流星仮面、再び降臨!
…と言う訳で「流星仮面」こと、マスクド・スーパースター(*)選手が先月、二年振りに来日しましたよ〜!
(読者の皆様、ここでFILE No.120「流星仮面のメッセージ」をお読み頂き、この項に戻って来て下さるようお願いします。)
現在、ジョージア州アトランタで非行や麻薬中毒になった青少年の更生施設に勤務するスーパースター選手、今回の来日もこの施設や難病を抱える子供たちの夢をかなえるボランティア団体へのチャリティーを目的としたものです。
今年の初めにタイガーマスク運動が話題となりましたが、まさにこの人こそ伊達直人を地でいく人ですね〜。
そして彼にとって今回はプロレスラーとしては最後の来日、そう、大阪と東京で引退試合が行われたのです。
それにしても、アメリカのレスラーが遠い異国である日本を引退の場所に選んでくれるなんて、それだけ日本を愛してくれているのでしょう。
大阪ファイナルマッチの前夜には市内でトークイベントがありました。 「どんなシュートな質問もOK!」との事でしたので二年前同様、集まった熱心なマニアたちは際どい質問攻めで大盛り上がりでした。
内容を書きたいところですが、あまりにもマニアックすぎるので知りたい方は別途私にメールを下さい(笑)。
サイン会のコーナーで私は持参した(重かったぜ!)NWFチャンピオンベルトのレプリカにサインを入れて頂きました。
アントニオ猪木が保持していたこのベルトにスーパースター選手は一度だけ挑戦しています。(1978年3月30日、蔵前国技館=猪木が防衛。)
スーパスター選手はサインにOSAKA(大阪)という文字を添えてくださいましたが、マジックが十分に乾ききらないうちに手で触れてしまったので文字が潰れてしまいましたよ(トホホ…。)
写真はベルトをかついでもらってのツーショットと、二年前のイベントの時のものです。
そして翌日はいよいよ大阪でのファイナルマッチ、対戦相手は往年のライバル、藤波辰爾戦手ですよ!
忘れもしない1982年9月21日、大阪府立体育館、私の記念すべき新日本プロレス初観戦の日、奇しくもこの二人のタイトルマッチがあったのです。
その大阪でのラストファイトに再び両雄が戦うなんて運命的ですね〜。
そう言えば二年前のこのブログでは何と言う偶然、FILE No.120「流星仮面のメッセージ」、FILE No.121「炎の飛龍、来社!」と二週続けてこの二人が主役でした。
試合では引退するのが勿体無いぐらいのグッドファイトを見せてくれたスーパースター選手が見事に勝利を飾りました。(恒例により別途アルバムをご参照下さい。)
レスラーは引退しても二年後に今度は家族とともに大好きな日本、そして大阪にやって来ると約束してくれた流星仮面、再会が今から待ち遠しいです。
リングではヒールだったものの本当は文字通りの正義の味方、強い男は優しいとはまさにこの人の為にあるような言葉でした。 偉大なる流星仮面よ永遠に…。
特別付録
「 流星仮面 OSAKA FINAL 」 ダイジェスト
*マスクド・スーパスター |
本名 ビル・イーディー、1947年生まれ。高校教師からスカウトされ73年プロレス入り、74年に素顔で初来日。76年にマスクマンとなって以来、新日本プロレスの常連外国人となる。現在はアトランタの青少年更生施設の教師をしながらリングに上がりファイトマネーの寄付を行っている。ニックネームは「流星仮面」。 |
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