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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.682 2020.6.13  

「 IWGP(2) 」

蒸し暑さが増してきた毎日ですが、まだまだアントニオ猪木DVDボックスの視聴完了までは道半ば、今回は日付けに因みこのブログの更新日翌日の試合をご紹介しましょう。
(ハイ、興味ない方読み飛ばしてくださいませ 笑)
1984年6月14日に行われた、84IWGP優勝戦のハルク・ホーガンとの一戦です。 猪木VSホーガンと言えばこの前年に当たる83IWGPの優勝戦があまりにも有名で、猪木がホーガンのアックスボンバーで舌を出して失神、病院送りになった事件は今や伝説と化していますが(FILE No.276,277,576「猪木舌出し失神事件」参照)、因縁の再戦は一年後に実現しました。

二回目となるこの年のIWGP(FILE No.575
参照)の概略をおさらいしておくと、参加12選手が総当たりのリーグ戦を行い、最高得点を得たものがシリーズ最終戦の蔵前国技館で前年度優勝者のホーガンと優勝戦を行う形式でした。
リーグ参加者は
(日本代表)アントニオ猪木、藤波辰巳、長州力、マサ斉藤
(北米代表)アンドレ・ザ・ジャイアント、マスクド・スーパースター
(米国代表)ディック・マードック、アドリアン・アドニス、
      B・J・スタッド、ケン・パテラ
(欧州代表)オットー・ワンツ、ビッグ・ジョン・クイン

この当時の新日本プロレスがラインナップ出来うる最高のメンバーが集結した豪華なイベントとなりましたが、私個人としてはいささか疑問がありました。
元々、当初のIWGP構想は世界中に乱立するタイトルを統一し、真の世界王者を決めようと言うのが基本理念でした。
しかし実際にチャンピオンベルトを1本にまとめるなど物理的に不可能、世界を6つのゾーンに分けて予選を行い、勝ち上がってきた代表選手が優勝を争う方向に軌道修正し、大金をかけて何度も各国のプロモーターを日本に呼んで会議(IWGP実行委員会)が行われましたが、取材した井上譲二氏(元週刊ファイト編集長)いわく「大半のプロモーターは物見遊山の観光気分だった」(苦笑)。
その言葉を裏付けるかのように、結局予選が実現したのはアジアゾーン(主催者の新日本プロレス)と中南米ゾーン(メキシコのUWA)のみでした。
因みに、以前も指摘しましたがお膝元の日本の予選ですら内容的には相当不透明だったのに対し、メキシコのUWAは早々とトーナメントを開催し代表を決定(優勝のカネック、準優勝のエンリケ・ベラが決勝リーグに参加)と非常に協力的でした。
紆余曲折あって漕ぎ着けた決勝リーグ戦は、本来世界各国を回ってやるはずだったのが一転して日本国内のみとなったのに加え、参加メンバーの顔ぶれ的にも当初の壮大な構想とは程遠く、「これでは今までのMSGシリーズ(新日本が毎年行ってきた優勝争いのリーグ戦)が名前を変えただけじゃないか!」と一部から酷評される事になりました。
それに比べると2回目の大会は前述のようにメンバーがぐっとグレードアップして好評でしたが、私には前回は(アジア&中南米のみとは言え)曲がりなりにも実現した予選が無かった事が大いに不満でした。前回最も協力的だったメキシコからの参加は無いし、「従来のMSGシリーズと変わらない」と言う批判はむしろ二回目に当てはまると思ったものです。 結果論ですが、やはりプランナーの新間寿さんがクーデター騒動の余波で退社したのが痛かった…もし新間さんが健在だったら、後述する、優勝戦なのかタイトルマッチなのかよくわからない不透明試合の問題を含め強引にでも辻褄を合わせていた事でしょう。

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 超豪華メンバーが揃った84IWGP、テーマは猪木の
リベンジ!

こうして始まった84年のIWGPは、すっかり世界統一のイメージは消え、前年惨敗を喫したアントニオ猪木がハルク・ホーガンにリベンジできるか!?が最大のテーマとなりました。
シリーズ開幕直前のゴング誌の読者投稿欄には「猪木はホーガンに勝てるか!?」と題した雑文が掲載、投稿者は田宮繁人(18歳)(笑)、今読み返すと赤面ものですが、ほんと純粋なプロレス少年でした(笑)。
優勝戦となる6.14蔵前大会のチケットは発売と同時にほぼ完売、必ず猪木が決勝まで上がってくる保証など無いのにファンは猪木を信じ切っていました。
雑誌に投稿するほど入れ込んでいたぐらいですから、私もこの優勝戦だけは観に行きたかったのですが、まだ学生の身分で東京は遠く結局テレビ観戦で我慢する事にしました。

シリーズは5月11日、福岡スポーツセンターで開幕、ここでいきなり猪木VSホーガンの特別試合が組まれました!
テレビ生中継で観ていましたが、猪木はホーガンのアックスボンバーをかわす事に成功するも最後はオーバー・ザ・フェンスによる反則負け、マイクを掴むと「俺が必ず決勝に残って見せる!」と絶叫、期待感はマックスまで高まりました。
その言葉通り猪木はIWGPリーグ戦(予選が無いのだから当然決勝リーグの言葉も消えた)で快調に白星街道を突っ走り得点を着実に積み上げました。
リーグ戦のもう一人の本命はアンドレ・ザ・ジャイアントでこちらも連戦連勝、やはり大方の予想通りこの二人の直接対決で決勝進出者が決まる展開となりました。
因みに私は5月24日の大阪大会を観戦しましたが、この日は猪木さんの公式戦が組まれず肩透かしでした(苦笑)(特別試合で猪木、藤波VS長州、マサ斉藤、公式戦はマードックVSアドニス)。

注目の天王山、猪木とアンドレの公式戦は6月11日名古屋で行なわれ、ここで猪木は辛くも反則勝ち、結局猪木は全勝の53点でリーグ戦を終了、49点で2位のアンドレを抑え、ハルク・ホーガンの待つ優勝戦への進出を決めました。

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 優勝戦を詳報した週刊ゴング、そこに踊る文字は…

全て揃ったお膳立て、あとはファンの期待通り、前年の借りを返して優勝するのみ!
誰もが信じていましたが、優勝戦を報じた雑誌に「猪木神話が崩れた日」「嵐と怒号」「暴徒と化した蔵前のファン」の文字が踊る無残な結果が待っていようとは…。

(次回へ続く)
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