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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.775 2022.3.26  

「 引退(4) 」

(前回からの続き)

結局、私は生涯で何度コースに出たのでしょうか?
始めて数年は年に数回、社長就任後は劇的に機会が増えたものの、それでも一番多い時期でも月1〜2回ペースだったので、トータルすると恐らく200回前後かと思われますが、25年でこの数ですから改めて少ないなあと…シングルプレイヤーと呼ばれる人なら1年間でそれぐらい行ってますよ(笑)。
同業の社長に死ぬほどゴルフが上手い人がいて、以前にお話を聞いたら週2〜3回はコースに行っているとおっしゃっていて思わず「社長、仕事してまっか?」と突っ込んでしまいました(私もあまり人の事は言えませんが 苦笑)。
シングルの腕を維持するのはそれぐらい大変なのでしょうが、プロじゃないのですから我ら庶民には物理的に不可能な話、私はゴルフにはまり過ぎず逆に良かったのかもしれません。
最盛期でも月一ドライバーだった私の生涯最高スコアは…こちらも嬉しがって(笑)過去のブログにしっかり記載あり(FILE No.118「ベストスコア」参照)、2009年7月9日、長野カントリークラブでの94!!(拍手!)
この時は地元のホクト産業さんにお世話になり、シーピー化成さんや全国の同業の方々と回らせて頂きましたが、同クラブは通算で4〜5回と(関西以外では)最も多くプレイした、私にとって相性の良いコースでした。
前回紹介した社内コンペ優勝もこの年でしたし、思えばこの頃が私のほんの短い全盛期、一瞬のピークでした(遠い目)。
結局100を切ったのはこの日を含め片手で数えられる程で、一時期は何としても80代を出そうと躍起になっていましたが、力が及びませんでした。

2013年にRSKが解散、かつてはプライベートでもよくご一緒した某コップ屋さんや元四国銀行の有光さんが大阪を離れ、お得意先の会も社員に任せるようになってゴルフに行く回数は年々激減していきました。
冒頭に書いたようにコロナ禍を理由に社内コンペも無期限休止となり、とうとう引退を決意したわけですが、辞めると決めると行動早し、私の大好きな?断捨離タイムの始まりです。
ゼクシオのクラブのフルセットを中古ショップに持っていきましたが、19000円にしかならずがっかりしました。10年以上使用したとは言えゼクシオですからもう少し行くかと思ったのですが…聞けば目玉であるドライバーのヘッドに小さな傷があって査定不能(0円)との事…ドライバーはヘッドが命ですからやむなしです(涙)。

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 唯一手元に残ったヘッド
カバー

ゴルフボールやらピンなどは社内のゴルフ好きたちに無料配布、あとゴルフキャップが何故か10個以上もありましたが、ゴルフ以外で帽子を被る習慣も無く、こちらも無理矢理?社員に押し付けました。
最後に残ったウルトラマンとバルタン星人のヘッドカバーはメルカリに出品中ですが、売れなければずっと部屋に飾っておきます(笑)。

ゴルフネタについて書くのは今回が最後とあって、気が付けば4週にも渡ってしまいましたが、プロレスラーの引退と同様、私のそれも信じてもらえないのか(笑)、よく「本当に辞めたのですか?」「またやりたくなるのでは?」と言われます。
たまにふとそんな気持ちになる事もあるにはありますが、考えてもみてください、3年もクラブを握っていない状態から元に戻るにはそれこそこれまでの数倍の練習と実戦を積まないといけないでしょう、とてもそんな気力はありませんよ。
第一どんなに頑張っても全盛期に帰れるわけではないし、腰痛もあって寒い冬にドライバーをフルスイングなんて怖くてとても出来ません。やはり寄る年波には勝てませんわ(苦笑)。 そう思うと、引退してリングを離れ練習もしなくなったプロレスラーが復活するのって凄い事なんだと実感…レスラーの復帰は経済的理由と一度でもリングでスポットライトを浴びた快感が忘れられないと言うケースが大半ですが。
80代の夢こそ叶わなかったものの、前回書いたように役得で日本全国の名門コースを回らせて頂きましたし、未練もありませんが、ゴルフを辞めた事で唯一趣味と他人に言えるものが全く無くなってしまったのが誤算でした。
こう言うと必ず「何処が!?」「プロレスは!?」と突っ込まれますが皆さんわかっていない、私にとってプロレスは趣味に非ず、食事や睡眠と同じくこれが無いと生きていけないもの、生活の一部なのです。私に言わせれば「趣味」なんて言っている時点でただのニワカ、よく「プロレス?子供(学生)の頃は観たけどとっくに卒業したよ。」なんてしたり顔で言っている奴がいますが、バカヤロー、おまえらはプロレスを「卒業」じゃなくて「落第」したんだよ(怒)!

最後はまたまたプロレスになってしまいました、ゴルフは卒業しましたが(これも落第!?苦笑)、人生そのもののプロレスを卒業するのは死ぬ時だけ、従ってこのブログのプロレスネタは生涯続きますので宜しくお願いします。

最後のオマケは厳寒が続いた2月のコレガプロレスです。
コレガプロレス ツーショット集 2月編 こちらをクリック

追伸

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 日米で社会現象になったnWoの一員、合掌…。

新日本プロレスに何度も来日、米マットではWWF、WCWで活躍しnWoブームを巻き起こしたレーザー・ラモンことスコット・ホールさんの訃報が届きました(涙)。
2018年にルイジアナ州ニューオリンズでお会い出来ましたが、スーパースターと呼ぶに相応しい風格に圧倒されたものです。心よりご冥福をお祈りいたします。

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