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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.630 2019.6.15  

「 魔の10連休(1) 」

〜 エピローグ・名勝負数え唄編 〜

約二か月遅れが定番のこのブログはようやくゴールデンウィーク編に突入、皆様ご承知の通り今年は史上初、恐らく最初で最後であろう「魔の10連休」が待ち構えていました。
この長い長い休みを皆様はどのように過ごしたのでしょうか?
勿論仕事をされていた方も多かったでしょうが(ご苦労様です)弊社の場合建前はあくまで10連休、しかし大半の日は社員が交代出勤で業務に当たってくれていました。
特段する事も無い私はゆっくり骨休めするつもりでいたものの、このとてつもなく長い休みに具体的に何をするか?決めかねていました。
毎年年末年始にも6日ほどまとまった休みがあるのですが、暇を持て余してついついする事もないのに一日は出社してしまいます。
我ながら呆れるばかりの貧乏性、いっそ海外にでも脱出すれば良いのですがとてもそんな資金は無く、そこでこの10連休は思いきって東京に移住する事にしました。
東京なら連休中もイベント花盛りで時間の有効活用が可能ですし出社したい症候群も断ち切れるので一石二鳥です。
人には10日も勿体無いと言われましたが海外旅行に比べれば遥かに安上がりですし、考えても見て下さい、もしこの連休中にこれだけは絶対に行きたいイベントが2つか3つ飛び石であったとして、大阪〜東京を二往復するぐらいならずっと居た方がよほど効率的ですよ(笑)。

怒涛の10連休ロード、先ず先陣を切るのは厳密には連休前の4月21日大阪、そして26日に後楽園で開催された「ドラディション」です。
昨年は4月にボブ・バックランド、10月にカネックを招聘し、我々の夢を叶えてくれた藤波さん、果たして今回の目玉は誰か?
最近は百貨店の催事コーナーの応援で藤波さんにお会い出来る機会が増えましたが、次回大会の話題となると常に悩まし気…と言うのは近年多くのレジェンドが他界されている為、ゲストの候補者が底をついてしまっているからです。
前回の場合、筋金入りのドラゴン信者の根本さんや私は、正式発表のかなり前に目玉がカネックと言う情報を入手していましたが、今回だけは藤波さんのガードが堅く、煙に巻かれていました。
そして今年の初めにお会いした時、藤波さんの口から「まあ見ていてよ、4月は“究極のレジェンド”を呼ぶから。」の言葉が出たのです!
あの慎重居士の藤波さんがここまで言うとなると相当の超大物との契約に成功した事は間違いなし!?これは何としてもヒントだけでも得ようと「藤波さんが戦った事がある相手ですか?」と食い下がると力強く「ある!」。
過去に招聘済みのマスカラス、バックランド、カネック、ベイダー(故人)以外で藤波さんとゆかりがあり、尚且つ今でも試合が出来るレジェンドってもういそうにないのですが…「楽しみにしていてよ、リングサイド(の席)用意してますんで。」とニンマリのドラゴン、果たして誰が来るのか気になってその夜から不眠症になりました(苦笑)。
2月は馬場さん追善&ブッチャー引退のオールスター戦やプロレスリング・マスターズなどレジェンド系のビッグマッチが目白押しの為、話題が被らないようそれらが終わってから正式発表するとの事でしたが、私や根本さんはとても待ちきれず色々と推理合戦を繰り広げました。
因みに先行して発表された4月の大会名は「ネバー・エンディング・ストーリー」…バックランドが来た時は「バック・トゥ・ザ・ニューヨークツアー」、「敵前逃亡事件」の因縁のあるカネックの時は「リベンジツアー」とゲストにあやかったネーミングでしたが、今回ばかりは大会名から答えを導き出すのは困難です。
“究極のレジェンド”の言葉から私がすぐに連想したのがタイガー・ジェット・シンでした。
近年複数の団体が招聘に動きながら失敗した文字通り最後の大物、もしシンが来るなら万々歳ですが、この数日後に別の場所でまた藤波さんとお話出来る機会があったので探りを入れて見ました。
「藤波さんの言う”究極のレジェンド“わかりましたよ。もしかしたらカナダに住んでいる方(*シンはカナダ在住)じゃないですか!?」
私の言葉に藤波さんは笑顔で「いや、もっと“究極のレジェンド”かもしれないよ。」
私の予想が外れたのか、それとも図星でとぼけているのか?
本命=シン説は捨てきれませんでしたが、実は藤波さんがジュニア時代に戦っているブレット・ハート、さらにまさかのハルク・ホーガンも私の中では有力候補でした。
そしてもう一人、藤波さんが3カウントを奪われ借りを返していない相手、ローラン・ボックの可能性も!?
長年消息不明だったものの、2010年にGスピリッツのインタビューに突如登場してマニアを驚かせたボック、しかし本人の弁によれば現役引退から37年が過ぎているのでもはや試合は酷か(苦笑)。
本命=シン、対抗=ブレット、穴=ホーガン、大穴?=ボック、プロレスファンにとってはこうやって想像力を巡らせている時が最高に至福の時間です(笑)。

