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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.590 2018.9.8  

「 セクシーパンサー(1) 」

8月4日、“セクシーパンサー”こと、ミミ萩原さんのファンイベントに行って来ました!

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 昨年10月、ミミさんと35年ぶり!

昨年10月に実に35年ぶりにお会いする事が出来た(FILE No.552参照)
ミミさんが再び上京(現在広島在住)、今回は「闘道館」にて「ミミ萩原ファンフェスタ2018」と題しトークイベントを開催したのです。

前回も書きましたが、高校生だった1982年に再びプロレス熱が騒ぎ出した私、たまたま買った雑誌「日刊アルバイトニュース」(現在は廃刊、懐かしいな)に何故か女子プロレスの特集記事がありまして、ミミさんのインタビューを目にしました。
ちょうどミミさんが出演した、女子プロレスを扱った洋画「カリフォルニア・ドールズ」(主演は「刑事コロンボ」で有名なピーター・フォーク)が公開直前だったので宣伝が主でしたが、インタビューのラストを「映画も面白いですが日本の女子プロレスはもっと面白いので皆さん是非会場に来てくださいね」の言葉で締めていたのが印象に残っています。

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 団体の顔として大活躍した現役時代のミミさん

私も素直なもので(笑)その記事を読んだのがきっかけで先ずはテレビ(全日本女子プロレス中継)を観るようになり、同年7月には遂に会場に出かけました。
この日から36年、現在も続く私のプロレス生観戦の歴史、デビューはなんと全日本女子プロレス(以下、全女)だったのです。
会場は確か「東大阪市つくしグランド特設リング」…これって一体何処やねん!? 当時のかすかな記憶では近鉄線の瓢箪山駅からそう遠くない場所だったような気がしますが、現在、インターネットでいくら検索しても該当する場所が出て来ません。恐らくは全く別の建物となっているのでしょう。
シリーズの日程自体はたぶんプロレス雑誌か新聞で見たと思うのですが、紙面には「7月○日 東大阪市つくしグランド特設リング ○時開始」と書いているぐらいで、場所も行き方も分からずじまい、親父の会社(つまり現在の我が社)の社員に聞いても「そんな場所聞いた事ない」の返事ばかり…結局、街で見かけたポスターの問い合わせ先に電話でもしたのでしょうか? 自分でもどうやって調べたのか思い出せませんが、とにかく到着したら青いビニールシートで周りが囲ってあるだけのただの空き地だったので唖然、これじゃ誰も知らなくて当然と納得したものです。
結構早い時間に着いたら、その空き地の真ん中に組まれたリングのそばにTシャツに短パン姿のミミさんを発見、一瞬ですが目が合いました。
(わ〜、本物だ!奇麗だなあ〜)と舞い上がっていたらすぐにミミさんは姿を消しましたが、大阪のテレビ局がワイドショーでミミさんを特集する為にカメラが入っており、リングサイドでインタビューを撮り終えたところだったのです。
後日オンエアされたこの番組(時間にして15分ぐらいだった)は、なかなか感動的な出来で、ますますファンになりました。
当日券を買ったらリングサイド最前列、それも本部席の真後ろで、やがて前座試合の開始、そしてお目当てのミミさんがステージ衣装に身を包んでリングインし、当時の女子プロのお約束である歌のコーナーとなりました。
歌が終わるとグッズが運ばれて来てリング上でのサイン会(笑)、初観戦の私はいささか圧倒されたのと気恥ずかしさもあって、この日は何も買えませんでした(笑)。
肝心の試合の方はミミさんはセミのタッグマッチ(組み合わせ忘れた)で快勝、メインは確かジャガー横田組とデビル雅美組の6人タッグ戦(当時は三本勝負)でした。
まだ新人だった長与千種がデビル軍にぼこぼこにされていたのを覚えていますが、最後はジャガーのチーム(ジャガー&長与&ジャンボ堀だった)が2−1で勝利、とにかく人生初のプロレス観戦は何もかもが新鮮でカルチャー・ショックの連続でした。

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 ミミさんの自伝
「美しき夢色の日々」

その後書店にてミミさんの自伝「美しき夢色の日々」を購入しました。初版発行が82年7月25日ですから、私の初観戦のタイミングに合わせたかのように出版された本でしたが今回イベント参加の下準備として30年以上ぶりに改めて熟読、ミミさんの生い立ちから芸能界を経てのプロレス入りを綴ったその内容は今読んでもなかなかドラマティックで感動的でした。自宅やコスチューム、休日ファッションを公開したカラー特集ページもあり、アイドル本そのもののノリが可愛いです(笑)。

