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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
 FILE No.401 2014.11.29

「 海賊亡霊の事件簿(1) 」

連載400回を突破して今週は401回目! …と言うわけでタイトルバックを一新しました。
「何じゃこりゃ!?」と言う声が聞こえてきそうですがおどろおどろしいこの姿、87〜88年にかけて新日本プロレスのリングを襲った海賊男の登場です。

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 87年、突如出現した海賊男

茶番劇だとファンの間ではすこぶる不評でしたが私はこのキャラクター、妙に気に入っていたんですよね〜。何と言ってもプロレスはメルヘンの格闘技、おもちゃ箱をひっくり返した世界ですから。
マスコミやテレビ中継での呼称は海賊男で統一されていましたが何故か週刊ファイト(廃刊)だけは海賊亡霊と書いていて、個人的にはこの呼び名が気に入っていたので今回のタイトルにも使わせてもらいました。因みにカードゲーム(FILE No.381参照)のチーム名も「昭和海賊亡霊軍」を名乗っております(笑)。

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 雑誌でも大々的に特集

海賊男生誕の地は意外にも日本ではなく、アメリカでした。
87年2月10日(現地時間)、フロリダ州タンパのスパルタン・スポーツセンターで当時新日本プロレス所属の武藤敬司がジェリー・グレイとのシングルマッチを行う為、リングに上がったところを突如全身を海賊ルックで覆った謎の男にステッキで滅多打ちにされるという事件が起こりました(この模様はテレビ朝日「ワールドプロレスリング」で放送)。
実はこのフロリダに出現した海賊男1号はアントニオ猪木の変身だった!?というのが今や定説になっています。テレビではわかりにくかったものの、当時の雑誌に掲載された全身写真は確かに猪木そっくりでした。

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 正体暴きに注目が集まる

後日猪木は「フロリダでは町中の皆が海賊の格好をするガスパーっていう祭りがあるんだよ。」と種明かし?までしましたがこの海賊祭りを見学した事でアングルを思いついたのでしょうか?

一ヶ月後の3月2日、埼玉県草加市スポーツ健康都市記念体育館での試合で海賊男は再登場しました。
テレビの生中継が行われる中、奇しくもこの日のカードもフロリダと同じ武藤敬司とジェリー・グレイの試合で、前回はゴング前でしたがこの日の海賊は試合が佳境に入ったところで突如疾風の如くリングに乱入、またしても武藤を襲撃したかと思うとそのまま会場の外に待たせていたタクシーで逃走したのです。

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 中身は毎回、明らかに別人

この海賊男2号、背格好はフロリダの時と同じぐらいでしたがリング上でのアクションを見ると前回とは別人であると思われ、リングを走って降りる時の足のステップがソックリと言う事で多くのファンやマスコミはその中身は木村健悟だと指摘しました。
アイスホッケーマスクを始めとする衣装も前回とは微妙に違い(アメリカに忘れてきたのか?笑)以後このコスチュームが定番となって行きます。

日本に上陸?を果たした海賊は後日新日本プロレスに不気味な挑戦状を送りつけて来ました。
「お前たちは自分たちのレスリングに自信を持っているようだが、我々に言わせればハイスクールのレスリングだ。我々がお前たちを壊滅させる。」
差出人の名前の代わりにステッキの模様が描かれた人を食った手紙で、この中で海賊は「次は3月16日岡崎市体育館に乗り込む」とまるで怪人20面相やアルセーヌ・ルパンの如く大胆不敵な襲撃予告をやってのけました。

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 武藤の次は藤波を襲撃

問題の岡崎大会はやはりテレビ生中継の日、今回の海賊は意表をつきターゲットをこれまでの武藤から藤波辰巳に変更しました。藤波が入場してリングインすると同時に何故か場内のライトが消え、真っ暗闇の中いつの間にかリングに上がった海賊が藤波を襲い逃走したのです。
「何でライトが消えるんだよ!」と突っ込みどころ満載(笑)、そのうえマスコミが後を追うと体育館の外に停めてあった外人選手用のバスに逃げ込むお粗末ぶりの海賊男3号、これまでの海賊と比較すると明らかに小柄で新日本の若手選手の一人の変身だったと思われます。

ファンのひんしゅくを買いながらも乱入によるデモンストレーションを続けた海賊男は、3月26日大阪城ホールでのビッグマッチでとうとう一大事件を起こしてしまいました。
この日はアントニオ猪木デビュー25周年記念の特別興行、主役・猪木は勿論メインでライバルのマサ斉藤との一騎打ち、実力者同士の試合に相応しく地味ながらも力のこもった展開が続いていましたが15分過ぎ、試合はいよいよクライマックスという時に通路にふらりとお馴染みの海賊男が現れました。

