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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.790 2022.7.9  

「 およげ!たいやきくん 」

街を歩いていて鯛焼き屋さんを発見、鯛焼きなんて一体いつ以来かと懐かしさのあまり一つ買ってまだ焼きたての熱々を美味しく頂きました。

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 久しぶりに鯛焼きをご賞味、しかし本当に懐かしいのはあの曲…

実は店の前を通った時「およげ!たいやきくん」のメロディが流れて来て、思わず足を止めて聴き入ってしまい歌詞の通り釣りあげられた次第(笑)、鯛焼きと言うより私が本当に懐かしかったのはこの曲の方でした。

「およげ!たいやきくん」は1975年にフジテレビ系でオンエアされていた幼児向け番組「ひらけ!ポンキッキ」の中で流された童謡ですが、私はこの頃既に小学校・高学年だったので番組を視聴した記憶はありません。
当初はレコード化の予定も無かったそうですがやはり当時のテレビの影響力は絶大、局には問い合わせが殺到し急遽発売決定(発売日は75年12月25日)、予約だけで30〜35万枚、発売初日に10万枚が売れ、年明け早々1月10日には出荷枚数150万枚(予約待ち50万枚)と言う超・大ヒットとなりました。
10万枚でヒットと言われた時代に最終的には450万枚(一説には500万枚とも)と言う桁違いのセールスとなり、これは後のCD時代も含め日本のシングル盤として最高記録となっています。音楽を聴くのも配信が主流となった現在、この記録は永遠に超えられる事は無いでしょう。
勿論ミーハーの私も親にねだって、500万枚のうちの1枚を購入しましたが(笑)、この凄まじい人気の犠牲?となったのが太田裕美さんでした。
裕美さん最大のヒット曲「木綿のハンカチーフ」は発売日が「たいやきくん」ともろにぶつかった為(75年12月21日)100万枚のミリオンセラーとなったにも関わらずオリコンヒットチャートでは万年2位に甘んじ、一度も1位に輝けなかったのです(涙)。
何しろ「たいやきくん」はヒッチャート初登場から11週連続の1位、流石に500万枚には太刀打ちできません。
今思えば私も「木綿のハンカチーフ」を買うべきでした(裕美さんにあやまれ! 苦笑)
この曲を歌った子門真人さんはその4年前、別名義で「仮面ライダー」の主題歌を始め、特撮・アニメソングではお馴染みの方だったので、子供ながらも声を聴いた瞬間すぐわかりましたが、「たいやきくん」でのギャラはなんとわずか5万円!買取か歩合かを問われ軽い気持ちで買い取りに合意してしまった為ですが、こんなに売れるなんて誰も想像できませんからね〜。
当時のシングル盤は一枚500円ぐらいだったと思いますが、一説によるとレコード・CDでの歌い手に入る印税は1パーセントとの事なので、5円×500万枚で2500万円!! 後に子門さんはレコード会社から大ヒット記念に100万円を贈呈されたそうですが、それでも安過ぎるぞ(笑)!
レコードだけでなくキャラクター商品がバカ売れ、鯛焼き屋の前に行列が出来るなど、文字通りの社会現象となりましたが、ここからが私の真骨頂?とも言える殆ど誰も知らないネタをお届けします(笑)。ブームが起こると必ず柳の下の二匹目のドジョウを狙って二番煎じ、三番煎じが出て来るのは昔も今も変わらず、山本リンダが「私の恋人、たいやきくん!」なるアンサー・ソングを、さらに後に参議院議員&大阪府知事となる横山ノック師匠が「ガンバレ!たこやきちゃん」(B面は「ごめんね、たいやきくん」だったらしい笑)をリリースしました。
どちらも詳しい数字は不明ですが、テレビ狂の私ですら殆ど聴いた記憶が無いので不発だったのでしょう、柳の木の下には二匹目のウナギは愚か、たいやきもたこやきもいなかったようです(笑)。

あの空前の鯛焼き騒動から長い年月が流れた1999年、まだ記憶に新しい(と言っても23年前)「だんご三兄弟」が大ヒットし、ちょっとした社会現象となりました。
こちらもNHK教育の「おかあさんといっしょ」から誕生した曲だったのでまさしく歴史は繰り返す、その頃私は社長就任の直前でしたがお得意先の和菓子メーカーを訪問すると、スーパーなど小売店から串団子の注文が殺到し、作っても作っても欠品状態で工場内がひっくり返っていたのを覚えています。お得意先が伸びれば弊社が納めているトレイ・パックやPOPシール等も伸びますのでしっかり商売させて頂き「だんご3兄弟」様様でした(笑)。
最終的に同曲は380万枚のセールス(90年代のCDシングル第1位)となりましたが、面白い事にその副産物として「およげ!たいやきくん」の復刻CD(もはやレコードに非ず)までが5万枚売れたそうです。

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 大手町のオフィス街ど真ん中でプロレス開催

さて、懐古趣味ネタはこのぐらいにして令和のお話(勿論プロレス!)、3月26日は東京女子&ガンバレプロレスをはしごしました。
東女の会場となったのは初めて行った大手町三井ホール、そう三井物産ビルの中の貸しホールでした。オフィス街のど真ん中とあって土曜日は人も少なかったものの、ここでプロレス(それも女子プロ)が行われるのが信じられませんでした。
一方、夕方のガンプロはお馴染みの新木場、やはりこちらの方が落ち着きます(笑)。

翌日は撮影会で杏ちゃむちゃんに電流爆破デスマッチ用のコスチューム(2着目)を撮影させて頂きました。記念すべき1着目のコスチュームが昨年9月の試合で燃えてしまいわずか1試合でおしゃか、まだ奇麗な状態のうちに撮らせて頂くに限ります。
杏ちゃむhartワンショット こちらをクリック
杏ちゃむhartツーショット こちらをクリック

最後のおまけはコレガプロレスをお届けしてようやく3月ネタは終了となります。
コレガプロレス ツーショット 3月編 こちらをクリック


連載800回も近いと言うのに相変わらずのスローペース、次回から4月編に入ります。

追伸

FMW、新日本プロレス、ノアなど多くのプロレス団体にレギュラー参戦した誠心会館の空手家、青柳館長こと青柳政司さんが7月6日に天に召されました(享年65歳)。
私が最後にお会い出来たのがちょうど一年前、昨年の6月、「これから色々とイベントをやっていきたい。」とおっしゃっていたのに早過ぎる旅立ちです(涙)。館長のプロ・デビュー戦である大仁田厚戦(89年7月2日)を観戦したのが私の密かな自慢でした。
心よりご冥福をお祈り致します。

追悼・青柳政司さん ツーショット集

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