包装資材の専門商社 タミヤ

ホーム タミヤのチカラ 商品ラインナップ 環境保全活動 会社情報 お問い合わせ

会社情報

Home > 会社情報 > 社長の経営日誌
会社概要
主要販売・仕入先
社長の日誌

社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.552 2017.12.16  

「 仮面貴族伝説(3) 」

寒さが厳しくなった今日この頃、今年ももう二週間足らずかと思うといささか信じられない気分です。

今週も10月のお話で、この月、年に一度のお楽しみ「仮面貴族」ミル・マスカラスが、今年も元気に来日してくれました!
しかも意表を突いて今回は、藤波辰爾選手の「ドラディション」への初参戦です。
4月に藤波選手が「秋にはまたビッグなゲストを呼ぶ」と明言していたので、往年のライバルだったカネックかボブ・バックランドに期待していたのですが、まさか、まさか、マスカラスがやって来るとは!
この告知を最初に見たのが、東京出張の為に大阪駅から乗り換えて新大阪に向かうJR線の中でしたが、あまりの衝撃に激しく動揺、うっかり新大阪を通り過ぎてしまいました(苦笑)。快速電車だったので次は高槻まで停車せず、そこから引き返していてたら予定の新幹線に間に合わないと判断、そのまま京都まで乗って、どうにか予定の新幹線に飛び乗る事が出来ました(汗)。

それにしても藤波選手のリングに初参戦するマスカラス、この二人は2011年にIGFのリングで「夢の対決」を実現させていますが、果たして今回は戦うのか?それともタッグを組むのか?どちらにせよ夢が膨らみました。
大会は東京と大阪の二回で、結局二試合とも両者が夢のタッグ(トリオ)を結成する事が発表されました。この二人のタッグと言えば思い出すのが、1979年8月26日、たった一度だけ行われた真夏の夜の夢「プロレス・夢のオールスター戦」で、この日ミル・マスカラス&ジャンボ鶴田&藤波辰巳(当時)の超ドリーム・トリオが実現し、ファンを狂喜させました。
願わくばジャンボが健在ならあの夢がもう一度再現出来たのですが、それが叶わぬ現在果たしてもう一人のパートナーは誰か?
東京・後楽園ホールのカードで藤波&マスカラスと組む相棒はXと発表され、ファンはXの正体をかんかんがくがく予想しあっていました。
私は自分の願望も含め、武藤敬司か初代タイガーマスクだろうと睨んでいましたがずばり的中、武藤選手の出場が決まりました。偶然にも武藤選手は鶴田さんと同じ山梨県の出身です。

 クリックで拡大
 夢のスリーショット
(パネル編)

試合当日、会場入りすると藤波&マスカラスの等身大パネルがお出迎え、顔じゃないと思いつつも(笑)ジャンボ鶴田さんになった気分で(衣装は猪木さんですが)記念撮影、尚、シャッターはたまたま近くにいたリアルジャパンプロレスの平井代表が押してくださいました(ありがとうございます)。
さて、マスカラスと言えば密かに期待してしまうのがオーバー・マスクの投げ入れ、ちょうどこのブログを書いていた時、3年前に私がマスクをゲットした瞬間(FILE No.406 参照)の映像がサムライテレビで再放送されていましたが、観返しながら、私はあの日で一生分のツキを使い果たしたのだなとしみじみ(苦笑)…。
冷静に考えりゃそんなに何度も奇跡が起こるはずもなく、この日のマスカラスは私が座っていた南のちょうど反対側、東の席方面にマスクを投げ入れました。
マスクが飛んだ位置が、私の友人のマスクマニアに近い場所だったので(キャッチできたかな?)と後で確認したら「写真撮るのに気をとられて取り損ねた」と(笑)…マスカラスがマスクに手をかけた時だけはそこに集中しないと(笑)!
しかもマスクを取得した人に写真だけは撮らせてもらったそうですが(昨年の青森の私の時のようにタダではくれなかったそうで 笑)、あまりマスクに興味が無さそうな人だったとの事で、
「それなら何でその場で交渉して安く売ってもらわなかったの!」とまたもダメ出し、本人も二重に後悔してましたが、やり直しの効かないのが人生です(笑)。