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 大阪城ホールで遂に
大事件を引き起こす

名勝負が台なしになりそうな悪夢の予感に観客が騒然とする中、海賊はリングに上がると何を血迷ったか、手錠を取り出しマサ斎藤の右手首にかけて自分の右手首と繋ぐ暴挙、??? 意味不明の行動に猪木、斉藤、レフェリー、観客と誰もが呆気にとられましたが空気の読めない海賊はそのまま強引に斉藤を控え室に連れ戻してしまったのです。
突如試合を中断され超満員の館内からはゴウゴウたる非難の声、さしもの猪木も立ち尽くすのみでした。暫くすると手錠をひきちぎった斎藤がリングに戻って来て、怒り心頭で手錠の輪が残った右手のパンチで猪木を狂ったように滅多打ちにして制止するレフェリーもKO、あっという間に反則負けの裁定が下されました。
ゴングが乱打される中収拾のつかない乱闘を続ける両者はともに流血、錯乱した猪木はマイクを握って「斎藤、男だったら死ぬまでやってやる!」と絶叫、一方不透明決着を見せられた観客の野次と怒号はいっこうに止む気配がありませんでした。
両者が控え室に引き上げた後も観客の大半が帰ろうとせず暴動が始まったのです。
私はこの日一階席で観戦していましたが、場内の不穏な雰囲気を察知して試合が終わると安全の為すぐに二階に移動して事の成り行きを見守りました。
やり場のない怒りで暴徒と化した観客のうちの誰かがモノや椅子を投げると群集心理から連鎖反応が起こり瞬く間に椅子の山ができました。場内の一部では紙くずに火をつけるとんでもない奴までいて、会場側の通報で大阪府警機動隊、警察、消防車が駆けつける異常事態となり、騒動が収まったのは午後11時を過ぎた頃でした。

控え室に引き揚げた両選手の表情は対照的で斎藤は「誰があんな奴(海賊男)をリングに入れたんだ、ふざけやがって!」と怒りを爆発させ手に残った手錠で部屋のカーテンを切り裂き、一方の猪木は「何が何だかわかんねえよ…。」と放心状態、しかしモニターで場内の騒動を見ると突然ブチギレて「叫んでいる奴、ぶち殺してやる!」とパンツ一枚のままアリーナへ飛び出し、若手が止めに入らなければあわや観客と乱闘寸前のハプニングもありました。
ようやく興奮が収まった猪木が私服に着替えて会場を出ようとした時、熱狂的な猪木ファン(残念ながら私ではありません 笑)が「何とかしてください!」と涙ながらに足元にうずくまるシーンもあったそうで、何ともやりきれない悪夢のような長い一日でした。

この事件は翌日の新聞の社会面でも大きく報道され営業責任者が警察に出頭し事情聴取を受け、猪木社長も30日改めて大阪入りして関係者に陳謝、マスコミに囲まれた猪木はやけっぱちの心境だったのか「もう大阪で試合はやらない。」と吐き捨てるように言い残したそうです。
今思い出しても後味の悪い事件ですが24年が経過した今、改めて何故こんな無残な結果になってしまったのかを考えてみたいと思います。
諸悪の根源となった海賊男4号の正体は、後年ミスター高橋レフェリーが明かしたところによるとメキシコ出身で新日本プロレス所属の中堅選手であるブラック・キャットだったそうで、最初の予定ではリングに乱入した時猪木の腕に手錠をはめて動けなくして、斉藤と一緒に猪木を痛めつける段取りだったと言うのです。
試合前高橋がキャットに段取りを説明したものの、当時のキャットがまだ完全に日本語をマスターしていなかった事が悲劇の始まりでした。高橋の指示をよく理解できていなかった彼は大事な役どころで緊張したせいもあったのか、本番では間違って猪木ではなく斉藤に手錠をかけてしまう世紀の大チョンボをやらかしてしまいました。
プロレスをショーだと言う人がいますが、プロレスは演技や芝居、マジックや古典芸能ではありません。あくまでスポーツであり格闘芸術とでも呼ぶべき他に比類ない特殊なジャンルなのです。他のエンターテインメントのように入念なリハーサルがあるわけではなくあくまでぶっつけ本番、だからこそこんなハプニングも起こってしまいます。
しかし冷静に考えて、もしキャット扮する海賊男が完璧に仕事をこなしていてもやはり暴動は避けられなかったでしょう。
興行成績、テレビ視聴率とこの頃の新日本はもがき苦しんでいた辛い時代で(この一年後にテレビ中継はゴールデンタイムから降格)猪木に土下座したファンを見てもわかるように多くのファンは、この日のマサ斎藤戦をきっかけに強い猪木の復活と新日本プロレスの復興を藁にも縋るような気持ちで待ち望んでいました。
新日本プロレスはそんなファンの心情を理解せず、それどころか逆にそんな気持ちを逆なでするかのように、海賊男という安易な茶番に頼ってしまいました。
武藤や藤波の試合に海賊がチョッカイを出す事は苦虫を噛み潰しながらも黙認できたファンも我慢の限界、遂に堪忍袋の尾が切れ暴動は起こるべくして起こったと言えます。
ファンが求めているもの、顧客ニーズと団体が提供する商品が全く違ってしまう悲劇、思えばこの頃の猪木さんは副業の失敗による莫大な借金地獄と美津子夫人との離婚問題(正式には同年10月)で自殺を考えたと言うほど精神的には追い詰められた状態、完全に磁場が狂い迷走していたのだと思います。
当時の雑誌から生々しい暴動事件をドキュメント風に再現してみましたが、私自身も24年前の家路に着く時のやり切れない虚しい気持ちが蘇って来るかのようでした。
大阪城ホール暴動事件のダイジェストはこちらをクリック

