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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.702 2020.10.31  

「 暴走戦士再結成 」

プロレスに限らず各界で今年は特に訃報が多いような気がしますが、シルバー・ウイークが明けた9月23日の夜、海の向こうから“暴走戦士”アニマル・ウォリアー(アメリカではザ・ロード・ウォリアー・アニマル)が亡くなったと言う衝撃的なニュースが流れて来ました!
激しく動揺し、どうか誤報であって欲しいと願いましたがその思いも虚しく、すぐに確定情報として伝えられました。
それでもあまりに突然過ぎて受け入れられず…9月12日に還暦を迎えたばかりなので尚更でした(涙)。

アニマルがホーク・ウォリアー(ザ・ロード・ウォリアー・ホーク)とのコンビ、“ザ・ロード・ウォリアーズ”で初来日し日本を席巻したのはもう35年も前の事です。80年代に入ると私はプロレス雑誌を購読するようになっていましたので、まだ来日前の83年、二人がアメリカ・ジョージア州で売り出し始めた頃からその存在を認識、新人ながらあのスタン・ハンセンとも互角に渡り合っているとの記事を読んでワクワクし来日を切望していました。
インターネットも無い時代、海外の試合映像を観られる機会などほぼ皆無でしたが、84年10月からテレビ東京が土曜夜8時の枠で、主にアメリカやメキシコから買い付けた映像で構成した「世界のプロレス」を放送開始、ファンは狂喜乱舞しました。
既に日本で有名な外国人選手の地元での試合は勿論、ロード・ウォリアーズのような未来日の文字通り「未知の強豪」がお茶の間で観られるようになったからです。
因みに記念すべき第一回目のオンエアはテキサス州ダラスで行われたザ・グレート・カブキとこの時点で未来日のジャイアント・キマラ(今年8月に逝去、ご冥福をお祈り致します)の一戦でしたが、晩飯を食いながら観ていたら母親が「もう、(食事中)気持ち悪いから止めて!」と暴言を吐いたのを未だ覚えています(笑)。
同番組の目玉となったのがやはりロード・ウォリアーズで、独特のモヒカン刈りとサイケデリックなペイントを施した二人のマッチョマンがプロモ映像やマイクで散々煽り、疾風の如くリングに駆け込んでゴングも待たずに相手に襲いかかるとあっと言う間の秒殺劇を毎週繰り返し、日本でのウォリアーズ人気に火が付きました。
こうなると益々初来日が待たれましたが、新日本プロレスと全日本プロレスが水面下で争奪戦を繰り広げ、ここはやはりアメリカでの政治力に勝る馬場さんが破格のギャランティで契約に成功、85年3月、ロード・ウォリアーズは遂に日本の地を踏みました。
当時のマネージャー、ポール・エラリングを含めた3人が成田に到着すると一般マスコミも含め50人以上のプレスが駆けつけVIPルームで来日会見が行われましたが、これはマイケル・ジャクソン以来の事だったそうです。
予想通りウォリアーズは若いファンに支持され日本中で人気爆発、相手の良さを殆ど引き出す事無く短時間で叩き潰す試合は一昔前なら手抜き呼ばわりされるところでしたが、ファンがそれを良しとしたのですから時代は変わったと実感しました。

「暴走戦士」の呼び名の如く80年代をノンストップで駆け抜けた二人でしたが、時が流れて2003年、ホーク・ウォリアーが急死(享年46歳!)、プロレス史に名を残した伝説の名タッグ・チームは永遠に結成不可能となりました。残されたアニマルは単独でプロレス活動を続け2016年、私はアメリカ・ダラスでのファンコンベンションで初めてお会い出来、翌年の2月と10月には久々の来日が実現しました。
この2月の時は東京、そして大阪とイベントが立て続けで、なんと私は4日連続でアニマルと遭遇(笑)、東京のイベントの時にアニマルにずっと着いていたスタッフの方が「あれっ、昨日の大阪にもいませんでした?」と驚いて声をかけて下さいましたが、この方こそアニマルの日本のエージェントを務める旅行社の井田さんで、この出会いがきっかけとなり翌年、そして翌々年と渡米の際に大変お世話になりました。
今回の訃報に寄せて井田さんから「田宮さんはアニマルの日本一の追っかけでしたね!
各地で田宮さんに会うたびアニマルが嬉しそうでしたよ。」と有り難いお言葉を頂きました(涙)。

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 タバスコを見つめる
アニマル(笑)
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 美味しそうにビールを
イッキ
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 酔っ払ってご機嫌
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 10月のリング上からは
高らかに復活宣言が…

この日本ツアーで特に楽しく思い出に残っているのが虎ノ門の居酒屋での飲み会で、さあ皆にビールが行き渡って乾杯!の段になって肝心の主役・アニマルのビールだけがなかなか出て来ないので私が持参したタバスコを手渡すと店内爆笑、アニマルにも大ウケでした(笑)。ジョークのわかる人で良かったです(汗)。

そして10月の再来日時も京都、東京と計5回もアニマル詣で(笑)、この年二回の来日はいずれもマネージャーとしての参戦でしたが、10月のリング上では「次回は試合をする!」と高らかに宣言、しかしその願いは叶いませんでした。
実は私は最後の来日の後も渡米時にホテルやイベント会場で何度か遭遇しましたが、その時は近寄れず遠巻きに手を振るぐらいで残念でした。

今回の突然の訃報、あまりにショックが大きくて正直、ブログに取り上げるのもスルーしようかと思った程で、時間の経過とともにようやく重い腰を上げる事が出来ましたが、それでもなかなか筆が進みませんでした。
沢山撮らせて頂いた写真を整理しているうちに楽しかった思い出が蘇って来ましたが、それらは当時のブログに克明に綴っていますので是非ご一読下さい。
盟友・ホークが余りに早く旅立ってしまったので、アニマルにはホークの分まで元気で長生きして欲しいと思っていましたが、三年前にも全く同じ事を書いていました…。
(FILE No.516,517,550「暴走戦士狂想曲♪」 参照)

今頃、天国で無敵の名タッグチームが再結成されている事がせめてもの救い、暴走戦士、ザ・ロード・ウォリアーズよ永遠なれ!
追悼・アニマル・ウォリアーさん 思い出のツーショット集 こちらをクリック

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