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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.548 2017.11.18  

「 結婚記念日(2) 」

先週の予告通り、今回のテーマは「結婚記念日」…衝撃のニュースが飛び込んで来たのは9月7日、早朝の事でした。
出社していつもの習慣でパソコンの電源を入れるとヤフー・ニュースのトップページに「愛川ゆず季、同い年の一般男性と本日結婚へ」の文字が!
お〜い、聞いてないよっ!!

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 ゆずポンの左手に光るエンゲージリング(ゆずポンブログより)

しばし呆然とし何度も記事を読み返しました。以前から彼女、「結婚願望ない」って言ってたんですけどねえ…女の言葉を鵜呑みにした私が馬鹿だった(苦笑)。
冗談はともかく私はずっとゆずポンは37歳、つまり今から3年後に結婚すると思い込んでいました。
もう5年も前になりますが、阿佐ヶ谷のロフトのイベントにゆずポンが出演 (FILE No.280参照)、舞台で占いを見てもらう企画があり、そこで「結婚は37歳」と言われたのが記憶に残っていたからです。こうなると占いもあてにならないものだ(笑)。
ニュースを耳にしたfacebook友達、はては同業の社長さんまで色々な方からメッセージが届きました。
「社長、残念でしたね。」「お力落としてませんか?」「田宮さんが泣いてるんじゃないかと 朝から心配してました。」…etc
男は顔で笑って心で泣いて、ご心配おかけしましたがもう立ち直りましたから大丈夫です(苦笑)。「これでブログやfacebookにゆずポンの登場が減ってしまうのでは」と心配の声もありましたが、こちらも大丈夫、人妻になっても追っかけますので(笑)。

その渦中の人、ゆずポンが9日、つまり結婚のわずか二日後、スターダムのロッシー小川社長とともに突如大阪にやって来ました!

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 池本誠知選手のパーティ
にゆずポン来阪
(上井氏撮影)

大阪在住の格闘家で、プロレスラーとしても試合経験のある池本誠知選手のジムの設立10周年記念のパーティのゲストとしての来阪でした。
このブログ更新時には既に終わっていますが、11月にゆずポンと池本選手によるトークイベント開催のプロジェクトが以前から水面下で進んでおり(詳しくは次回)、その発案者である上井文彦さんの仕掛けによる来阪でしたが、この時点でイベントについてはまだケッフェイ状態だったので、何故ゆずポンがここに?と世間もファンも不思議だった事でしょう。
私も是非駆けつけたかったのですがああ何と言う事、この日は既にチケット購入済みの大仁田厚選手の大阪ラストファイトがバッティングしてしまいました(涙)。
やむなく上井さんによろしくの伝言だけ伝えておいたら「社長の事、褒めてましたよ〜。」と言われました。社交辞令とわかっていても舞い上がってしまう、いつの時代も男は単純です(笑)。
この二週間後には私の家の近所の、がもよんホール(城東区民ホール)にて池本選手がメインを務める上井さんの興行「STRONG STYLE HISTORY」(FILE No.502,503,527参照)が開催される事になっていましたが、ああ何と言う事、寄りにもよってこの夜のパーティで行われたエキシビションマッチで、池本選手は左足骨折のアクシデントに見舞われてしまったのです!
上井さんから早い段階でマッチメイクの骨子をお聞きしていましたが、本当に今回の大会だけは池本選手ありきで準備していただけに、主役が欠場では成り立たず大会中止(数試合を含む代替イベントに振り替え)と言う残念な結果になってしまいました。
幻となったメインは池本選手が全日本プロレスの秋山準社長とタッグを結成、スコット・ノートン&TAJIRIと戦うカードが予定されていただけに残念です。

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 後日サムライテレビに私が映っていました(笑)
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 最後の大阪で邪道との
ツーショット

パーティの事が気になりながら行って来た大仁田選手の大阪ラストファイトですが、恒例の大仁田劇場でリングをファンが取り囲んだ時、大仁田選手と目が合うとまたしても「上がれ、上がれ!」お言葉に甘えてエプロンに上がりこの日も真っ先に聖水シャワーを浴びてしまいました。尚、この日も第一試合の前に国歌斉唱がありましたが、前回(7月)の反省を活かしてちゃんと日の丸国旗が用意されていました(笑)。
大仁田大阪ラストマッチはこちらをクリック

