猛暑がピークだった先月の初め、海の向こうから訃報が届きました。
初代タイガーマスクの好敵手として知られた“暗闇の虎”ブラック・タイガーことマーク・ロコさん(本名マーク・ハッシー)がお亡くなりになったのです(涙)。
享年69歳と早過ぎる旅立ちでしたが、結果として最後の来日となった4年前の元気な姿が目に焼き付いているだけに尚更信じられませんでした。
マーク・ロコとしての初来日は1979年の国際プロレスですが、この時期プロレスから離れ気味だった私には残念ながら記憶がありません。
しかしその三年後、ブラック・タイガーとして新日本プロレスに登場した時は衝撃的でした。
前年(81年)4月にデビューしたタイガーマスクにはダイナマイト・キッドと言うデビュー以来の最大のライバルがいましたが、そこに新たな刺客としてアニメの世界さながらに「黒い虎」が割り込んで来たからです。
実はタイガーマスクこと佐山サトルは、タイガーに変身する直前まで素顔で遠征していたイギリスでマーク・ロコとはライバル関係で、二人の試合は現地で黄金カードとなっていました。
当時はそんな情報も日本には伝わりませんでしたが、帰国後人気爆発のタイガーの新たなライバルを物色していた新間さんに佐山自身がロコを推薦したのです。
梶原一騎先生の原作アニメの「タイガーマスク」ではシリーズ終盤に虎の穴の大幹部三人が変身したブラック・タイガー、キング・タイガー、ビッグ・タイガーが登場しますが(ブラック・タイガーはその名の通り黒人選手)、アニメの世界を再現すべくロコをブラック・タイガーに変身させてしまうのが“過激な仕掛け人”新間さんの真骨頂、てっきり素顔のロコが来日するとばかり思っていた佐山はびっくりしたそうです(笑)。
「初来日」のブラック・タイガーは蔵前国技館の特別興行(82年4月21日)でいきなりタイガーマスクが保持するWWFジュニアヘビー級選手権に挑戦しました。
この日は水曜日で「水曜スペシャル」の枠で生中継特番があり(いい時代だった)、私はテレビに釘付けで観ていました。
これまで無敵の快進撃を続けて来たタイガーが大苦戦で、特に驚いたのがタイガーが必殺ジャーマン・スープレックス・ホールドを狙ってバックを取った瞬間、片足を振り上げ急所を打って防いだ事でした。結果は両者リングアウトでタイガーが辛うじて王座を防衛したものの内容はブラックが終始押し気味で、わずか一試合でタイガーマスクに恐るべきライバル出現を印象付ける事に成功しました。
アニメの再現、これがもしショッパイ選手だったら茶番で終わっていたでしょうが、ロコは見事な試合巧者ぶりで大役を果たしたのです。
ブラック・タイガーとなったロコはそのまま日本に残留、この直後に開幕したシリーズに全戦参加しましたが、ターゲットであるタイガーマスクは右膝靭帯損傷のアクシデントにより戦線離脱、ベルトの返上を余儀なくされました。
空位となった王座を巡りグラン浜田とブラック・タイガーで王座決定戦が行われ(5月6日 福岡)ブラックは勝利、初来日早々で王座獲得の快挙を成し遂げました。
同王座は負傷からスピード復帰したタイガーマスクによって奪回され(5月26日 大阪)20日天下で終わりましたが、この試合は通算9度実現した二人のシングル戦の中でも最高の名勝負と評価されています。
ダイナマイト・キッドと並びタイガーマスクのライバルの地位を確立したブラック・タイガーは8月に再来日、シリーズ前半の田園コロシアム(8月29日)、天王山の大阪(9月21日)で再びタイトル2連戦が実現、この大阪大会が記念すべき私のプロレス初観戦日でした。
田園コロシアム(ノーテレビ)で不覚のリングアウト負けを喫し後のないブラックの猛攻にタイガーは青息吐息、今思い出してもこの日の王者は不調気味で、時折ローリングソバットで反撃するものの後が続かず、最後は一瞬の隙きを突き背後から両足で飛びついての丸め込み(エビ固め)の薄氷防衛でした。
内容では圧倒していたブラックは余程悔しかったのか試合後にタイガーを袋叩き、場外で十八番のツームストーン・ドライバー(古舘曰く暗闇脳天)を見舞う荒れよう、私の近くに座っていた兄ちゃんが「(試合は)もう終わっとるやないかボケ!」とマジギレしていたのを覚えています(笑)。
翌10月のシリーズでは海外修行から凱旋した小林邦昭がタイガーマスクに牙を剥き「虎ハンター」として売出し、タイガーマスクを軸とした三人のライバル(ダイナマイト・キッド、ブラック・タイガー、小林邦昭)の抗争はジュニアの黄金カードとなりました。
83年には小林とキッド、あるいは小林とブラックのシングル戦も何度か実現していますが(いずれも両者リングアウト、フェンスアウトなどドロー)不透明決着を差し引いてもそれぞれがタイガーと戦った試合と比較すると今一つボルテージが低い印象で、改めて当時のタイガーのポテンシャルの高さを実感します。
83年2月7日、蔵前でタイガーマスクVSブラック・タイガーの通算5度目のタイトル戦が行われタイガーが完璧なジャーマン・スープレックスで防衛に成功しましたが、8月にタイガーが電撃引退した為、2月の試合が両雄の最後のシングル戦となりました。
新日本プロレスはタイガーの後釜としてジョージ高野扮するザ・コブラを凱旋させ、キッドの従兄弟であるデイビーボーイ・スミスを招聘するなど穴埋めに必死、84年の「新春黄金シリーズ」中にはタイガーの返上により空位となっていた「WWFジュニアヘビー級王座決定リーグ戦」が開催される事になりました。
当然、ブラック・タイガーも優勝候補の最右翼としてエントリーされたのですが…
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(次回へ続く) |
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