(前回からの続き)
我らがアントニオ猪木は84年のIWGPリーグ戦で11人の難敵を撃破、前年度優勝者であるハルク・ホーガンの待つ優勝戦への進出を決めました。
さあ、後は去年の借りを返すのみでしたが実は私、前回指摘した事以外にもう一つ、このリーグ戦に疑問がありました(揚げ足取るつもりは毛頭ないのですが大会の根幹に関わる事なので 苦笑)。
…と言うのはこの年の初頭のゴング誌に「前年優勝したハルク・ホーガンはIWGPヘビー級チャンピオンであり、今年のIWGPリーグ戦はホーガンへの挑戦権を争うリーグ戦となる」と言う記事が掲載されたのです。
その為私はずっと最終戦で行われるのは「挑戦者決定リーグを勝ち抜いた選手がホーガンに挑戦するタイトルマッチ」と思い込んでいました。
しかし概略が発表されてもそんな説明は一切無く、世間は皆優勝争いの大会と信じてリーグ戦を見守っており?となったのです。
迎えた6.14蔵前の優勝戦はテレビの画面越しにも観客の熱気が伝わって来ました。
セミファイナルの6人タッグマッチが終わった直後から湧き起こる凄まじい猪木コールの大合唱、私は後にも先にもここまで観客のテンションの高い大会を他に知りません。
先ず猪木が入場、続いてホーガンが入場しましたがその腰にはIWGPのベルトが…。両者が揃ったところでホーガンがコミッショナーにベルトを返還、おいおいこれじゃあ誰が見てもタイトルマッチ(王者ホーガンの防衛戦)じゃないの!?
優勝争いの大会なら開幕戦で返還するのが筋と言うもの、ホーガンはこの日の試合を間違いなく「初防衛戦」と思いこんでいたはずです。
そもそも作るなら王冠とかトロフィーにすれば良かったのに、敢えて紛らわしいベルトにしたのは世界中のベルトを統一すると言う初期のコンセプトの名残でしょうか?
ゴングが鳴って目を引いたのはホーガンの堂々とした試合ぶりでした。
前年は敗れたとは言え主導権を握っていた猪木ですが、今回はグラウンドでも五分以上に渡り合うホーガンの成長に内心焦りを感じていたはずです。
「地位が人を変える」と言いますが、ホーガンはIWGPに優勝しただけでなく、年末にはWWF世界ヘビー級王座を獲得しており、これからテレビ戦略を駆使して全米統一を進めていくWWF(現在のWWE)の絶対エースとして日本のファンが想像する以上に巨大な存在と化していました。
試合は15分過ぎに場外戦となり、ホーガンがブレーンバスターを決めたところで両者リングアウトの裁定が下されました(17分15秒)。
当然観客からは嵐のような延長コール、優勝戦であれば引き分けは有り得ないので延長は当然ですが、マイクを持ったレフェリーいわく、「両者の希望もあって延長します!」
館内は拍手喝采でしたがホーガンの顔にははっきりと「WHY?」と書かれていました。
(引き分けなら俺のタイトル防衛じゃないのか!?)が本音だったのでしょう。
轟々たる声援の中で始まった延長戦は四の字固めから二人が同体でエプロンまで転がって膠着状態となり今度は両者エプロンカウントアウト(2分13秒)、前代未聞の再延長戦に突入しました。
ここでホーガンのアックスボンバーがロープ際で炸裂、不意をつかれた猪木の身体が崩れ落ちました。さらにロープに振られて正調の一撃、場外でももう一発、先に上がったホーガンがふらふらとエプロンまで上がって来た猪木に向かってダッシュ、あわや去年の惨劇の再現!? 場内から悲鳴が上がりましたが、二人の間にレフェリーが挟まるアクシデントがあり戦場が再び場外に移った時、信じられない事が起こりました!
