(前回からの続き)
この時、私は人間の記憶についてある発見をしました。
人は年月が過ぎると自分の記憶や思い出を自分に都合のいいように変形させて脳裏にインプットする生き物なんだという事です。
だから城戸さんの頭の中では、あの時私を誉めたという事が既成事実と化しているようです。
私自身もそうですが誰にでも自分が長年都合よく解釈したり思い込んでいた事が、事実は全然違っていたなんていう経験はあるのではないでしょうか。
子供の頃に観た映画やドラマの印象が凄く強烈で、長い間に自分の頭の中で幻想が膨らんで大人になって改めて観ると肩透かしを食うなんていう事もこの一例でしょう。
人間生きていれば辛い、嫌な記憶というのは数多くあるもの、ひょっとしたら人間の脳は辛い事を記憶するキャパシティが決まっていてその許容量を超えると心が病んでしまうので、無意識のうちに自分に都合の良い記憶に書き換える性質があるのではないでしょうか。
勿論これは私が勝手に思っているだけで医学的、科学的根拠があるわけではないですが…。
プロレスの味方で直木賞作家の村松友視氏の著書にあるエピソードですが、村松氏の同級生が子供の頃、力道山の試合を観に行った時の事です。
その日は体育館ではなく野外で行われる試合(オープンと言う)でしたが空模様が悪く試合の途中でどしゃぶりの雨となりました。
観戦した友人は大人になって当時の様子を振り返ってこう説明するそうです。
「いやあ、あの日の試合は本当に凄かったよ。途中からバケツをひっくり返したような大雨の中で力道山と外国人レスラーが試合をしたんだけど、力道山が相手の胸めがけて空手チョップを打つと同時にピカッと稲光が走ったんだ。
吹っ飛んだ外人がリングにできた水溜りに倒れて派手な水しぶきが起こって、ふらふらと立ち上がって来たところめがけて力道山がもう一発チョップを放つとまた雷が光って…。本当に凄い迫力だったよ!」
まるで映画のワンシーンのような壮絶な光景が想像できますが、冷静に考えれば空手チョップと落雷のタイミングがそんなに都合よくハーモニーを奏でるわけはありません。
でもこの試合を観た友人の記憶にはその光景が真実として焼き込まれているのです。
このように自分の体験をよりドラマティックに演出して記憶してしまう人間の習性を村松氏は「劇的記憶術」と名づけました。
かくいう私も城戸さんとの当時のエピソードを冷静に振り返っているつもりでいますが、知らず知らずのうちに劇的記憶術が作用しているかもしれません。
これも随分昔ですが大阪に城戸さんが来られた時にお会いして駅まで見送った事がありました。
電車に乗る前にトイレに立ち寄った城戸さん、戻ってくると手には数冊の漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(こち亀のプロフィールはFILE No.040 参照)を持っているじゃないですか。何故かトイレに置いてあったのだそうです。
「この漫画好きなんですよ。」と私が言うと「うん、馬鹿馬鹿しくて面白いもんなあ。」と城戸さん、(へえ、城戸さんでもこういう漫画読むんだ。)と妙におかしかったものです。
それから城戸さんは漫画を私に数冊渡し、自分も帰りの新幹線で読むのに数冊キープして改札口に向かい別れ際に「じゃあ、お互い頑張ろうな。」と言って下さいました。
かつては怒られてばかりで文字通り雲の上の人だった鬼上司からそういう言葉をかけられた事に感動を覚えました。
まだまだ思い出は尽きないですが、城戸さんの長年の功績に敬意を表し第二の人生にも幸あれと心より願います。
いつの日かまた再会した時にはお互いが劇的記憶術によってドラマティックに加工して記憶している?昔話に花を咲かせたいものです。
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