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 中身はアイドル本そのもの

エキゾチックな顔立ちからハーフと思われがちなミミさんですが、お父さんがハーフ(お爺さんがフランス系スイス人だったそうです)でミミさん自身は東京生まれの東京育ちです。
幼少時からアメリカンスクールに通い、12歳から三年間スイスに留学してフランス語を習い、さらにはドイツ語やイタリア語、スペイン語まで読んで話せるようになったというから恐るべし才女!当時はまだバイリンガル(二か国語を話せる人)なんて言葉も聞きませんでしたが、五か国語(日本語、英語を含む)を話せる人なんて滅多にいません。
帰国後はモデルを経て芸能界入り、最初のテレビのレギュラー出演(芸名はミミー)は「仮面ライダー」で、藤岡弘さんの一号ライダーの後期(70話〜)に少年ライダー隊と行動を共にする通称・ライダーガールの一員として出演されていました。
ばりばりのライダー直撃世代の私はリアルタイムで観ていましたが、これが最初に見たミミさんだったのです。

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 素顔は可愛い女の子♥

その後も順調にアイドル路線を進んだミミさんでしたが、自分のやりたい事を全て我慢して作られた虚像を演じなければならないタレント業に、次第にカゴの中の鳥のような息苦しさと疑問を感じるようになって行き、そんな時に後楽園ホールで全女の試合を観戦した事が運命を決めました。
「これなんだ!ミミが求めていたものはこれなんだ!満員のお客様の拍手を浴びて思いきりリングの上で駆け巡る!誰に遠慮する事も無く自分の可能性を思いきり試す事が出来る!ミミもやってみたい、みんなミミと同じような普通の女の子がやっているんだ、ミミにだって出来ないはずがない!」
翌日から早速目黒にあった全女の道場に押しかけ入門、全女には練習生のシステムがありましたが、練習生になりたいというミミさんの申し出に松永高司社長を始め関係者は色好い返事をしませんでした。
タレントとしての知名度がある人が自らプロレス入りを志願、今なら諸手を挙げて大歓迎でしょうが、ビューティ・ペアが一斉を風靡していた当時の全女は現在とは比較にならないほど入門希望者が多い狭き門だったのです。
「練習生になってもデビュー出来る保証はない、何か問題が起こって芸能活動に支障をきたしてもこちらでは責任は負えない」を条件に半ば強引に入門に成功、「本人のやりたいようにやらせておけばそのうち飽きるさ」と思われていたようでしたが、ミミさんは本気も本気でした。

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 愛犬ポメラニアンと

実際問題として練習を始めると身体中に青あざを作り、酷い時には足を骨折、ステージで座ったまま歌う事を余儀なくされた事もあったそうで、当然のように芸能事務所からはクレームが付きました。
「一体どういうつもりなんだ!プロレスに熱中するのはいいが、本業に差し支えるようでは困る。大体タレントで十分やって行けるのになんでプロレスなんてやりたがるんだ?」
「でもとにかくプロレスをやりたいんです!今はそれしか言えません。」
思い立ったら一直線、絶対に意思を曲げないミミさんは丁度迎えた事務所との5年契約の更新時期にためらう事なく、プロレスにたった一度の青春をかける決意をしました。

夢に向けての第一歩を踏み出したもののそこに待っていたのは果てしない茨の道…普通女子プロに入門して来るのは15〜18歳が一般的なのにミミさんは既に20歳、しかもこれまで本格的なスポーツ経験が無いうえ、心臓肥大という厄介な病気を抱えていた事が致命的でした。
しかも派手な芸能界から来たという周囲からの偏見、逆風の中でひたすらに過酷な練習に打ち込む毎日、口の悪いコーチには「いつまでもプロレスにしがみついてないで、早く嫁さんに行っちまいな!」と小馬鹿にされ(今ならセクハラだ!)「やめるもんか!絶対チャンピオンになってみせるもん!」と言い返していたそうです。
デビューする為のプロテストに二回挑むも不合格、そして入門10か月目、三度目のプロテストの日がやって来ました(77年12月16日川崎市体育館)。
全女の規定ではテストを受けられるのは三度まで、つまりこれで駄目ならプロレスラーへの道を諦めなければならないのです。
不安とプレッシャーで震えているミミさんに普段は悪口ばかりのコーチが「合格するには審査員をまず驚かせなけりゃ駄目だ。特にミミは身体が小さいから何か目立つ事をしないと」とアドバイスをしてくれたそうで、これで勇気を得たミミさんはテスト(5分間の公開スパーリング)で完全燃焼、何と先輩からフォール勝ちを奪い遂に合格!
ぼろぼろと止まらない涙の中、愛川ゆず季より33年も早く、芸能界から転向した第一号プロレスラーが誕生しました…。

(次回へつづく)
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