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孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.690 2020.8.8  

「 昭和の最終回 」

このブログの更新日である8月8日となると思い出すのが今から32年前、88年8月8日、藤波辰巳(当時)VSアントニオ猪木、伝説の60分フルタイムです。
本来ならこのテーマ、888回目でやるつもりでしたがまだ4年も先、私自身明日はどうなるかわからぬ身につき(笑)今回取り上げました。

88年の新日本プロレスは4月からテレビ朝日のレギュラー番組「ワールドプロレスリング」がゴールデンタイムから撤退し土曜日夕方16時へと降格、さらに全日本プロレスも同月から日本テレビの「全日本プロレス中継」がゴールデンを離れる(日曜日夜22時半へと移行)など、プロレス界全体が「冬の時代」に突入と言われた試練の年でした。
危機感を募らせていた藤波は4月22日、沖縄県奥武山公園体育館での試合後、猪木に世代交代を涙の直訴、これが有名な「飛龍革命」の始まりです。
翌日、猪木は練習中に足を骨折するアクシデントで長期欠場、保持していたIWGPヘビー級王座の返上を余儀なくされました。
藤波はビッグバン・ベイダーとの王座決定戦に勝利し第2代王者となりましたが「猪木の挑戦を受け勝利するまではベルトを腰に巻くつもりはない」と宣言、猪木に早期復帰を要請しました。
7月のシリーズから猪木はようやく戦列に復帰、シリーズ中にベイダー、長州力、マサ斉藤、木村健悟を加えた5人で「IWGPヘビー級王座挑戦者決定リーグ戦」を行い、優勝者が8月8日・横浜文化体育館で藤波に挑戦する事となりました。
病み上がりの猪木は大事なリーグ初戦となる長州戦(7月22日・札幌)で後頭部にラリアットを喰らい完敗、これまでシングル全勝だった弟子に初のフォール負けを喫しました。藤波は「これで猪木さんと戦う意味はなくなった。あとは長州に優勝してもらって横浜で戦いたい。」と発言しましたが、本音は猪木が勝ち上がって来るのを信じていたはずです。その期待に応えるかのように猪木は徐々に調子を上げ残りの公式リーグ戦を全勝して優勝、藤波の待つ横浜にたどり着きました。

88年8月8日は月曜日、夜19時半から生中継の特番が組まれましたが、ゴールデンから撤退した直後の事を思えばこれは画期的で、しかもこの日一日だけ前年にプロレス実況を引退していた古舘伊知郎のカムバックが実現しました。
ゴールデン特番、古館の登場、まるで猪木引退試合のようなムードが高まる中、当日の新聞のテレビ欄には「燃える闘魂アントニオ猪木、今夜引退か?落日の闘魂は見たくない!」の文字が躍っていました。
天下の大一番を生で観たいのはやまやまでしたが当時の私は入社三ヶ月のリスパック東京支店の一兵卒、平日の月曜日に横浜まで足を延ばすのは至難の業で早々と断念しました(涙)。
こうなれば何が何でも生中継をリアルタイムで観てやろうと、無理矢理定時で仕事を終わらせ帰宅しましたが、何しろ当時は「24時間戦えますか♪」が流行語となるほどの「残業するやつが頑張っている」「先輩・上司より先に帰るなどご法度」の時代、我ながらふてぶてしい新人です(大物の証拠?笑)。

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 この試合はあくまで
藤波VS猪木

かつてはMSGシリーズの公式戦で年に一度のペースで実現した猪木VS藤波は今回が通算7度目、これまでは猪木が6戦全勝していました。
最後となった3年前の対決(85年9月19日 東京体育館)は、選手大量離脱によるダメージが残る中での切ない戦いでしたが今回も状況は酷似していました。
この二人が戦う時は常に新日本が大ピンチの時、言わば最後の切り札的カードでしたが、これまでと決定的に違うのは今回は藤波が王者で猪木が挑戦者と立場が逆転していた事、7度目の対決はあくまで藤波VS猪木だったのです。

ゴングが鳴ったのは20時25分頃、二人は互いの力を確かめ合うようにクラシカルなレスリングの攻防に終始しました。

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 猪木のお株を奪う
卍固め、二人の猪木が
戦っている!?
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 敵対していた長州が猪木を肩車
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 感動的なラストシーン
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 死力の60分、藤波にとって生涯最高の思い出となった試合
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 まるで大河ドラマの最終回?「旅姿六人衆」による伝説のエンディング

藤波さんは自伝の中で「自分のプロレス人生の集大成のつもり、今から思えば師匠に対して自分が歩んできた道を誇りたいと言う思い、卒業試験のような感覚だった」と語っていましたが観る者も感じる事は同じで、リングサイドでは古館が「二人の猪木が戦っている!」と絶叫していました。
前回の試合タイムが35分だったので今回もロングマッチが予想されましたが、藤波さんは「このまま試合が終わらなければいい、ずっと猪木さんを独占していたい。」と言う思いで一杯だったと言います。
残念ながら生中継は試合途中で終了しましたが、二人は遂に60分を戦い抜き、時間切れ引き分けのゴングが鳴らされました…。
あの時既に45歳、しかも長期の欠場明けの猪木が60分フルタイムをやってのけるとは誰も想像出来ませんでしたが、猪木は潔く初めて藤波の腰にベルトを巻き感極まって二人は号泣、そして長州が猪木を、越中が藤波を肩車する感動的なフィナーレとなり、ゴールデンで最後まで流せなかったのがつくづく惜しまれます。
但し改めて、その週の土曜日のレギュラー枠で放送されたノーカット版では、思わぬサプライズがありました。 試合が終わり、藤波がリング上でマイクに向かって「ありがとうございました!」と叫び、肩車された猪木が花道を引き揚げていくシーンで、画面が新日本プロレスのバスが走るシーンに切り替わり、BGMとしてサザンオールスターズの「旅姿六人衆」(作詞・作曲 桑田佳祐)が流れ出したのです。
サザン6枚目のアルバム「綺麗」に収録のこの曲は桑田さんがバンドを支える裏方のスタッフやファンに感謝を捧げる為に作ったもので、これがバスの中やフェリーの船上で佇む猪木さんや試合前の練習風景、体育館に集まるお客さんなど、ほのぼのとした地方巡業の風景にどんぴしゃり、多くのファンが「今日はプロレスの最終回のようだった。」と語る、伝説的なエンディングとなりました。
今年2月「マスターズプロレスリング」(FILE No.677 参照)を観戦した時、終了の客出し時に「旅姿六人衆」が流れた時はウルっとしたものでしたが、伝説の名勝負の舞台となった横浜文化体育館もあと一か月(9月6日)で閉館だそうで、昭和が本当に遠くなった事を実感します。

毎年8月8日になると思い出す、昭和・新日本プロレスの事実上の最終回…やはり連載888回でもこのネタを使わせて頂きます(笑)。

 

* 次回は17日(月)に更新予定です。

 

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