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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
 FILE No.323 2013.5.11
「 仮面貴族伝説(1) 」

先月、「仮面貴族」こと、ミル・マスカラスが一年半ぶりに来日しました。
マスカラスが初めて日本にやって来たのは今から42年も前の1971年(昭和46年)、待望の初来日に羽田空港にはマスカラスを歓迎する多くのファンが詰めかけたという伝説があります。

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 会場で思わず大人買いしてしまった(笑)マスカラスのミニマスク(小銭入れ)

来日当初のマスカラスのニックネームは「悪魔仮面」でしたが典型的な正統派、ベビーフェースのマスカラスにこの呼び名は今一つしっくり来なかったのか、マスカラスが試合の度に違うデザインのマスクを着用する事からやがて「千の顔を持つ男」と呼ばれるようになります。

その後もコンスタントに来日を重ねたマスカラスですが、その人気が決定的になったのが1977年(昭和52年)でテーマ曲、「SKY HIGH(スカイ・ハイ)」の 誕生が火付け役となりました。
イギリスのグループ、ジグソーが演奏する「スカイ・ハイ」は元々同名タイトルの香港映画の主題曲でしたが、まだレスラーの入場時に曲がかかるという演出がなかった時代、昔のプロレスの映像を観ると今とは比べ物にならない程静かな入場シーンに驚きますが「スカイ・ハイ」はそんなプロレス界に革命を起こす事になります。
きっかけは、当時「全日本プロレス中継」を放送していた日本テレビの担当ディレクターがマスカラスの来日を煽る予告VTRのBGMに「たまたまディスコで耳にして気に入った」という理由で「スカイ・ハイ」を使った事でした。
放送終了後、テレビ局には「あれは何という曲か?」という問い合わせが殺到、思わぬ反響に驚いた日本テレビと全日本プロレスはマスカラスが来日すると後楽園ホールの第一戦の入場時に初めて会場で「スカイ・ハイ」を流したのです。

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 永遠の名曲
「スカイ・ハイ」

この粋な演出にホールの観客が大爆発した事は言うまでもなく以後、マスカラスの入場テーマとして「スカイ・ハイ」が定着したばかりでなく、これを機にマスカラス以外の有名レスラーにも次々とテーマ曲が与えられるようになりプロレスに音楽は欠かせないものとなりました。
私も未だにプロレス会場で「スカイ・ハイ」のイントロが流れると鳥肌が立ちますが、マスカラスの魅力もさる事ながら、そのイメージにどんぴしゃりの「スカイ・ハイ」を選曲した当時の日テレのセンスには脱帽します。

そしてこの頃からマスカラスは「仮面貴族」と呼ばれるようになりました。
マスクマンのニックネームに○○仮面というのは定番で、マスカラスの弟ドスカラスは「飛鳥仮面」、兄エル・シコデルコは「竜巻仮面」、当ブログでもおなじみ(FILE No.120,234参照)マスクド・スーパースターは「流星仮面」、他にも「宇宙仮面」、「太陽仮面」、「数学仮面」(!)etc…多くの○○仮面が存在します。
このセオリーから言えばマスカラスも「貴族仮面」となるべきなのですが、彼の場合はあくまで「仮面貴族」、そう、「仮面」でなく「貴族」が主体でまさにマスカラスにどんぴしゃりの秀逸なネーミングです。

ある時、マスカラスが来日したシリーズの地方興行が珍しく(?)不入りになった事がありました。
自分ほどのスーパースターが出場していながら客が入らないとは…プライドが傷ついたのか、その時にマスカラスは観客が入らない理由を30個も挙げたというのです。
「宣伝が行き届いていないのではないか。」
「天候が悪い。雨が降ったり止んだりで客が来るはずがない。」
「日本のマスコミはタイトルマッチの時しか報道しない。」
他にどんな理由を挙げたのかはわかりませんが、恐らくは殆ど屁理屈の世界(笑)、自分の人気に絶対の自身を持つ完璧主義者、その誇りの高さはまさしく貴族的です。

