包装資材の専門商社 タミヤ

ホーム タミヤのチカラ 商品ラインナップ 環境保全活動 会社情報 お問い合わせ

会社情報

Home > 会社情報 > 社長の経営日誌
会社概要
主要販売・仕入先
社長の日誌

社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です

FILE No.382

2014.7.12
「 格闘技世界一決定戦(2) 」

集英社から絶賛発売中のDVDマガジン「燃えろ!新日本プロレス」シリーズ(全67巻)は累計で179万本を突破する大ヒット作となりました。
70〜90年代の黄金期の名勝負が余す事なく収録されているのですから当然と言えば当然でしょうが(因みに私は購入していません、大半の試合はビデオやDVD持っていますので 笑)、このシリーズ、一巻が1600円(税別)なので(確かVOL.1のみサービスプライスの840円)総計では…な、何と、28億円の売り上げですよ!
何しろ素材は昔の映像ですから制作代なんて悪く言えばただ同然、利益率は物凄く高いはずで、権利を持っているテレビ朝日さんさぞかしボロ儲けで笑いが止まらないでしょうね〜(笑)。新日本の映像でそんなに稼いでるのなら、今テレビ中継をゴールデンタイムでやってくれっての! …真面目な話、現在の試合をゴールデンでオンエアして人気を高めておけば今回のDVDと同様、20〜30年後にも映像の二次利用で美味しい商売ができるのです。テレ朝の上層部にそういう先見の明のある人、いないですかねえ…。

 クリックで拡大
 クリックで拡大
 38年ぶりにノーカットで
解禁!アントニオ猪木vs
モハメド・アリ

そんな「燃えろ!新日本プロレス」シリーズからエクストラと題して先月、特別増刊号が発売されました。
これぞまさに決定版、1976年(昭和51年)6月26日、日本武道館で行われた20世紀最大のスーパービッグマッチ、アントニオ猪木vsモハメッド・アリの格闘技世界一 決定戦(FILE No.177 参照)です!
この世紀の大一番が完全ノーカットでDVD化されると知った時は少しの間信じられませんでした。何故ならこの試合はアリ側の著作権が複雑との理由から商品化が難しいとずっと昔から聞いていたからです。
従って猪木さんの名勝負はその大半がビデオやDVDボックスになっているものの、肝心のこの試合だけは一度も収録されませんでした。
勿論これほどの大試合ですから何度となくテレビの特集番組などで取り上げられダイジェスト放送はされましたが、実に38年ぶりに完全ノーカットのフルバージョンを拝む事が出来るという朗報、しかも嬉しい事に試合前の記者会見から調印式までも収録されるというサービスぶり、涙が、涙がチョチョギレる〜!!

待望の発売日は試合の行われた日である6月26日、早速、近所の書店に行って購入しました。
このお店、これまでの「燃えろ!新日本プロレス」のシリーズも発売の度に数巻ずつ入荷していたのですが、今回の「猪木vsアリ」だけは20巻ぐらい並んでいたので驚きました(数日後見に行ったらもう数本しか残っていなかったので再度びっくり!)。
Amazonの雑誌部門(DVDマガジンなので一応雑誌のカテゴリーに属する)の売り上げ1位も獲得したそうで、時ならぬ「猪木−アリ」フィーバーが起こったのです。

家に帰って38年前を思い出しながらじっくりと観賞、今の若い人は知らないでしょうが当時はオリンピックやワールドカップ並みの国民的行事と言っても過言ではないほどの空前の盛り上がりを見せました。
何しろ週休二日制もまだ無かった時代に土曜日の正午からの放送で38%という高視聴率を記録、さらに夜のゴールデンタイムには再放送があり、試合が行われていた時間は首都高速から車が消えた!?という伝説があるぐらいですから。

 クリックで拡大
 クリックで拡大
 世紀の一戦を世間は酷評、茶番扱い

日本だけでなく世界37ヵ国でオンエアされたこの一戦は、ゴングと同時に猪木がアリの足元にスライディングしながらのローキック(後にアリキックと命名)を狙うところから始まりました。
以後猪木は同じ攻撃を繰り返し、寝転がる猪木とその周りを徘徊するアリ、試合の大半は有名なこの「猪木・アリ状態」が延々と続きます。
結局両者決定打が出せないまま3分15ラウンドを戦い抜いて判定でドローとなりましたが、あまりにも注目度が高すぎた反動から不完全燃焼な内容と結末に世界中から嘲笑と酷評を受ける事になってしまいました。