ホーガンが猪木をフェンスに振ると、なんとセコンドに着いていた長州力が猛然とダッシュして猪木にラリアットを見舞ったのです。長州はホーガンに加勢したわけでは無く、唖然とするホーガンにも返す刀でラリアット!これはアックスボンバーと相打ちとなり両者共にダウン、この瞬間、激怒した観客が四方から一斉にリングにゴミやモノを投げました。
大混乱の中レフェリーの場外カウントが進み、かろうじて猪木はリング内に、一方ホーガンは間に合わず、ここで猪木のリングアウト勝ちがコールされました(3分11秒)。
不本意な形で負けたホーガンは必死の抗議、猪木はマイクで「IWGPとWWF、2本のベルトを賭けてもう一度戦おう!」とアピール(やはり猪木もタイトルと思っていた?)、しかし試合が終わっても館内の怒りは収まらず、誰も帰ろうとはしません。
一年待たされてこんな不透明決着では例え猪木が勝っても嬉しくない、ふざけるな!と言った心境でしょう、やがて「金返せ!」「長州出て来い!」のシュプレヒコールをあげてエスカレートし、館内の大時計や桟敷席を破壊、二階席では火がつけられるなど蔵前始まって以来の大暴動となり、警察が出動する事態となりました。
一部のファンは会場の裏で決起集会、「坂口征二(副社長)は興行責任者として謝罪せよ」「混乱の元凶となった長州力を処分せよ」の抗議署名を集めて提出、騒ぎは夜の11時半頃にようやく沈静化しました。
地に堕ちた猪木神話…当時も思ったのですが、先ず二回の延長戦は余計でした。
こちらも今回DVDで観直したのですが、実は78年のMSGシリーズ開幕戦で行われた猪木VS坂口の公式戦(4月21日 蔵前)でも二度の延長がありました。
30分フルタイム戦ってドロー、10分延長するもこちらも時間切れ、それではと時間無制限での再延長に突入し、1分12秒で猪木がリングアウト勝ち、合計41分12秒の大死闘でした。
猪木の頭にはこの時の成功体験が残っていたのかもしれませんが、今回のIWGPでは再延長の時、大喜びの観客に混じってごく一部の良識派?からは「もういい加減にしろ!」「何が何でも猪木が勝つまでやらせる気か!?」の声が上がっていたそうです。
問題の長州乱入ですが、これまた78年のMSGシリーズ優勝戦(5月30日 大阪)のVSアンドレ・ザ・ジャイアントのフィニッシュが今回の一戦と酷似していました。
場外でアンドレがセコンドの坂口と乱闘を始め、その間にリング内に戻った猪木がリングアウト勝ちで優勝しましたが、この時はアンドレがばりばりのヒールだったので「わはは、自滅しやがった、ザマーミロ」的な空気が支配、館内は猪木の優勝を素直に祝福しました。
今回の場合、ホーガンは何も悪くないのに不運で負けた最大の被害者として同情票が集まり、そして何度も繰り返すように、ホーガンに完勝する事が猪木の命題だったので不透明な勝ち方に観客は怒り狂ったのです。
時は流れ21世紀、当時マッチメイカーだったレフェリーのミスター高橋は、長州乱入のアングルは実は猪木のアイディアだった事をカミングアウトしました。
高橋から「業務命令」を伝えられた長州は「う〜ん」と唸って「それは社長(猪木)が考えたの?」と露骨に嫌がったと言います。長州も馬鹿ではないのでこの試合への観客の思い入れを考えれば、そんな事をしたらただでは済まない事ぐらいわかっていました。
「これが私の考えたアングルだったら長州は拒否しただろう。しかし絶対的権力者である猪木さんには誰も逆らえない」(高橋)。
ではそこまでのリスクを負って何故不法乱入を演出したのか?
当時猪木の側近だった永島勝司氏(当時東スポ記者)の著書によれば「とにかく長州力を売り出し、猪木やホーガンと同等にまで商品価値を上げたかったから。」
猪木さんの頭の中にはどんな形であれ自分が優勝すれば観客は満足する、と言う絶対の自信があったはずです。二度の延長に末に第三者の乱入、78年のMSGシリーズの開幕&優勝戦のオマージュとも言える結果でまさか暴動になるなど露にも思っていなかったのでしょう。誰よりも優れた感性を持っていたはずの猪木さんでしたが、この6年で体力が衰え、リング外でも様々なスキャンダルに見舞われるゴタゴタ続きで、自らの求心力とカリスマ性が揺らいでいた事が最大の誤算でした。
それにしても、暴動を起こす程に本気でファンを怒らせ熱くさせた猪木プロレス、その毒に侵されし者はどんなに絶望しても離れる事は無く、私のようにファンから信者へとなっていく…猪木プロレスをリアルタイムで体験できた幸せを噛みしめ、私のような昭和の亡霊はひたすら過去に生きるしかないのです(苦笑)。
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