試合はゴングが鳴るといつも通りの仮面貴族ワールド…例え藤波選手の興行でも事実上の主役はマスカラスで、フィニッシュもマスカラスが永遠の定番、ダイビング・ボディ・アタックで決めました。
38年前のオールスター戦ではマスカラス、鶴田、藤波のトリオが三人同時に宙を舞い、トリプル・ドロップキックを見せたのが最大のハイライトで、今でも語り草になっているほどですが、夢よもう一度!藤波選手は試合前にトリプル・ドロップキックの再現を公約していました。
正直これはリップ・サービスで、やはり不発に終わりましたが、ファンは誰も今更マスカラスに、否、藤波選手や武藤選手にもドロップキックを望むなんて、そんな野暮な事は言いません。元気でリングに上って夢を見させてくれたらそれで満足です。
ドラディション東京大会はこちらをクリック

試合が終わると私は新宿・歌舞伎町に急いで移動、9時半から「セクシー・パンサー」、ミミ萩原さんのイベントがあったからです。

 クリックで拡大
 セクシー・パンサー、ミミ萩原さん、35年ぶり!

プロレスから芸能界に移行した人は多いですが、テレビタレントからプロレスラーに転向した元祖はこのミミさん、言わばゆずポンの大先輩です。
プロレス熱が再び騒ぎ出した1982年、私、ミミさんのファンで、正確な日付けは忘れましたが同年の7月、東大阪市のつくしグランド特設リングにて人生初のプロレス観戦、そう、私のデビュー戦は意外にも女子プロレス(全日本女子)だったのです。因みに男子のプロレスはこの二ヶ月後、9月21日の新日本プロレス大阪大会(メインは猪木vs木村のヘアー・マッチ)でした。

 クリックで拡大
 ミミさんはサービス満点!

記念すべき初観戦のこのつくしグランド、ようはただの空き地の野外試合でしたが(笑)、周りの誰に聞いても場所がわからず苦労した覚えがあります。インターネットのない時代、こんな辺ぴな場所を結局どうやって見つけたのか、自分でもよく覚えていないのですが、ちょうど会場に着いたら関西のローカルTVがミミさんの取材に来ていました。
この日を含めてこの頃、尼崎や大阪府立、現在の我が社の近所である八戸ノ里でミミさんの試合を観戦、試合後の売店でミミさんの著書とか写真集とかグッズを買ってサインをもらったものですが、今宵お会いするのはそれ以来実に35年ぶりですよ!
奇麗な方はいくつになってもそれなりに綺麗、セクシー・パンサーは健在で嬉しかったです。ミミさんは現在広島在住なので、上京する機会はそうないとの事ですが、是非またお会いしたいものです。
尚、ツーショット写真を見た友人から「顔近づけすぎ!」とつっこまれましたが、これはサービス精神旺盛なミミさんの方から近づけてくださったのです、決してセクハラではないので誤解のないように(笑)!

 クリックで拡大
 上機嫌で来場、藤波辰爾
選手
 クリックで拡大
 夢のスリーショット、今度は本物!

翌日は水道橋の「デポマート」にて、マスカラス来日時恒例のサイン&撮影会が開催、しかも今回は藤波選手とスリーショットという豪華版です。
毎度の事ですが、普段は会場でお見かけしないのに、マスカラスが来た時だけ来られる方たちが多数…皆がかつてのプロレス少年・少女に戻る一時です。
私の順番となり藤波選手にご挨拶すると、いつも通りのドラゴン・スマイルで「昨日リング上から見てたら赤いマフラーが目立ってたよ。」と言われました(笑)。