なぜ猪木は終始寝転がった状態で戦わざるをえなかったのか? それはアリ側からの強い要望(と言うより圧力)により、プロレス技の大半を禁じられた「裏ルール」(発表されないルール)を承諾させられていたからです。

 クリックで拡大
 クリックで拡大
 当時発売された特集号

「アリの頭への攻撃は禁止、空手チョップは禁止、頭突き、喉への攻撃は禁止、立った状態でのキックは禁止、肘と膝を使った攻撃は禁止…、極めつけは、猪木は片手と片膝をマットに着いた状態でしか攻撃してはいけない(!)。
これを承知しなければアリは練習で怪我をした事にして試合をキャンセルして帰国する。」
試合が数日後に迫り、まさか中止するわけにもいかない新日本プロレスはアリ側の不当な要求に泣き寝入りするしかありませんでした。
「私は手と足に縄をかけられたようなものだが、それでもこの試合を実現する為に相手側の要求を全て呑んできた。」(決戦3日前、調印式の席上での猪木の発言より)

猪木は絶対不利なルールの中で、寝ながらキックを放ちそこから活路を開くしか方法がなかったわけですが、それでもアリをあそこまで追い込みました(左足を蹴られ続けたアリは試合後、血栓症になり入院するほどのダメージを負った)。
「試合はドローだったが内容的には猪木の勝ちだ、もしもっと制約の少ないフリーなルールで戦っていたら絶対に猪木が勝っていたのは間違いない。」
プロレスこそ最強の格闘技であると確信する我々プロレスファン(猪木ファン)は長年そう信じこんでいました。
しかし今回、38年ぶりにフルバージョンの映像をじっくりと見て、話はそんなに単純なものじゃないな、とも思えてきました。

 クリックで拡大
 クリックで拡大
 試合の大部分を占めたのは所謂「猪木・アリ状態」

「今思えば猪木さんはもっとタックルを練習しておけば良かったのかなと思いますね。タックルならアリはカウンターの膝蹴りとかできないだろうし、組み付いて倒して寝技に持ち込めたんじゃないかな。」(当時、新日本プロレス所属、ドン荒川選手のコメント)

「相手がタックルに来たら一流のボクサーでも対応できません。ボクサーが勝つにはタックルで中に入ってくる時に右アッパーを合わせるしかない。でも下から来られたらジャブは合わせられないですね。フェイントを入れられたりすると難しいですよ。」(元ボクシング世界王者、大橋秀行選手のコメント)

アマレス出身でない猪木はアマレス流のタックルを身につけていないので、もしタックルに磨きをかけていれば勝負の結果は違っていたという専門家は多いですが、当の猪木はそんな見方を否定しています。
「それは違うと思いますね。要するに直感なんです。本能っていうのがあるじゃないですか、動物的本能。アリもそれが働くんだと思うのね、だからタックルに行ってもあいつの動作と勘とパンチの速さで行けば見切れます。ドーンと頭を一発打てば終わりですもの。」

「魔法の針治療師」佐野先生は学生時代アマレスで鳴らしたのでいつだったか、「先生がもしボクサーと試合をしたらタックルに行けますか?」と質問したところ「無茶苦茶怖いです!」との答えが返って来ました。
余談ですがこの佐野先生、学生時代に本当にボクシング部の選手とガチンコの異種格闘技戦をやった事があるそうです。学生時代って皆無茶しますね(笑)。
教師に見つからないように体育館の窓も扉も閉め切った密室で行われたこの格闘技戦、カウンターを喰らうのを恐れた佐野先生が繰り出した秘策は何と、タックルと見せかけて浴びせ蹴りの奇襲攻撃(さすがプロレスファン! 笑)、これが見事に功を奏し、不意を突かれてダウンした相手をアンクルホールド(足首固め)に捕らえ佐野先生が勝利したそうです。その試合見たかったなあ…。

身体を縦回転させ踵を相手の顔面に叩きつける浴びせ蹴りは、猪木も86年頃から使い始めましたが、アリ戦の時にこの技があれば…。もっともキックが禁止のあの試合では即反則をとられるでしょうが。
それならば橋本真也が少林寺から学んで92年に初公開した水面蹴りはどうでしょう。
地を這うようにして放つ水面蹴りはキックというより足払いだからあの試合でも有効です。第一あんな技誰も見た事ないでしょうから、絶対にアリをダウンさせる事に成功したはずであの時代にこの技が無かった事が惜しまれます。