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 今や貴重なマスカラスの
シングルマッチ

今回のマスカラスはインディを主戦場とするNOSAWA論外のデビュー18周年興行の為の来日でしたが、インディペンデントではレスラー自身がチケットを売り捌くのは当たり前、というわけで私もネットで知ったNOSAWA論外選手のメールアドレスに連絡して予約しました。
まさかプロレスラーとメールのやりとりをする事になるとは思いませんでしたが金髪に全身タトゥーと外見は恐ろしい論外選手(*写真のポスター参照)、メールの文面では非常に腰の低い、いい人でした(笑)。
4月11日、新宿歌舞伎町のビルの7Fにある新宿FACEが決戦の舞台で、会場は少年時代にマスカラスに魅せられたであろう年配者が殆どでした。

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 会場となった新宿FACE

「スカイ・ハイ」が流れるともはや場内は夢の空間、何十年も変わらぬおなじみのムーブ、おなじみの技と最初から最後まで完璧なマスカラスワールドに皆、酔いしれていました。
マスカラスはメキシコ人ですがこの人こそ「人間国宝」と呼ぶに相応しいですね。
4.11新宿FACE大会はこちらをクリック

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 マスカラスと
ゆずポンマスク、夢の共演

そしてマスカラスはそのまま日本に残留、三日後の14日にも試合を行いました。
上がったリングはスターダム、そう、何と女子プロレス団体への特別出場です。
14日のスターダムはおなじみの新木場1stRINGで昼と夜の連続興行で、まず昼の部はこの日が最後の新木場となるゆずポンが1分ずつながらスターダムの全選手(*引退試合の相手である世IV虎のみ除外)と戦うというメモリアルマッチが行われました。
空手にも次々と違う相手と戦う「100人組手」というのがありますが、試合は過酷そのもの、ぼろぼろになりながらも最後まで戦い抜いたゆずポンの闘志には感動しました。
スターダム4.14昼の部はこちらをクリック

そして夜の部はいよいよマスカラス登場、しかもゆずポン扮するゆずンマスクと最初で最後となる夢のタッグの実現です。

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 マスカラスのパーカー、
一万円なり…

試合前にはグッズ売り場でマスカラスのサイン会があり、この日は少し寒かったのでパーカーを買おうかと思ったら何とお値段、一万円!
大体プロレスグッズの相場はTシャツが三千円、トレーナー&パーカーが五千円ぐらい、それでも高いと思っていましたがマスカラスグッズはTシャツが五千円、パーカーが一万円ですからね〜、さすが仮面貴族、それでもサイン欲しさと写真撮りたさに買ってしまうおバカな私、背中にサインの入ったパーカーを着て新幹線で帰って来ました(笑)。
いよいよお待ちかねのメイン、それにしてもこの日のゆずポンは昼夜合わせて何と18試合に出場!これはギネスブックものの記録ですよ!
メインに出場の6人が一人ずつ入場、トリは勿論マスカラス、例えスターダムの会場でも「スカイ・ハイ」が流れると場内は一瞬で仮面貴族の世界へと早変わりです。
付録のアルバムにマスカラスとゆずポンマスクの公式コメントも記載していますが、私も試合後のゆずポンに「試合前にマスカラスとはコミュニケーションはとれましたか?」と質問すると思わず苦笑いしていました。 ゆずポンですら簡単には踏み込めない、まさしく神の領域ですね。

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 今や人間国宝級、神の領域
に近いカリスマ性を持つ
マスカラス

このように書いていると知らない人にはマスカラスが息が詰まるほど高慢で融通の効かない選手と誤解されてしまいそうですが、弟のドス・カラスが関係者にこんな事を言った事があるそうです。
「多くのプロモーターが腫れ物に触るようにしているけど、兄貴はあれで話のわかる男だよ。条件をちゃんと提示すれば快く応じるから(笑)。」
プロであり自分の仕事に誇りを持っていれば簡単に妥協しないのはある意味当然、それでもファンがマスカラスを望むのでプロモーターたちはマスカラスを使いたがります。
そして自らのプライドが満たされれば団体の大小に関係なくリングに上がりファンの期待に応える仮面貴族、「スカイ・ハイ」を聴きながらいつまでもマスカラスを見ていたいものですが、その年齢を考えると残された時間は決して長くはないでしょう。
早ければ年内の再来日を約束してくれたマスカラス、これからも「一期一会」の精神でマスカラスを見守りたいと思います。
スターダム4.14 夜の部 こちらをクリック

 
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昼は地獄の17連戦、夜はマスカラスとタッグ、最後の新木場を終えたゆずポン
 
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