9月20日、試合は無くなったもののイベント出演の為、予定通りスコット・ノートンが来日しました。
私も上井さんのお供で接待に駆り出されましたが、困った事にこの日は通訳が急用で不在でした。ちょうどその日の夕方、私は英語のレッスンの日だったので(たまにしか行けないうえに全然勉強しないのでさっぱり上達しませんがこれでも英語習ってるのです!)使えそうな挨拶やらフレーズを一夜漬け、これで二時間持つとは到底思えませんが、もうなるようになれと開き直って出発しました。
待ち合わせのホテルのロビーにいると、エレベーターからノートンがエージェントのギルバートさんを伴って降りて来ました。
ノートンは開口一番「ピロー、ピロー」を連発、ピロー!?枕の事か?英語のわかるフロントに対応してもらったところ枕が小さいので数が欲しい、ベッドも小さいと不満を漏らしていたようです。
上井さんの車で私の家の近くの食べ放題の焼き肉屋に移動しビールで乾杯、流石によく食べよく飲み、最後は可愛くパフェまでご賞味(笑)、ご機嫌で色々と話してくれました。

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 ご機嫌のスコット・ノートン、とにかくよく食べよく飲みます。

言葉が通じないのが本当にもどかしいですが、何とか単語をつなぎ合わせ(後の半分以上は想像ですが)コメントを再現してみましょう。
「試合をするのが楽しみだったが、今回は対戦相手が怪我をして試合が流れてしまい、本当に残念だ。」
「新日本プロレスの東京ドーム(1月4日)に出場して、7月には猪木の「ISM」に出たらタイガー服部(新日本のレフェリー兼ブッカー)から文句を言われた。」
「現在のベストレスラーはケニー・オメガだ。」
酔いが回ってきたタイミングを見て「ミスター・ノートン、クエスチョン(質問)!」と用意した質問をぶつけてみました(英語の先生に書いてもらった英文をそのまま読み上げただけですが 笑)。
「What do you think about Japanese style Wrestring?」

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 最後はパフェまで(笑)…

(日本のレスリング・スタイルをどう思う?)
今まで陽気だったノートンが急に真顔になり、私の目をじっと見て熱く語り出しました。大半はわからないのですが、「自分は日本のストロングスタイルが大好きだ。」と言っている事だけは理解出来ました。「ストロングスタイル」と言う言葉自体が和製英語で、アメリカのレスラーには通じないと聞いていましたので、その言葉が聞けて嬉しかったです。

その翌々日、新宿歌舞伎町に期間限定でオープン中の「週プレ酒場」にゆずポンが緊急参戦、大阪では会えなかった事もあり、急遽上京しました。

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 新宿・週プレ酒場に
ゆずポン登場(ゆずポン
ブログより)
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 ツーショットチェキに
サインを頂きました。

ファンの涙雨と言うわけではないでしょうが(笑)当日はかなりの雨模様、その中で短い時間でしたが、ツーショットチェキ撮影&サインタイムがありました。
「ご結婚おめでとうございます。」と挨拶すると「上井さんから色々聞きましたよ。」と…、何の話やら気になるなあ(笑)。

