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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.684 2020.6.27  

「 引き抜き(1) 」

年がら年中、ヘッドハンティングのコンサルティング会社から電話やらダイレクトメールが届きます。
暇潰しに開封したら「貴社がお望みの人材のヘッドハンティングを請け負います」「某同業の中堅管理職者(30代後半)が転職を希望していますのでご紹介します。」
思わず何処の誰やねん!?と一人で突っ込んだものでしたが(笑)、安くない報酬をお支払いしてもその人材が使い物になるとは限らないし、ましてや辞められたりしたら元も子もありません。それに同業にいたから必ずしも優秀なわけではないですからね。
逆に当社も同業に社員を引き抜かれた経験がありますが(今思えば返って助かった場合が大半 笑)、狭い業界、社長同士が顔を合わす事も頻繁にあるのに、そうやって自分の世界を狭めるのはあまり好きではありません。
勿論当社も慢性的に人材難、良い人なら喉から手が出る程欲しいのは変わりませんが、時間はかかってもあくまで自家製にこだわりますのでヘッドハンティング会社の方々、無駄な電話やダイレクトメールはお控え下さい(笑)。

ヘッドハンティング、個人的にはやはり日本語で「引き抜き」と言った方がしっくり来ますが、やはり忘れられないのが1981年(昭和56年)、新日本プロレスと全日本プロレスの間で起こった外国人選手の引き抜き合戦です(今週も興味無い方どうぞ読み飛ばして下さい 笑)。
ある意味リング上よりも面白かった両団体の仁義なき企業戦争(古舘伊知郎曰くレスリング・ウォー!)、その前にこの頃のプロレス界の状況を簡単におさらいしておくと、アントニオ猪木率いる新日本プロレスとジャイアント馬場の全日本プロレスの冷戦状態が続く、実質2団体時代でした(国際プロレスはこの年8月で解散、全日本女子プロレスは除く)。
新日本は金曜日夜8時にテレビ朝日が、全日本は土曜日夕方5時半に日本テレビでレギュラー放送中で、興行人気&テレビ視聴率のアップの為には人気外国人選手が欠かせず新日本はスタン・ハンセンとタイガー・ジェット・シンを軸にアンドレ・ザ・ジャイアント、ダスティ・ローデス、ハルク・ホーガン、一方豪華外国人が売りの全日本はアブドーラ・ザ・ブッチャー、ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンクのザ・ファンクス、ミル・マスカラス、ハーリー・レイスらを常連として招聘していましたが、問題はメンバーが完全に固定化していた事でした。
長くプロレスを観続けているファンなら(やれやれ、また今回も馬場VSブッチャーか、一度ぐらい猪木とブッチャーの試合が観たいなあ)と思ってもそれは叶わぬ夢、まあ考えてみれば自分のところのスターを商売敵に差し出すわけがないのですから、ある意味当然と言えば当然ですが、ファンは実現しないドリームカードを空想の世界で楽しむしかなかったのです。

そんなプロレス界にこの年の5月、大激震が走りました。

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 ブッチャー移籍のスクープを報じた別冊ゴング

5月8日金曜日、川崎市体育館で行われた新日本プロレスの「第4回MSGシリーズ」開幕戦にブッチャーが現れたのです!
白いスーツに身を固めたブッチャーは悠然とリングに上がり、新日本が提唱したIWGPへの参加を表明、自らが保持するカリビアン・ヘビー級のベルトを返上し猪木と対峙しました。
これは世界中のベルトを統一する壮大な構想に則り、猪木がNWFヘビー級のベルトを返上・凍結した事に倣ったものでしたがばかりでしたが、実はこれはたくみなアングル、恐らくベルトは新日本が用意したものでしょう(笑)。

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 信じられない光景、新日本のリングにブッチャーが!
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 IWGPの趣旨に賛同したブッチャーは自ら保持していた?カリビアン・ヘビー級ベルトを返上