 クリックで拡大
 猪木の反則エルボーがアリのテンプルに命中

第6ラウンド、猪木にとっては最大のチャンスが訪れました。
終始寝転がる猪木に業を煮やしたアリが猪木の足を捕まえようとしてバランスを崩した時、 猪木は下からアリの足をすくい尻餅を着かせる事に成功したのです。すかさずアリの下半身の上に馬乗りになる猪木、わっと沸く館内、しかしアリは慌てて必死にロープに逃げてブレーク、もしロープブレークのないルールだったら勝負はどうなっていたか?
「ロープブレーク!! アリ、ロープに救われました〜っ!!」 実況を務めた船橋慶一アナウンサーの絶叫が物凄く印象的な名場面ですが、最大のチャンスを逃して余程悔しかったのか猪木さん、ブレーク寸前どさくさ紛れにアリのテンプル(こめかみ)にガツンと肘を打ち込んでいます。
勿論これは反則でアリ陣営は猛抗議、レフェリーからは減点を言い渡されてしまいますが不完全燃焼な展開の中、プロレスファンには痛快なシーンでした。
私の知人にはこのシーンのパネルを持っている人がいて羨ましい限りです。不要になったら私に譲って下さいね(笑)!

 クリックで拡大
 貴重なパネル(猪木さんの直筆サイン入り!)

パネルと言えば私が部屋に飾っているのが写真のアリキックにアリが大きく仰け反るシーンのものです。これは随分昔、東京スポーツの懸賞に応募したらラッキーな事に当選してゲット出来たもので、後に猪木さんにサインを入れて頂きました。私の宝物ですよ!

「アリは凄い。俺は(アリの懐に)入れなかった。」
試合後猪木は側近にそう語ったそうですが、アリも後に猪木がアリの結婚式に招かれ再会した時に「あれほど怖い試合はなかった。」と本音を漏らしたそうです。
その道を極めたトップ同士がここまで恐怖を感じていたのですから、やはり全く違う競技の選手が戦う他流試合は我々の想像以上に本当に恐ろしい事なのでしょう。
猪木が寝転がった事でパンチが打てなくなってしまったのがアリ側の誤算でしたが、プロレスラー相手に捕まってしまったら一貫の終わりという事はわかっているので、例え猪木がスタンド状態でも簡単に突っ込む事は出来なかったはず、ましてやロープブレークの無いルールならいっそうその傾向は強まっていたはずです。
猪木とすればタックルに入る事が危険となればパンチを受けずに攻めるには寝ながら蹴るのが一番理に適っているので、例えルールの制約が少なくてもあの戦法を主体にしていたでしょう。
つまりあの試合は、例えフリー・ルールでやっていたとしても膠着状態に終始した可能性が極めて高いのです。ルールの違う競技の選手が戦う事の難しさを改めて痛感します。

 クリックで拡大
 試合後血栓症になるほど猪木のアリキックに耐え続けたアリ

どうしても贔屓目で長年猪木側からばかりこの試合を見てきた私ですが、今回改めてアリの凄みを感じました。この試合でアリが左足に受けたキックは実に96発!
次第に左足の裏側、アリの褐色の肌の色が変わっていくのがテレビ画面を通じてもはっきりわかりましたが、それでもアリは最後まで倒れず試合を捨てませんでした。
アリ陣営のセコンドは何度も「棄権しよう。」と申し入れましたがアリは「絶対ノーだ! 俺はあのペリカン野郎(猪木)を何としてもKOしてやるんだ!」と断固として試合を止める事を拒否したそうです。
世紀の大凡戦、茶番劇、38年前にさんざん叩かれたこの試合は二人の格闘家による究極の死闘だったのです。

2006年の6月、横浜で猪木−アリ戦の30周年(当時)を記念したパーティがありました。流石にアリの来日こそなかったものの、坂口征二や新間寿氏(FILE No.315参照)、前出の船橋慶一氏ら当時の関係者が顔を揃え、新日本プロレスの現役選手も出席した豪華な祝宴に嬉しい事に我々ファンも参加させて頂く事ができました。
パーティの目玉は試合のハイライトシーンの上映でしたが「自分の試合の映像は見ない」という猪木さんが立ち止まってモニターを凝視していた姿が物凄く印象的でした。
本当はアリ戦で引退したかったという猪木さん、当時を振り返りながらその胸中に去来したものは果たして何だったのでしょうか…。

<参考文献>
クリックで拡大  クリックで拡大
「1976年のアントニオ猪木」
(文藝春秋)
 「Gスピリッツ」VOL.12
(辰巳出版)
<過去の日記>
サイトマップご利用にあたってプライバシーポリシー

(c) 2007 TAMIYA.Ltd