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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.708 2020.12.12  

「 黒船来航(3) 」

〜 SWS旗揚げ30周年記念 〜

(前回からの続き)

スタートからファンの拒絶反応との戦いと言う十字架を背負わされたSWS、本来ならこんな時こそ結束しなければなりませんが、内部では寄せ集めメンバーの弊害で派閥争いが絶えませんでした。
元々新日本出身者と全日本出身者ではプロレスに対する考え方に相容れない部分があり、SWSは一応天龍がエースの体裁をとっていながらも天龍派と反・天龍派の根深い確執があったのです。

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 SWSは二年目に社長交代、しかし内部抗争は終わらず。

91年7月には田中八郎氏から天龍への社長交代が行われ、これで天龍体制が明確になるかと思いきや、実態は何も変わりませんでした。
天龍社長が決めた事でも反・天龍派が田中オーナーに直訴してひっくり返ってしまう事が 度々あったらしく、天龍は自嘲気味に「俺は雇われマダムだよ」と漏らしていたとの事…私も社長になって間もない頃、一部の無能役員が何かあると会長に泣きつくのに散々苦しめられましたから天龍の気持ちが痛い程わかります(苦笑)。
これは最近のムック本で知った事ですが、天龍は社長に就任後、選手の年棒の高さを知って愕然とし、減給を実施したそうです。
興行成績が振るわず赤字が続く以上、社長として極めて正しい判断でしたがこれを天龍がやったのが命取り、もしやるなら田中社長が実行してから天龍にバトンタッチすべきでした。
これまた私の話ですが(私も修羅場くぐってるよ 苦笑)使い物にならない部長の賞与を前回よりかなり下げた事がありました。私としては極めて公正な査定と今も確信していますし、その理由も説明しましたがその男は「俺は納得行かねえ。」と毒づいて最終的には辞めていきました。言葉は悪いですがお荷物的な人材だったので内心ガッツポーズでしたが(笑)、金の逆恨みは怖いと実感しました。
SWSの場合も同様で、これで反・天龍派との亀裂は決定的なものになったと思われます。

92年、もう天龍体制ではやっていけないと反・天龍派が田中社長に直訴、遂にクーデターが表面化するに至りました。
もはや調停不可能でSWSは発展的解散、天龍派と反・天龍派に分割してそれぞれが新団体を起こし独立(天龍派=WAR、反・天龍派=NOW)、メガネスーパーは一年間の期限付きでそれぞれをスポンサードする事が決定しました。
しかし今にして思えば、この時なんでSWSを残さなかったのでしょうか?

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 日本のWWEになるはずだったSWSはわずか二年で解散…

不満分子を一掃して円満独立させ、SWSは一度リセットして名実共に天龍社長体制に一本化して再スタート、本来企業でクーデターが発生した場合、これが正しい形だと思うのですが、プロレス界そのものから撤退したところに田中社長の「もうこりごり」と言う本音が伺えます。
もし天龍SWSが存続していれば、後のWARがやった、天龍の目指す「カラッと激しいプロレス」が豊富な資金の元で、よりスケールアップして体現出来たでしょうし、選手数の大幅削減で興行の黒字化も可能だったはず…私は旗揚げから解散まで、SWSの東京での試合を殆ど全て観戦しましたが、92年頃にはファンの拒絶反応も沈静化しつつあり、ようやく三年目にして軌道に乗れるか?というところで終わってしまったのがつくづく残念でした。
田中社長がそこまで心が折れてしまったのは、レスラーたちの我儘に振り回され疲れたとか、プロレスのケッフェイを知って絶望したとか諸説ありますが、私が思う最大の理由は極めてシンプル、「赤字で儲からないから」。これも私の経験上ですが、やはりどんなに頑張っても先の見えない赤字商売は長続きしないものなのです。
バッシング報道の影響で一部のバカによる嫌がらせやクレームの電話なども会社にあったそうですから、企業イメージにも関わってくるし、銀行への説明にも苦慮された事でしょう。いかに創業者のワンマン社長であっても、日増しに強まる社内の反対意見を押さえつける大義名分がありませんでした。

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 夢破れたが、田中社長は
プロレス界の大恩人

こうしてメガネスーパーは静かにプロレス界から去っていきましたが、ただ一つ、SWSをやった事によりメガネスーパーの知名度は飛躍的に上がり、メガネの売り上げには随分貢献したと聞いて、それだけでも救われる思いでした。

強気に大企業の参入を排除してしまった形となったプロレス界は21世紀にバブル崩壊、先の見えない暗黒時代に突入しました。
団体、選手、マスコミ、関係者、皆が食べるのに苦労する状況になって度々、メガネスーパーのような救世主を待望する声を聞きましたが、今頃言っても遅いっての(笑)!
実際眼鏡業界も環境が激変、メガネスーパーにもそんな余裕は無くなっていたはずです。
やはり21世紀に入ったばかりの頃、たまたま観たテレビのドキュメンタリーで安い中国製品が大量流入し、眼鏡業界で一気に価格破壊が進んでいるのを知りました。
この影響でメガネスーパーも業績が悪化し債務超過に陥り、2012年には創業家の田中一族が退き、その後は投資ファンド主導による経営再建が行われ、現在は再び黒字化したとの事、後々の事を思えば早期のプロレス撤退は正解だったのかもしれません。

昭和の終わりから平成の始め、まだまだ未成熟だったプロレス界では30年早すぎた試み、SWSは時代の仇花で終わりましたが、今になって時代がようやく追いつき、現在のプロレス界は業界最大手の新日本プロレスがブシロードの傘下となり、ノア&DDTがサイバーエージェント社と、企業が団体の親会社とならなければ存続不可能な時代になりつつあります。 その道筋を作ったのは紛れもなくSWSの功績で、やはりSWSは日本に開国のきっかけを与えた黒船そのものでした。

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 30周年の年、SWSグッズが復刻!

時は流れ2015年、天龍引退試合(FILE No.450「革命終焉」)のパンフレットに「天龍選手、レスラー人生39年間お疲れさまでした。そしてSWS発足から2年1か月、本当にありがとうございます。元SWS スタッフ・関係者一同」の広告を発見した時、さらに今年、天龍プロジェクトとメガネスーパーのコラボによりTシャツ、タオル、パーカーなど、懐かしい恐竜のロゴマークの入ったグッズが復刻した時は感動しました(涙)。

視力だけは自信があったもの(今でも両眼1.5以上です!)寄る年波には勝てず(苦笑)、三年前に初めてメガネスーパーで老眼鏡を作りました(FILE No.511「ウルトラアイ」参照)。
プロレスファンを代表してのせめてもの恩返し、私は死ぬまでメガネスーパー製品を愛用し続けます。

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