| 〜アントニオ猪木VSモハメド・アリ45周年記念〜 |
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(前回からの続き)
細田マサシ氏のコラムより…モハメド・アリと高見山の世紀の一戦を実現すべく動いていた永里高平氏(テレビ朝日運動部長)に「アリの相手は猪木で」と言う上からの圧力?
頭ごなしの話にカチンと来た永里氏は何が何でもアリVS高見山をまとめようと焦りましたがそんな時に青天の霹靂の事態が…日刊スポーツが5月1日付けの一面で驚きのスッパ抜きをやってのけたのです(以下要約)。
「高見山プロレス転向!夏場所以降スピード引退へ!
これは昨年11月ハワイの某有力プロモーターと高見山の間で弁護士立会いの元、引退後にプロレスラーになるという契約が交わされた事実がわかったもので、引退の時期は本場所の成績次第だが早ければ5月11日からの夏場所終了後もあり得る。」
報道される二週間前、永里氏の元には春日野親方から泣きそうな声で「あの話はキャンセルしてくれ、それどころじゃなくなった。」と電話が入っていました。
既に皆様御存知のように高見山がプロレスラーに転向する事はありませんでしたが、かと言ってこの記事が全くのガセネタだったのかと言うとそうでもなく、ご本人は引退後に「自分はプロレスラーになるつもりは無かったが、その人達があまりにもしつこかったからもしプロレスに転向したらマネジメントを任せると言う契約書にサインはした。」と説明しています。
騒動を聞きつけた上司の三浦常務は「これでジェシーは難しくなったな。猪木でいいだろう、異論はないよな。」となだめるように言いましたが、元々自分が持って来た案件で主導権を握られたくなかった永里氏はすぐには従う気になれず、不本意ながら当初考えたアリと日本人ボクサーとの試合を検討し始めました。
しかしそんな矢先の6月9日、追い打ちをかけるかのようにまたまたショッキングな出来事が…来日会見中のアリの元にアントニオ猪木の使者(新日本プロレスの杉田氏)が現れ応戦状を渡したのです。
永里氏曰く「アリへの当てつけと言うより俺に対するあてつけのような気がした」(笑)。当然マスコミは一斉に報道、日刊スポーツが「テレビ朝日は大晦日の夜にこの試合の放映を予定している」と書いたのは皮肉でしたが(笑)とにかくこれで「アリの挑戦者募集に猪木が名乗り」の図式が完全に出来上がり、三浦常務からも「まあ、そういう事だ。これは常務命令だ、頼んだぞ。」と念押しがあり、永里氏はもはやこれまでと観念、後は世間に伝えられている通り様々な苦難を乗り越えて猪木アリ戦が実現に至ったのです…。
当初のプランはテレビ朝日でも当事者(永里&三浦のライン)しか知らないトップシークレットで、猪木さんは政治力を駆使してチャンスを強奪したとも言えますが、実際にアリ側と交渉し(テレビ朝日は直接タッチせず)引っ張り出しに成功したのは紛れもなく新日本プロレスの功績です。
しかもその交渉も一筋縄では行かず何度も暗礁に乗り上げましたが、それでも奇跡を起こせたのは猪木さんの「プロレスを低く見る世の中にプロレスラーの強さを証明し世間をあっと驚かしてやる!」と言う執念の賜物でした。
それにしても、誰にも知られる事なく流産したアリVS高見山が実現していたらどんな試合になっていたのでしょう。
猪木アリ戦以上に大きな話題にはなったでしょうし、当然エキシビションですから(アリは猪木戦も来日当初はエキシビションのつもりだった)それなりの見せ場を作りテレビや会場で観た人を大いに満足させたとは思いますが、後世に伝えられるような一戦になったか?となるとはなはだ疑問です。
一方猪木アリ戦はあくまでリアルファイトに拘り、それ故所謂がんじがらめルールを押し付けられ、世界中から「世紀の凡戦」「茶番」と散々酷評されました。
しかし「時は全ての裁判官」、45年が過ぎた現在では「あの試合こそ総合格闘技の原点」と再評価されるに至った事を思えば、やはり猪木さんがアリと戦ったのは「必然」だったのです。
以前に猪木さんのファンツアーでイタリアにご一緒した話をご紹介しましたが (FILE No.583参照)、一時期「ワールドプロレスリング」がオンエアされていた事もあり現地でも猪木さんは有名人、しかも日本人観光客も多く行く先々で猪木さんの元には多くの人が集まり私達は付き人&ガード係でした(笑)。
ローマの市街でやはり猪木さんが人に囲まれていた時、現地の老人男性が私に「あれは誰?」と話しかけて来ました。
「かつてモハメド・アリとも戦った元プロレスラーのアントニオ猪木だよ。」と教えてあげると「あの試合なら昔観たよ。全く日本には凄いプロレスラーがいたものだな。」と言われ物凄く嬉しかったものです。
世界37ヵ国で14億人が目撃したとされる20世紀最大のスーパーファイト、その伝説は永遠に不滅…私はアントニオ猪木と同じ時代を共有出来た事を誇りに思います。
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