暴動事件まで招いて完全に失敗に終わった感のあった海賊男のアングルでしたが、一度振り上げた拳を下ろせなくなったか、この後も冷却期間を置きながら細々と続けられました。そして翌88年、海賊は一年の時を経てようやく正式参戦を果たす事になります。
2月に届いた襲撃予告の差出人はその名もビリー・ガスパー、やっと正式なリングネームを名乗った海賊は二人に増殖して29日後楽園ホールのシリーズ開幕戦に乱入、木村健悟(海賊男2号が木村の変身ならば身内対決!)と藤原喜明を襲撃しました。
翌3月1日、海賊軍はブッカーのヒロ・マツダを窓口に六本木の新日本プロレス事務所に乗り込んで会議室で猪木社長、坂口副社長に試合出場を直訴、ステッキを振りかざして猪木を威嚇すると待たせてあったタクシーで立ち去りました。
猪木は「ふざけやがって。明日からでもリングに上げさせろ。徹底的にぶちのめしてやる。」とエキサイト、坂口も正式出場にOKを出し翌日よりシリーズに合流する事が決まったのです。
リングネームはリーダー格がビリー・ガスパー、もう一人の巨漢がガリー・ガスパーを名乗って二人のガスパーズは大暴れを始めましたが、流石にアイスホッケーのマスクをしたまま試合をするのはしんどかったのか、いざ本番となるとただのマスクマン(写真参照)になってしまったのがちょっと残念でした。
ビリー・ガスパーの正体は実力者のボブ・オートン・ジュニアでしたが、やはり最初の登場から参戦までに一年もの時間を要した事や、暴動事件のマイナスイメージを払拭できなかった事もあって大きなインパクトを残せず、結局この年3シリーズに参戦してガスパーズは自然消滅、やがてオートンは何事もなかったように素顔に戻って年末のシリーズに来日していました。

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88年、二人に増殖した海賊男
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猪木、坂口に直談判し遂に正式参戦を勝ち取る
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ラフファイトで大暴れしたがただのマスクマンになってしまいちょと残念…
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ビリーの正体は明らかにボブ・オートン!?

それから月日が流れ、誰もが海賊男の事などすっかり忘れ去った96年の冬の気配が押し迫った頃、引退に向けてのファイナルカウントダウンをスタートしていた猪木のもとに突如、「引退する前に俺と決着をつけろ!」とガスパーから挑戦状が舞い込みました。
文字通り亡霊の如く8年ぶりに蘇った海賊亡霊、猪木はこの挑戦を受諾、12月1日、国立代々木競技場第二体育館が決戦の舞台となりました。

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 猪木はガスパーとの
最終決着戦に海賊マスク
で入場!

ザ・ガスパーを名乗った8年ぶりの海賊は過去の海賊とは明らかに別人、一説によると中西学がその正体と言われています。しかしこの日のガスパーはアイスホッケーマスクのまま試合に臨んだのが嬉しかったです(笑)。
一方の猪木も海賊の元祖が自分である事をカミングアウトするかの如く入場時のみホッケーマスクを着用する茶目っ気を見せ、試合では秒殺(4分58秒 腕ひしぎ逆十字固め)、足かけ9年にも渡ったドラマに終止符を打ったのでした。

お世辞にも成功とは言えなかった海賊男のアングルですが、今のエンタメ路線の新日本なら十分に受け入れられたかもしれません。やはり猪木さんの発想は20年早すぎるんですよね〜。
しかし、今やプロレスファンですら興味を示さない?海賊ネタで一回分を使ってしまうとは、401回目がこれでは我ながら先が思いやられます(苦笑)。
新日本と猪木が迷走していたあの頃、そんな苦しい時代を象徴するかのような哀しきキャラクターである海賊、実は私が海賊の本物衣装をもう少しで入手できるところだった話や、もう10年以上も前ですが海賊コスプレに挑戦(私のコスプレはこの頃から始まっていた 笑)し、「闘魂猪木塾」で大胆にも猪木さんを襲撃したという恥ずかしいネタもあるのですが、紙面が尽きて来ました。

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 海賊亡霊よ安らかに眠れ…

その時の証拠写真を探しきれなかったので、来年には海賊亡霊編PART2をお届けします(またやるのかよ!!)
それにしても猪木さんが最初に口にした、フロリダでのガスパーなる海賊祭りがどんなもなのかも気になります。世の中でこんな事気にしているのは私ぐらいでしょうね(笑)。

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