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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です
  FILE No.779 2022.4.23  

「 プロレス週刊誌(1) 」

2月にファミリーマートが期間限定で缶コーヒー「ワンダモーニングショット」と週刊プロレス(以下、週プロ)のコラボ商品を発売しました。

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 ファミマで期間限定販売
された週プロ缶コーヒー
がマニア間で話題に

80〜90年代の週プロ全盛期の厳選された表紙写真を缶にデザインした全12種類、選ばれたのは2代目タイガーマスク、スタン・ハンセン、豊田真奈美、前田日明、天龍源一郎、ジャイアント馬場、橋本真也、藤波辰爾、船木優治、ジャンボ鶴田、三沢光晴、小橋建太と言うそうそうたる面々でした。
今頃になって気がついたのですが三沢だけが素顔とタイガーマスクで二種類出ていたのですね。ここで素朴な疑問、週プロ歴代表紙登場回数堂々第1位の猪木様がいないのは何故?ぶっちゃけこれは肖像権がダントツ高いからでしょう(笑)。
もし第2弾があるならいっその事今度は大幅に予算を取って全種類アントニオ猪木でやって欲しいものですが、いずれにせよ今回の企画は往年のファンに大好評だったようで、SNSをチェックしていると私の知人・友人などは全種コンプリートを目指して箱買いしている人が多数いました(笑)。
因みに元々缶コーヒーを飲まない私は購入見送り、保管する場所も無いし数十年かけて集めたコレクションを死ぬまでの数十年かけて断捨離している身としてはそれに逆行するような事はあまり(汗)…でも本当に猪木バージョンが出たら買ってしまうでしょうね(苦笑)。

私がテレビのプロレス中継を観始めたのは1975年(昭和50年)の初頭でしたが、この時はあくまでテレビ観戦のみで会場に行く夢は叶わず、意外に思われるかもしれませんがプロレス雑誌を買った事も一度もありませんでした。
子供の頃から読書は好きで漫画は言うに及ばず、ちょうどこの時期から推理小説にはまり出していたので本屋通いはしょっちゅうでしたがスポーツ雑誌のコーナーは完全にスルー、この世にプロレス専門の雑誌が存在する事すら知らなかったからです。
週プロによって「活字プロレス」なる造語が生まれる15年も前、結局この頃私が読んだプロレス関連の書籍は小学館から発売されていた子供向けの「プロレス入門」、そしてタイミング良くちょうどこの年に出版され、私の生涯のバイブルとなる猪木様の初の自伝「燃えよ闘魂」(FILE No.359参照)のみでしたが、読書好きの下地があっただけにもっと早くプロレス雑誌に出会っていればと思うと今更ながら残念です。

それから5年以上の月日が流れ暫しのブランクから再びプロレス熱に火が付きましたが、この時は既に高校生となっていたのでとうとう念願の会場デビューを果たし、生まれて初めてプロレス雑誌を購読しました。

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 プロレス専門誌の王道を
行った「ゴング」

最も好きだったのが日本スポーツ出版社から発行されていた「月刊ゴング」及び「別冊ゴング」で、往年の読者ならご存じでしょうがとにかくグラビア写真が抜群なうえ夢のある企画や読み物が満載、ずば抜けた取材力でスクープを連発、さらに海外情報にも精通しており、毎号夢中になって読んでいました。
そしてもう一方の雄が後の週プロの前身となるベースボールマガジン社の「月刊プロレス」で、こちらも本誌の他に「デラックスプロレス」と言う別冊を毎月発行、さらに雑誌では無くタブロイド紙版の新聞紙でこの時点では唯一の週刊だった「週刊ファイト」(新大阪新聞社)と、「ゴング」を含めこの3誌紙(別冊を含めると5誌)が所謂老舗でした。
80年代に入り空前のプロレスブームが到来、「ゴング」「プロレス」「ファイト」に市場を独占させじと次々と新興勢力が参入を開始、立風書房から「月刊ビッグレスラー」(別冊もあり)、日本スポーツ企画出版社より「エキサイティング・プロレス」(一時期別冊あり)、さらに東京スポーツ社の発行による駅売りのカラー・タブロイド判新聞「ザ・プロレス」…一時期は書店にプロレス雑誌が5〜6種類並ぶ異常事態で、プロレスブームならぬプロレス出版ブームの様相を呈していました。
ゴング派だった私でしたが最もプロレスに熱中していた時代とあってそれら殆ど全てを購読しており、そのうえ当然メインとなる観戦費用、その他グッズと貧乏学生としては慢性的に財政難でした(涙)。

過当競争のプロレス雑誌ラッシュに決着を付けるべく、ベースボールマガジン社はとうとう切り札を投入しました。なんと!「月刊プロレス」の週刊化に踏み切ったのです!

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 プロレス雑誌に革命!
「週刊プロレス」が創刊

1983年7月、現在も続く「週刊プロレス」が産声をあげました。
世界初のプロレス専門週刊誌の創刊でしたが、何しろ週刊誌は月刊誌と比べ数倍は売らないと採算が合わないと言われていたのでこれは一世一代の大博打、しかし賭けは見事に吉と出ました。
「日刊では浅すぎる、月刊では遅すぎる」…今思い出しても週プロ創刊時のキャッチコピーは秀逸でしたが、この言葉に成功の秘訣の全てが凝縮されていたと思います。
客席がスーツにネクタイの大人ばかりだった60〜70年代と比べると80年代はファンが圧倒的に若返っており、情報に飢えた彼らにとって毎日発行される新聞(東京スポーツなど)は速報性はあっても写真は白黒の数点のみでビジュアル面で物足りず、さりとて月刊のペースでは遅すぎたからです。
毎週放送されるテレビ中継との相乗効果もあって週プロは飛躍的に部数を伸ばし、月刊時代には大きく水を開けられていたゴングを追い抜いたのですからこれぞまさしく「先行者利益」ですが、一方逆転を許したゴング陣営も当然週刊化の検討に入り「プロレス週刊誌戦争」の幕が切って落とされようとしていました…。

(次回へ続く)
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