早いもので7月ももう終わりますが、愛川じゃなかった(笑)、相変わらず遅れ気味の当ブログ、何しろ3月のネタで6回、4月に至ってはアメリカ編もあったので先週までで8回も費やしているのですからやむなし…。
ブログ作成にはけっこう時間がかかりますので、先週のネタを今週掲載というわけにはいきませんが(そんじょそこらのブログとはものが違うぜ!=自己満足)私の理想はせめて一か月〜一か月半遅れ、去年ぐらいまでは確かそんなペースでした。そこで少しでも追いつくべく、5月編はかなりはしょっていきます。
この5月は実に半年以上ぶりにゴルフに行く機会があったのですが、17日は兵庫・東急グランドオークゴルフで119、20日は大阪・きさいちカントリーで113と予想通り惨敗(涙)、たまには練習しないと駄目ですね…。
12日、全日本プロレスの試合観戦の為、守口市民体育館(メインアリーナ)を初めて訪れました。
京阪電車の守口市駅の真ん前とアクセスは最高の会場ですが、ここで思わぬアクシデントを目撃する事になるとは夢にも思いませんでした!
第4試合の諏訪魔、青木篤志組と崔領二、岩本煌史組のタッグマッチで試合開始からわずか1分、はっと気がつくと諏訪魔と絡んでいた崔の左側頭部、こめかみのあたりからだらだらと真っ赤な血が流れだしたのです!攻防が早くて何が起こったのかわかりませんでしたが、ロープワークから諏訪魔のラリアットをかわそうとした時にかわしきれず、拳が頭部に激突したそうです。
倒れこんでのたうちまわる崔選手、場内が騒然とする中レフェリーが慌てて傷をチェックしゴングを要請、担架で運ばれそのまま救急車で搬送されましたが、わずか1分30秒での勝利に諏訪魔、青木組も唖然としていました。
崔選手は「頭部挫創」により半月安静の診断、しかも勝った諏訪魔選手の方も右手の指にひびが入っていたのです(第2、3、4中手骨不全骨折、全治三週間)。
二人とも重症でなかった事が不幸中の幸いでしたが、館内が凍りつくアクシデントにぞっとしました。よく考えたら体重100kg近い巨漢がスピーディに動きぶつかりあうのですからどんなに鍛えていても怪我をするのはある意味避けられない事、プロレスとは本当に危険でリスクを伴うスポーツなのです。
(全日本守口大会はこちらをクリック)
翌々日の14日は日帰りで上京、恒例となった小橋建太さんのトークバトル二連発に参加しました。
第1部の小橋さんの対戦相手は大日本プロレスの関本大介選手、トークショーは初めての経験と言う関本選手はかなり緊張気味でしたが、ファンからの質問にも一つ一つよく考えながら丁寧に答える姿が印象的でした。
関本選手がファン時代、おばあちゃんと一緒に初めて観戦し、自分もプロレスラーになろうと決意したのが全日本プロレスのチャンピオンカーニバル大阪大会だったそうです。
そしてその日の大会でスタン・ハンセンに勝利したのが小橋さんでした。
関本選手も、試合をした小橋さんも「90年代のいつだったか忘れた。」と言うので後で写真撮影時に教えてあげましたが正解は96年の4月、何しろ私も現場にいましたので(笑)。
第2部には大御所、天龍源一郎さんが登場、こちらは最近はテレビCMにも出演しトーク慣れしているとあって終始小橋さんを圧倒、爆笑トークが繰り広げられました。
小橋&天龍、二人とも引退しているとは言え人気は根強く館内は盛況、二人のミスター・プロレスに挟まれてのスリーショット撮影は緊張しました。
19日、赤坂にて開催された「タイガーマスク基金」のチャリティーパーティに行って来ました。
私は初参加ですがこのパーティは年に二回のペースで開催されており、アニメの「タイガーマスク」の如く地道にチャリティ活動を続ける「タイガーマスク基金」の活動報告と、後半には目玉としてチャリティオークションが行われました。
初代タイガーマスクがその場で被っているマスクやサイン入りの日本刀&木刀などが出品されていましたが、びっくりするような値段で落札されていくのでびっくり!
参加していたのは大半が政治家の先生やらタニマチの方々でしたので、世の為人の為、どんどんお金を落として下さるのは良い事だと思いました。
5月の後半、24〜26日はシーピー化成さんの代理店会である「CPJ会」の視察旅行で台湾に行って来ました。
私は通算3度目の台湾ですが、この会では6年前にも同国を訪れています (FILE No.175参照)。
5月7日に新社長に就任したばかりの三宅慎太郎社長も参加してくださり、会員やシーピー化成の社員の方など総勢20名ほどの賑やかなツアーとなったこの台湾視察…しかし5月の我が業界と言えば連休明け早々に最大手のエフピコが製品価格の改定を発表、右へ倣えとばかりシーピー化成、中央化学、リスパックも後に続くと言う値上げ騒動の真っ只中、こんな時期に呑気に海外行っていていいのでしょうかね(苦笑)?