台風が心配だったのでイベント終了後はすぐに帰阪、翌日の大阪大会に備えました。

 クリックで拡大
 とにかく緊張しました…
 クリックで拡大
 いつもダンディ、
マスカラス

この日の会場は南港にあるATCホールで、今から22年前に藤波選手が現在の「ドラディション」の前進である「無我」を旗揚げした思い出の会場(奇しくも日付けも同じ10月29日!)でした。
大阪大会のメインの6人タッグには、藤波選手とマスカラスのパートナーとして、何と長州力選手が参戦しました!
東京に勝るとも劣らぬドリーム・トリオの実現でしたが、東京のファン仲間の間では「長州が見たかった。」という人が多かったです。しかし逆に大阪では「武藤の方が良かった。」という人もいたし、皆さん好みは人それぞれ、一番良いのは無理してでも東京と大阪両方来る事です(笑)。
マスカラスと長州選手の日本での唯一の接点は両者の全日本プロレス時代、85年10月21日の両国で「夢の対決」が実現しています(長州力、谷津嘉章組vsミル・マスカラス、アート・クルーズ組)。
この時期の全日本プロレスはテレビ中継が土曜夜7時のゴールデンタイムに移行したばかりで、この日の両国は言わば記念大会、メインにリック・フレアーvsリック・マーテルのNWA・AWA世界統一戦、セミに鶴龍コンビvsロード・ウォリアーズの豪華カードが組まれ、その煽りで一つ前のマスカラスと長州の試合がテレビで流れず地団駄を踏んだものでした。
結局私が「スカパー!」でこの試合を観たのは20年後でしたよ(苦笑)。
東京ではトリを務めた藤波選手がこの日は先頭で入場、次に長州選手が続き、最後がマスカラスとやはり主役はこの人、残念ながらこの日もマスクはこちらには飛んで来ませんでしたが(だから来ないって!)何故か東京では見せなかったヘッドシザースホイップも繰り出し、フィニッシュはやはりダイビング・ボディ・アタックでした。
ドラディション大阪大会はこちらをクリック

75歳となった今も現役を続けるマスカラス、まさしく「リビング・レジェンド」(生きる伝説)そのものですが、口さがない連中は「70歳を過ぎて試合が出来るのがおかしい、だからプロレスはインチキなんだよ!」などと言いがちです(何処にでもこういう単細胞がいるものです )。
でも、登山家の三浦雄一郎さんは何と80歳にしてエベレストの登頂を成功させました。
ふーん、それなら三浦さんの登頂は八百長か?!三浦さんは血の滲むような努力と節制の賜物によって快挙を実現したわけです。マスカラスも同じで、この年齢でコンディションを保ち、曲がりなりにも試合をこなせる事に何故素直に感動出来ないのか…だからと言って「プロレスはいくつになっても出来る」と思われては困ります。
プロレスは最も危険なスポーツだし、今の現役バリバリの選手がやっているプロレスとマスカラスのプロレスは別物、ファンはそのへんを理解して自分の好みに合わせて楽しんでいます。
とにかく、今もマスカラスに会える事に心から感謝し、これからも一期一会の精神で追い続けたいと思っています。

ところでこの大阪大会はお昼の12時半試合開始でしたが、もし早く終われば名古屋へ行こうかと画策していました。この日の3時から引退二日前、大仁田厚選手の最後の電流爆破マッチ があったからです。
私はメインに間に合えばそれで十分で、名古屋大会のリングアナを務めた奥田誠弥さんは大衆プロレス松山座やターザン山本さんイベントで顔馴染みだったので「メインは何時頃の予定ですか?」とメッセージを送ったところ、「たぶん7時頃でしょう。」の返答でした。
大阪が終わったのが3時で、余裕で間に合いそうなので名古屋へGO、会場である国際展示場に着いたのが5時半、ちょうど休憩時間中でした。
聞けばここまでは格闘技の試合をやっていて、プロレスの試合は今からとの事だそうで…(かなりの長時間興行だ!)おかげでメインどころか全5試合を観る事が出来ましたよ。

 クリックで拡大
 引退二日前、大仁田厚選手

大仁田厚最後の電流爆破、対戦相手は誠心会館の青柳館長でした。
まだFMW旗揚げ前の89年7月2日・後楽園ホール、大仁田選手と青柳館長の異種格闘技戦を私は観戦しましたが、あれほど殺気立った会場は後にも先にも経験がなく、無茶苦茶興奮したものです。あれから29年、遂に迎えた感動の最終回、やはりプロレスは長く見るものです。
それにしてもはしご観戦は過去何度も経験している私も、大阪と名古屋のはしごは初めての事で、いささか疲れました(笑)。
大仁田最後の電流爆破はこちらをクリック

<過去の日記>
サイトマップご利用にあたってプライバシーポリシー

(c) 2007 TAMIYA.Ltd