の友達かもしれませんが、SNSの影響力を実感しました。
智ちゃんの事務所のマネージャーも結構プロレス好きな方なので両国で購入したブッチャーのフォークを見せてあげようと持参、胸ポケットにさしていたら目ざとく見つけた智ちゃん「何でフォーク持ってるの?」 平成生まれの彼女はブッチャーをご存じありませんでした。デストロイヤーと並んで日本で最も有名な外国人レスラーなのに…世代間ギャップです(苦笑)。

 クリックで拡大
 栃木県・宇都宮市文化会館

午後からは東北新幹線にて宇都宮へ移動、長かった一週間のファイナルは宇都宮市文化会館での太田裕美さんと中村雅俊さんのジョイントコンサートです。
雅俊さんの曲を生で聴くのは二度目ですが、昔から好きな曲が多く、チケットも前から2列目が取れたのでとても楽しみで、期待通りのステージで満足でした。

嵐のような平成最後のオールスター戦ウィークの振り返り、豪華でバラエティに富んだツーショット集はこちらをご覧ください(こちらをクリック)。
奇しくも今週は平成最後のブログ、来週からはいよいよ令和がスタートします。
88年に社会人となった私にとっての平成とは文字通り苦難の歴史でしたが、こうして無事新しい時代を迎えられる事に感謝しています。
さらば平成…。

* 令和初の更新は10連休明け、5月7日(火)の予定です。

<過去の日記>
サイトマップご利用にあたってプライバシーポリシー

(c) 2007 TAMIYA.Ltd