それはともかく24日の朝、関空に集合した我々、そこにエフピコの小松安弘会長がお亡くなりになったとの衝撃情報が入って来て、一同騒然となりました。
私がお会いした、と言うか遠巻きに目撃したのは3月の展示会 (FILE No.521参照)が最後となりましたが、その時はお元気そうだったので余計に信じられない思いでした。
夕食の前に黙祷しては?と会長に提案したのですが、競合メーカーの会でそれもおかしいだろうと言う事になり、心の中でご冥福を祈り飛行機に乗りました…。
6年前は台北だったので今回は高雄をメインに行く事になり、12時発のチャイナエアーラインは現地に14時50分に到着しました。時差は1時間なので約4時間のフライトでしたが、時差の少ない国はほんと楽です。
私は上着として藤波選手の45周年(FILE No.529,530 参照)記念ジャンパーを着用していましたが、皆、背中の龍を台湾を意識したものと思っていたそうです(笑)。高雄は曇り空ながら気温は32℃、着くとすぐにTシャツ1枚になりましたが、蝶野正洋、スタン・ハンセン、初代タイガーマスク、ブロック・レスナーと日替わりで変わる私のTシャツを皆さん楽しみにされていたようで「相変わらずぶれませんね。」のお言葉を頂きました(笑)。
早速皆でスーパーマーケットやコンビニエンスの視察開始、台湾は急速にコンビニが発達しており現在国内で既に1万店舗展開、密度的には世界でも有数との事です。
お店に貼ってあった求人募集広告を見ると時給132元(日本円では約515円)、尚、スーパー&コンビニともレジ袋は10年ほど前から有料(1〜2元、3.9〜7.8円)になったそうです。
夕食は台湾ビールと紹興酒をあおりながら台湾料理に舌鼓を打ち、行きたくもないのに二次会にまで拉致され(笑)、ホテルに帰って就寝は12時でした。
ホテルの眼前には地元の名所である全長14kmの大きな川がありましたが、この川の目名称がなんと、愛河! 愛川ゆず季か(笑)!正式にはアイホーと読むそうですが、これはじっくり見ておかなくてはと翌朝早起きして朝食前に川のほとりを散歩しました。
LOVEの文字を象ったモニュメントなどもあり、ここでゆずポンと記念撮影をしたいものです(笑)。
二日目は観光組とゴルフ組に分かれ、私は勿論観光、しかし台湾は雨季に突入で朝からいきなり凄いスコールに見舞われました。雨はすぐにあがりましたが、陽が照るとますます不快指数がアップします。
観光バスは9時にホテルを出発、暑い中を台南まで走ってお寺や城、百貨店に立ち寄り15時過ぎには帰還しました。
この日の夕食は海鮮料理のお店で、食後は皆さん性懲りもなく二次会へ、私はシーピー化成の上野専務、松本支店長とマッサージに行き90分しっかり揉み解して頂き、ぐっすり眠れました。
帰国日の朝、出発時間にロビーに集合した時、シーピー化成のIさんが真夜中にトイレに目が覚めて何を思ったのかパンツにシャツのまま廊下に出てしまった事が発覚しました。はっと気がついた時は哀れオートロックでドアが閉まり慌ててフロントに駆け込んだそうですが、夜中の二時半にも関わらずよりによって同じエレベーターに外人さんが乗って来て異様な緊張感だったとか(笑)。でもまだパンツにシャツ着てただけでも良かったですよね、もし素っ裸で寝ていたら…私も暑い国では裸で寝る事が多いので気をつけよっと。
朝から大爆笑の我々は左営駅に移動、ここから9時発の新幹線で台北に11時到着、お昼に飲茶料理を頂き17時半のチャイナエアーラインに搭乗しました。
帰りは思いのほか早くわずか二時間ほどのフライトで20時半に無事関空着、今回も充実の視察旅行が終了しました。
(台湾視察のダイジェストはこちらをクリック)
5月編はかなりはしょると宣言したもののやはり一回に収めるのは無理でした。
帰国早々に行って来た、5月最大最後のイベントの模様は来週お届けします。
5月の主役と言えば…勿論あの人です!
尚、次回は読者の皆様に重大報告、サプライズのビッグニュースをお届けしますので 来週を心待ちにしてください。
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