FILE No. 932 「引き継ぎ」

「引き継ぎ」

4月も第2週、当社も今月から新年度に突入しましたが、この時期になると多くの取り引き先の方が転勤、人事異動などによる担当交代の挨拶に来社されます。
うちのような小さな会社でも前任者の退職、あるいは部署が変わった等により営業の担当交代はしばしばありますが、うちに限らず他所様の会社を見渡しても、皆さんいわゆる「引き継ぎ」が下手だな~と感じる事が多々あります。

引き継ぎとは読んで字の如く、自らの業務内容を後任者に引き継ぐ事です。
これが不十分だと生産性が落ち、大なり小なり会社全体に悪影響を及ぼすわけですが、どうも皆その意識が薄いと言うか、ただ単にお得意先に担当交代の挨拶に行く事(だけ)が引き継ぎと思っている節があるようです(苦笑)。
担当を変わったら「今日からお前が担当だからよろしく、後は知らん!」的な放任主義タイプと、担当交代したにも関わらず「これは私がやります。」と仕事を手放せない人の両極端に分かれる傾向があるようですが、会社からすればどちらも×です。
ただ、過去に何度も経験済みですが退職する社員、それも会社に不平不満を持ち、あまり良い辞め方をしない社員の場合は典型的な前者のタイプ、引き継ぎなどあってないようなものになりがちですので、こういう場合は引き継がれる側がしっかりして前任者が在職中に出来る限り最低限の情報を収集する、直属の上司がカバーする等をするしかありません。
但し厄介なのは、人間関係だけは引き継ぎが出来ないと言う事です。
身内の恥を晒せば過去には得意先の担当を散々接待して(勿論会社の経費)“歪んだ人間関係”を構築、その得意先を持って同業に走った輩も何人かいました。正直得意先のモラルを疑ったものでしたが、やはり我々はあくまで正攻法で信頼関係を築きたいと思っています。

振り返って見れば私自身もリスパックを退職した時(93年4月15日付け)、全ての担当先を後輩社員たちに引き継ぎました。
退職日直前になると出社しても得意先からの電話は全て新担当にかかって来て私は聞かれたらアドバイスするだけ、何もする事が無く暇な毎日でしたが、本来これがあるべき姿で、引き継いだ側がいなくなる直前まで忙しくしていたらおかしいのです。私の引き継ぎは完璧だった?…と言いたいところですが翌5月にタミヤに入社してからもリスパックの後輩から何度か問い合わせの電話がありましたので結構引き継ぎ漏れもあったようです、ご迷惑をかけてすみません(苦笑)!

その7年後、私の社長就任時には前社長のYと主力得意先に挨拶回りに行きましたが、
「社長10年史」など過去のブログに記した通りYとは深い確執がありましたので正直苦痛でした。お互いそう思っていたので、当初Yは自分は行かず「おまえが一人で新しい社長でございますと回れ。」のスタンスでしたが、親父(会長)が「おまえが一緒に行かんでどうするんや!」と一喝、渋々一緒に回る事になったのです。心配した親父から引き継ぎ期間中何度も「おい、Yはちゃんと一緒に回ってくれているか?」と確認されたものでしたが、この時の引き継ぎは本当に社長交代の挨拶回りだけで終了しました。社長と言ってもなんせこの方、実質経営(社長業)は何もしていなかったのですからそもそも引き継ぐ事など無かったのです(苦笑)。何の引き継ぎも無く始まった私の社長業、右も左もわからないまま手探りでゼロから始めたようなものでした(遠い目)…。

あ~、過去の辛い思い出を振り返ると気が滅入る、そろそろ今年に入ってからのネタも披露しましょう(急に活き活きする 笑)。
1月11日は杏ちゃむちゃん初参戦となるGREAT大阪大会を観戦しました。
この日の杏ちゃんは前月(12月)のやはり大阪でタッグ対決したブランカ真帆とシングルマッチ(しかもUWFルール!)の予定でしたが、その後ブランカが負傷で長期欠場、相手はフライング・ペンギンに変更となりました。
キャリアで一日の長ありの杏ちゃんはロープブレークを無視してイエローカード、相手のブレーンバスターでダウンとロストポイントを2点失うも得意の関節技でロープエスケープによるロストポイント2点を奪い、最後もフェースロックでギブアップを奪い完勝でした。
翌日は東京に舞台を移し初日がFBWファイヤープロレス、翌日がアイスリボンと同じ会場の大田区産業プラザで連戦、初日はシングルでバニー及川を倒し、翌日はYappyとのBadButtsで翌月にシングルのタイトル戦で戦う藤田あかね組に快勝、3連戦で3連勝の絶好調ぶりを見せつけました。
この期間のツーショット集 こちらをクリック

1月中~後半のネタは来週以降にお届けします。


【訃報】
残念ながら今年に入ってからも悲しいお知らせが止む事はありません(涙)。
2月10日、新日本プロレス元取締役企画宣伝部長の永島勝司さんがお亡くなりになりました(享年82歳)。
元東スポの猪木の番記者から88年に新日本に入社、95年の新日本対UWFインターナショナルの対抗戦に代表される数々のビッグマッチをプロデュースし、“平成の仕掛け人”の異名で呼ばれたプロレスブームの立役者でした。

2022年に行われた永島勝司さんのイベントにはガッツ石松さんがゲスト出演
第2部にはキラー・カーンさんも登場

さらに2月16日、新日本プロレス出身の“小さな巨人”グラン浜田選手が第二の故郷メキシコで逝去されました(享年74歳)。
72年にデビュー、75年に遠征したメキシコで才能を開花、華麗な空中戦でマリポーサ(蝶)の異名で呼ばれ、同国で最も著名な日本人ルチャドールとなりました。
79年に凱旋帰国後も日本とメキシコを往復し活躍、日本にルチャリブレを逆輸入して定着させた、グラン(偉大)の名の通りの偉大な名選手でした。
永島勝司さん、グラン浜田さんのご冥福を心よりお祈り致します。

2018年、闘道館でのイベント“小さな巨人”と最初で最後のツーショット