2月末、いよいよ4月大会の概要の発表日、藤波さんの会見の模様はネットで生配信があり、気になって仕方がなかった私は出先の路上でスマホにかじりつき状態でした(ちゃんと立ち止まってました、歩きスマホは厳禁!)。
雑踏の中では音声が聞き取れないので、思いきりスマホを耳に当てて神経を集中させていると、かすかに藤波さんの口から「アントニオイノキ」の言葉が聴こえたのです!
改めてネットで確認すると、大阪大会には長州力選手が参戦し、大阪で最後となる藤波VS長州“名勝負数え唄”が実現、後楽園大会にはアントニオ猪木さんの来場が発表されていました。勿論猪木さんが試合をするはずはなく、当日は藤波さんとスペシャルトークショーを行うとの事でした。ゲストはてっきり外国人とばかり思い込んでいたので「そう来たか!?」の心境でしたが、後になって冷静に振り返れば“究極のレジェンド”と言った時の藤波さんの子供のように嬉しそうな笑顔、敢えて発表をここまで引っ張った事など、いくつも思い当たる節があり、今回ばかりはドラゴンに完全に一本取られました。

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 因縁の長州のパネル前、
究極ヘンタイコンビ?で
ポーズ

待望の大阪大会の当日、会場であるATCホールに到着すると珍客?が一人、元週刊プロレス編集長・ターザン山本氏が突如大阪に出現したので驚きました。
最近顔を会わす機会が多くFBで互いの近況を常にチェックしあって「あなたみたいなファン見た事がない!」とすっかり人を究極のヘンタイ扱いして下さる(笑)ターザン氏、今回は友人の招待での来阪との事、最前列で全試合を観戦されていましたが因縁の長州力とニアミス、我々が期待した?盤外戦はありませんでした(笑)。
さて、試合の方は数々の激闘を繰り広げた大阪でのラストマッチとなる長州が発奮、いつもながらその全身から沸き立つ気迫はとても引退が目前の選手とは信じられない程で、試合後には藤波に促されて珍しくマイクを持ち挨拶、口下手な長州が一生懸命に言葉を選び藤波と大阪のファンに礼を述べる姿には胸を打たれました。

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 地元・大阪、ビリーケン・キッド選手

館内に長州のテーマ曲「パワーホール」が流れる中、藤波と握手し記念撮影を終えると先にそそくさとリングを降り退場、リングには藤波が一人残り、さあここで藤波のテーマ曲「ドラゴンスープレックス」に切り替わり!…を期待したのですが、ずっと曲は「パワーホール」のままでした。やがて藤波もリング下に降り、恒例となったリングサイドを一周してファンと握手、長州はニアミスでしたが温厚なドラゴンはターザン氏ともがっちり握手していましたよ(笑)。
その間もずっと流れ続ける「パワーホール」、藤波さんが控え室に消えようとするところでようやく曲が終わったので(いささか遅すぎる感はあったのですが)さあやっと「ドラゴンスープレックス」…と思ったら、ご丁寧にまた最初から「パワーホール」が!
音響スタッフ何考えてんだ、これ誰の興行なんだよ!?

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 試合後の関本大介選手

ちょうどこのブログを書いているのが5月14日ですが、奇しくも29年前の同日、東京体育館での全日本プロレスの大会でジャイアント馬場&ジャンボ鶴田組vsテリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス組のタッグマッチが実現しました(今では4人共この世にいないのが辛い 涙)。
この試合でゴディとウィリアムスの猛攻を受けた馬場さんはコーナーで背中を強打、戦闘不能となり最後はフォール負けしましたが、試合後こんな場面がありました。
館内に勝者・ゴディ&ウィリアムスのテーマ「勇士の叫び」(演奏はKISS)が流れる中、動けない馬場さんを心配して固唾を飲んで見守る館内、やがてようやく立ち上がった馬場さんがファンの声援に応えた時、馬場さんのテーマ「王者の魂」が流れ出したのです!
普通敗者の曲は流れないので音響スタッフが咄嗟に機転を利かしたのでしょう、おかげで最高に感動的な名シーンとなりました。仮にもプロフェッショナルならこれぐらい感性を研ぎ澄ませて空気を読めよな!

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 大阪大会成功、ドラゴンスマイルの藤波辰爾選手

この日の興行とは直接関係ないですがプロと言う言葉が出たついでにもう一つボヤキ、試合後の藤波さんのインタビューを週プロモバイルで読んでいると記者とのこんなやりとりがあったのです。
「長州との大阪でのシングル戦は2回しかありませんね」
「ああ、そうですか、自分の中ではタッグにしろ何にしろ大阪は何回もないんだよね。でもやはり内容が良かったのか、特に大阪は覚えてますね(以下、略)」
読んでいて何か違和感がったので記憶を辿ってみると、大阪での藤波VS長州(シングル戦)は通算6回実現していました(83年2回、84、88、94、2011年に各1回)。
念の為後日またも根本さんとお会いした時に答え合わせし確認しましたが、最近の若い記者(恐らく若い人でしょう)の不勉強・調査不足には呆れる、これがプロの仕事かよ?
レスラーは一試合一試合をとても覚えていられないので、藤波さん自身もそう言われると「大阪では2回だけ」と思い込んでしまうし、読者だって信じてしまうじゃないですか!
細かい事が気になるのが僕の悪い癖、愚痴とボヤキが増えるのは歳とった証拠(苦笑)?大阪最後の名勝負数え唄はこちらをどうぞ。
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我らが神・アントニオ猪木ご降臨のドラディション後楽園大会を含めた、10連休突入編はいよいよ次回から!

(次回へ続く)
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