当時の私は子供の頃に熱中しながらも一時期離れてしまった(人生で最も後悔している時期 涙)プロレス熱が再び上がりつつあった頃、もっともまだテレビを欠かさず観る程度のにわかファンでしたが(プロレス誌を買い漁り、遂に会場に進出するのは翌82年から)、金曜8時の生中継を観ていて目を疑いました。
長く日本テレビ(土曜8時〜途中から夕方5時半に移行)で観て来たスターが金曜日のテレビ朝日に出てくるなど、当時の常識ではあり得なかったからです。
その頃我が家には当社の入社第1号の社員(現在当社顧問)の滝本氏がしょっちゅう遊びに来ていましたが、後日「滝本さん、大変や!ブッチャーが新日本に出てきたで!」と教えてあげても「嘘つけ、ブッチャーは馬場の方やないか。」と全く信じてくれず(当時からホラばかり吹いていた狼少年状態 笑)証拠に録画していたビデオを見せてあげると目をむいて驚いていました。
プロレスは日本テレビの馬場の方と、テレビ朝日の猪木の方が世間の認識だった時代、お互いの登場人物が入れ替わったり、交わる事がはいかに衝撃的だったかお察し頂きたいと思いますが、これは新日本が仕掛けた引き抜き行為でした。

約8年に渡り、全日本のドル箱として活躍していたブッチャーでしたが、試合のマンネリ化や扱いに対する不満を感じていた時、懇意にしていた劇作家の梶原一騎先生&ユセフ・トルコ氏が新日本に話を繋いだのです。
梶原先生から打診された新間寿さん(当時、務取締役営業本部長)は「是非お願いします!これで本格的な企業戦争に持ち込める」と高らかに進軍ラッパ、新間さんとしては相手側のドル箱を引き抜く事で一気に攻め込み、全日本にとどめを刺すつもりでした。

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 猪木に宣戦布告するブッチャー、夢の対決が実現

梶原先生が週刊ゴングに寄稿したコラムにブッチャー移籍のファーストコンタクトの模様が紹介されていましたがこれがなかなか面白く、ホテルの一室での密談で先に到着したブッチャーは梶原先生やトルコ氏の前で大はしゃぎしていましたが、新間さんの到着寸前になるとやおら部屋の照明を薄暗く落とし、サングラスをかけて無言で腕組みして凄みを演出したのだそうです。
海千山千の新間さんが「何かおっかないムードだなあ。」とたじろいのですからこの心理作戦は大成功、梶原先生は笑いこらえるのに必死だったとか(笑)。
さら帰り際、新間さんが「うちの息子に是非サインを。」と色紙を差し出したところ、「ニュージャパン(新日本)との正式契約が終わらないうちはいかなる形であれサインを渡すわけにはいかない。」と拒否、プロ中のプロと言うべきところですが、そこまで人間不信でしたか(苦笑)!

こうして実現した鮮やかな移籍劇、すっかり時の人となったブッチャーはマスコミに対し移籍の理由をこのように語っていました。
「俺を含めドリーやテリー、レイスやマスカラスは必ずオールジャパン(全日本)のツアーに参加し、ニュージャパン(新日本)のツアーにはハンセン、タイガー、アンドレが参加する。確かに両団体の間には暗黙の申し合わせがある事は知っている。でも、そんなルールを一方的に押し付けられているファンの気持ちを考えた事はあるか?
その暗黙のルールとやらによって、日本のプロレスは栄えたのか? 俺とババの試合でビッグアリーナがずっとフルハウスになると思うか?イノキとタイガーにしたって同じだ。ファンは永遠にその試合を観続けたいと思うか?それしか観られない事を知っているから黙って我慢しているだけじゃないか。」

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 ブッチャーの新日本デビューは6月24日蔵前、ハンセンとのドリームコンビ実現、しかしこの時ハンセンは既にある決意を…

ブッチャーの大義名分はさておき、引き抜かれた被害者側の全日本の総帥・馬場は黙っていませんでした。
「俺はこれまで、新日本とは仲は悪くてもお互いが呼んでいる外国人選手だけは手をつけないという、暗黙のルールだけは守って来た。」
この馬場の言葉に対し非公式ながら新間さんが「暗黙のルールなんてものは最初から無いんだ。これは企業戦争、全日本を叩き潰すまでやる。」と発言したからさあ大変、実はブッチャーとほぼ同時進行で新日本は全日本所属のタイガー戸口も引き抜いており、遂に馬場の堪忍袋の緒が切れました。
こうして泥沼の引き抜き合戦が始まったのです…。

(次回へ続く)
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