さて、今回の結婚ネタに相応しく、翌々日の24日は社員の結婚式に招かれました。
私が大、大嫌いなスピーチまで頼まれてしまい憂鬱でしたがこれも社長の勤め、やむなしです。さらに困った事がもう一つ、この日は神戸ワールド記念ホールで毎年恒例の新日本プロレス、秋のビッグマッチが開催される日だったのです。
試合開始は16時、一方披露宴開始は12時半、ぎりぎり間に合うかと思いましたが、招待状を貰ったら式場の場所は何と!りんくうタウン(泉佐野市)!
大阪の人以外にはぴんと来ないかもしれませんが、ここってかなり和歌山寄りの大阪の端っこ、関西空港のすぐ近くなのです。ここから神戸ワールドまで行くとなると電車なら乗り継ぎが悪く2時間はかかりそう、かと言ってタクシーを使えばいくらかかるやら(涙)
…ったく、何でこんな辺ぴな場所でやるんだよ!と恨み言を言ったものですが、この式場、新婦の職場何ですって、こりゃ失礼しました!!
当日は苦手なスピーチをどうにかこなし、事前に新郎には「何としても二時間で終わらせろ!」とたっぷりプレッシャーを与えておいたにも関わらず時間は押しまくり、三時間近くもかかって終了が15時50分でした。
幸いにも車で来ていた社員がいたので、無理矢理神戸ワールドまで乗せて行ってもらい(高速代プラス駄賃で三千円払ったぜ!)、16時45分、第4試合の途中で到着、とにかく疲れた一日でした…。

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 明治大学マンドリンコンサートに裕美さんが出演
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 会場となった群馬音楽
センター

ロシア視察参加の異業種メンバーの懇親食事会に出席の為月末は再び上京、その翌日は太田裕美さんが特別出演する「明治大学マンドリンコンサート」で群馬県高崎市に行って来ました。
夕方5時開始ですが、全席自由とあって会場の群馬音楽センターには11時半頃到着、既に5〜6人のヒロミストたちが並んでいました。
2時に裕美さんが車で来場、皆で出迎えたところ手を振ってくれ、早くに並んだおかげで最前列のほぼ真ん中の席を確保出来ました。
裕美さんは遅い夏休みでニューヨークに行っていて、この前々日に帰国したばかりとの事、 時差ボケによる疲れか?「さらばシベリア鉄道」の2番で、思いっきり歌詞を間違えるアクシデントがありました。それも1番と2番の歌詞を間違えたとか言うレベルでなく、一瞬全く違う言葉を発したのでファンも冷や汗もの、う〜ん、猿も木から落ちるとはこの事です。
裕美さんの出番終了後は駐車場で出待ち、握手して頂き幸せな気分で東京に帰りました。

帰りの車中で、もう32年も前の裕美さんが結婚した時の事を思い出しました。
当時のディレクター兼プロデューサーである福岡智彦氏と熱愛中というネタを一部マスコミがスクープした事で騒ぎが大きくなり、84年1月20日(自身の29歳の誕生日)に正式に会見を開き「お付き合いしているのは事実です。」と事実を認め「私にとっては結婚の最後のチャンスかもしれませんので温かく見守って欲しいです。」と堂々と恋人宣言をやってのけ、8月28日には正式に婚約を発表、翌85年1月26日にめでたく挙式(仲人は愛川欽也&うつみ宮土理夫妻)という流れでした。
披露宴の様子をテレビのワイドショーで観た時は祝福の気持ちと淋しさの両方で、自分の青春も終わったなと思ったものですが、恋人宣言→婚約→結婚と段階を踏んで心の準備が出来ていたので、精神的ショックはまだ少なかったような…今回のゆずポンのような不意打ちが一番効きますよ(苦笑)。
裕美ちゃんも適齢期をとうに過ぎているし、ま、仕方ないかと思い、ずっと私は「裕美さんは晩婚だった」のイメージを持っていたのですが、それでも今のゆずポンより4つも若かったのは意外でした。

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 小橋建太さん&岡林裕二選手と、男前トリオと呼んで下さい(笑)
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 色紙の写真より断然カッコイイ岡林選手

調べたところ、85年の結婚(初婚)の平均年齢は男子が28.2歳、女子が25.5歳でした。従って「裕美さんは晩婚」と言うイメージは当時は妥当でしたが、現在(2014年調査)はこれが男子31.1歳、女子29.4歳となっているのですから、男女ともこの30年で晩婚化が随分進んだ事を実感します。

コンサートの翌日は横浜の書店で行われた、小橋建太さん&岡林裕二選手のトークイベントに参加して大阪に帰りました。
今回の主役・ゆず季様が本格的に登場する前に紙面が尽きてしまいましたので、続きは次回!

(次回へつづく)
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