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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.698 2020.10.3  

「 暗闇の虎(2) 」

(前回からの続き)

タイガーマスク電撃引退によって空位となった王座を争う「WWFジュニアヘビー級王座決定リーグ戦」は今思い返しても超豪華メンバーが集結していました。
ダイナマイト・キッド、ブラック・タイガー、ブレット・ハート、デイビーボーイ・スミス、ベビー・フェース、ザ・コブラ、小林邦昭、寺西勇、高田伸彦の9選手が総当り戦を行い上位2名が蔵前の優勝戦に進出、願わくばここにタイガーマスクがいたらと思ったもので、このリーグ戦の成功体験が後に「ベスト・オブ・ザ・スーパー・ジュニア」(新日本が毎年開催しているジュニアのリーグ戦)へと繋がったのでしょう。
私の優勝候補の大本命はダイナマイト・キッドでしたが、そこにブラック・タイガーと小林邦昭が加わりタイガーマスクのかつてのライバル3強の争いになるだろうと踏んでいました。
そして私が最も楽しみにしていたのが優勝を争う大一番、キッドとブラックの公式戦でした。前回書いたように3強対決中、小林とキッド、小林とブラックは前年(83年)実現済みで最後に残されたのがこの試合だったからです。
発表された日程をチェックすると2人の公式戦は1月20日の福岡県柳川市、テレビ生中継のある大会だったので大喜びでした。

「新春プロレススペシャル」としてテレビ特番のあった元日の後楽園ホールからリーグ戦はスタート、初戦からザ・コブラVSブラック・タイガーの優勝を占う試合が組まれましたが、コブラがフライング・ラリアット一発であっさりフォール勝ちしテレビの前の私は目を疑いました。
さらにブラックは翌日の後楽園(ノーテレビ)でもデイビーボーイ・スミスにフォール負け、まさかの開幕2連敗で早々と優勝戦線からほぼ脱落(涙)、私の周りでは「今回のブラック・タイガーはマーク・ロコじゃなく中身が替わったのでは?」と偽物説まで流れました(苦笑)。
さらにシリーズが中盤に差し掛かったある日、新聞を読んでいたら一部対戦カード変更の記事が出ており、私が心待ちにしていたキッドとブラックの公式戦が当初の20日から一日早い19日の長崎・佐世保市(ノーテレビ)にスライドさせられていて愕然としました。
選手の負傷欠場などの場合を覗いて公式戦が別の日に移るなんて極めて稀、その理由説明もなく未だ不可解ですが、まさかブラックの思わぬスランプと関係があったのでしょうか?
結局19日の公式戦はキッドがフォール勝ちしましたが、新聞・雑誌の小さなスペースの記事をチェックするのみで観られなかった事が悔しかったものです。
さらに余談ですが、当初公式戦が組まれるはずだった翌20日の生中継ではなんと、ダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミス組 VS ザ・コブラ、ブラック・タイガー組のタッグマッチが実現、タッグながら二人の対決が観られたのは救いでしたが、 わざわざシングルを止めてタッグをオンエアする意味が分かりませんでした(苦笑)。

リーグ戦は私の予想のタイガーのライバル3強ではなく、キッド、スミス、コブラの三人が同点となり、2月7日・蔵前の優勝戦は巴戦を制したキッドが新王者となりました。
結局ブラックは決勝進出のキッド、スミス、コブラの三人にフォール負けした以外は小林とドロー、あとは全て勝利で終わってみると第4位、結果的にはまずまずの成績と言えるかもしれませんが、やはり前年までのタイガーマスクとの抗争を観てきた者には納得出来ません。実際ゴング誌には「ブラック・タイガーの不振はリーグ戦のシラケ・ポイントだった」と酷評されていました。

ブラックはこの後も新日本一筋でコンスタントに来日、ザ・コブラや後年には一世代下の獣神サンダー・ライガーとも戦いましたが、かつて程の輝きは感じられませんでした。
タイガーマスクのアンチテーゼとして生まれた暗闇の虎、タイガーがいなくなって精彩を欠くのは必然だったのかもしれません。

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 初来日の奥様同伴でブラック・タイガー26年ぶり来日!
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 陽気にファンサービス、英国紳士そのもの
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 タイガーマスクと33年ぶり再会も実現
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 日本に別れを告げ機上の人となったマーク・ロコさん、これが最後の来日に(週刊プロレスより)

最後の来日は90年1月、翌91年には現役からすっぱり足を洗ったマーク・ロコさんが実に26年ぶりに来日を果たしたのは2016年12月の事でした。
この時は一緒にお食事をさせて頂ける貴重な機会を頂けましたが、ロコさんを無茶苦茶怖い人だと思いこんでいた私は内心ドキドキでした。
何しろリング上のヒールぶりに加え、記者をボディスラムで投げたゴングのインタビュー(今思えばあれもアングルだったのか?)や大嘘ばかりの漫画(笑)「プロレススーパースター列伝」で散々洗脳されて来た世代ですから(苦笑)かなりビビリながら会いに行ったのですが、素顔のロコさんはまさに英国紳士そのもの、私の変化球の質問にも丁寧に答えてくださる、本当にいい人で感激しました。
夢のように楽しかったひととき、その時のエピソードは当時のブログに詳しく書きましたので是非ご一読ください。(FILE No.502,503 参照)

結果として最後となってしまった来日でしたが、それからほどなくして風の便りにロコさんがアルツハイマーを発症したと耳にして、あのお元気な姿を見た者として信じられぬ思いでした。
そして届いた突然の訃報、週刊プロレスの報道によれば、やはり噂通りロコさんは二年程前からアルツハイマー型認知症を患っており、移住先のカナリア諸島テネリフェ(2016年当時はこちらに在住)から故郷の英国マンチェスターに戻り闘病生活を送っていたものの劇的回復はほぼ不可能と診断され病気は進行、ウォリントンの介護施設で7月31日朝9時32分(現地時間)、静かに息を引き取ったそうです。
葬儀は8月20日、コロナの情勢を鑑み密葬でしめやかに行われたとの事ですが、私は遠い日本からロコさんの冥福を祈りました…。

今回ブログを書くにあたり、過去の試合映像、4年前のブログや写真をチェックしていて、楽しかった思い出に不覚にも涙が出ました。
マーク・ロコさんはお亡くなりになりましたが、“暗闇の虎”ブラック・タイガーの雄姿は我々の心の中で永遠に不滅です。
追悼・ブラック・タイガー&マーク・ロコさん 思い出のツーショット集 こちらをクリック

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