ゴールデンウイーク明け初の更新です。
先月(4月)の5〜6日は久々の両国国技館へ、5日はIGF、6日は新日本プロレスと二日続きのビッグマッチでした。
6日は両国の前に華名選手が出場すると言うので、急遽浅草の花やしきにも行って来ました(こちらをクリック)。
そして翌週13日は当社のゴルフコンペ、場所はお馴染みの美加ノ原カンツリー倶楽部、考えてみりゃようやく4月になって今年初打ちですから全く自信がなかったのですが、な、何と前半は47の好スコア! すわ、数年ぶりの90台で優勝間違いなし!? …と思ったのも束の間、午後からは60も叩く大崩れで、結局107で終わったのでした(涙)。
やはりちゃんと辻褄が合うようになっているものですね…。
もっともハンディキャップが29・6も付いたおかげで(*ダブルペリア方式)ネット77.4となり準優勝となりました(苦笑)。
107で準優勝では私のプライドが許しませんので、秋のコンペではグロスで100を切って優勝を狙いたいと思います。
そして先月の、いや恐らく今年の(まだ春だと言うのに)ハイライト、19〜28日、6泊10日(!)と言う過酷な日程で、地球の裏側であるブラジル&ドバイにとうとう行って来ました!
日本小売業協会主催の「第1回ブラジル・ドバイ最新流通視察」に参加したのですが、実はこのツアー、本来ならば昨年12月に開催されるはずでした。
当初の日程は12月16日に出発しクリスマス直前の23日に帰国というもので、その半年前から予定を聞いていたので大変楽しみにしていましたが、同時に本当に実現するのかと不安視していました。
何しろこれまでの視察も中止、延期、実現したと思ったらオプション企画が中止…と言った具合でスムーズに行った方が少なくトラウマとなっていたからです。
ましてや今回はよりによって12月ですからね〜。
どんな業界でも12月と言えば一年で一番の繁忙期、ただでさえ人が集まりにくいところへ持ってきてあまりにも遠い場所(当然、料金も高額)と悪条件が揃い過ぎています。
正式に参加者募集が開始され一番に申込んだものの、半信半疑でした。
11月に入り協会の窓口、お馴染みの近江部長と連絡をとって状況を確認すると、やはり私を含めて5人ほどしか集まっていないとの事でした。
それでも何とか実現するよう努力しているとの返事でその言葉に一縷の望みを託しました。
何と言ってもブラジルはアントニオ猪木第二の故郷、そこへ行ける機会など一生に一度あるかないかです。
そう言えば昔、近畿日本ツーリスト社がやっていた猪木さんのファンツアーで毎年海外に行っていた時、いつかはブラジルにという話が持ち上がると猪木さんは「ブラジルに行くなら最低二週間は必要」とおっしゃっていました。
迷わず行けよ行けばわかるさ、会社も学校も全てを捨てて来いと(笑)…。
しかしプロレスファンは私を筆頭にビンボー人が多いのですから、あまりにもハードルが高すぎます!
そんなわけで今回の視察はまたとない機会でしたが、もしポシャってしまうと協会側も懲りてもう二度とブラジル視察の企画は組まないでしょうから、生涯唯一のチャンスだと思っていましたので私も必死の思いでした。
11月初め、近江部長が協会の決定権者である岡部専務理事に状況説明を行い視察開催の決済を貰う打ち合わせの日がちょうど私の東京出張日と重なったので、同席させて頂く事にしました。
わざわざこの為に上京したという設定にして(どんなヒマ人だと思われるでしょうが 笑)熱意を伝え、近江部長がスムースに決済を頂けるようアシストしようと言う決死の作戦です。
この日初めてお会いした岡部専務理事とは今年2月のミャンマー他の視察(FILE No.366〜369参照)でご一緒させて頂く事になりましたが、とても気さくな方で近江部長の説明が丁寧だった事もあり、少人数でも開催OKのGOサインを快く出して下さいました。最大の難関を突破し私は心の中で思わずガッツポーズです。
この日は近江部長に昼食を奢って頂き、これで開催間違いなしと喜んで協会を後にした私、しかし安心したのも束の間、わずか数日後大どんでん返しが待っていました。
近江部長から電話があり、肝心の旅行社の方がいくら何でもこの人数では採算が合わず大赤字と言う事でストップがかかってしまったと言うのです。
それを聞いた瞬間、気が抜けてへなへなとその場に座り込みそうになりました。
結果論ですが、やはり12月にやろうというのがそもそも無謀でした。
「5人しか申し込みがなかったらしい」とある社員に話したら逆に「よくその時期に5人も集まりましたね」と言われましたから(苦笑)。でも昔、当社の社員にも堂々と12月に新婚旅行に行った奴がいたよなあ(君は大物だよ、〇〇くん!)。
ブラジル行きの生涯唯一のチャンスを失った…とがっくり来て電話を切ろうとしたのですが、天は我を見捨てませんでした。
近江部長によれば年明けにもう一度、今度は少人数でも実現可能なプランを組み新たに募集をかけるとの事、気を取り直して本当のラストチャンスに賭ける事にしました。
延期の日程は4月と決まり再度募集開始、今度こそと祈るような気持ちで申し込みをしました。
2月のミャンマーで近江部長に気になる申し込み状況を確認すると、まだ正式でない口約束の人を含めると今回は6〜7人は集まっているとの事でした。
「ぶっちゃけ何人なら実現か?」と本音を聞いてみると「最低5人なら(不採算でも)今回はやりたい」との事でしたので、希望が見えて来ました。
しかし申込者からキャンセルが出るかもしれませんし、まだまだ予断を許しません。
どこまでも被害妄想気味の私、やきもきしながら及ばずながら人集めに協力しようと、田井屋の田井社長にも声をかけましたがあっさりふられました(笑)。
今度こそ開催か、それとも今回も中止に追い込まれるのか?
落ち着かない日々を過ごしていた私に、3月に入って旅行社からとうとう吉報が届きました。参加人数が予想を上回る10人となり、開催が正式決定したのです!
ほっと胸をなでおろし、それから慌ただしく旅行社の指示に従ってビザ発給の為の手続きを開始しました。
書類に目を通し用意するものをチェックしているとパスポート&顔写真に加え、な、なに、預金の残高証明書!? 思わず目を疑いましたが南米ではビザを発給するのに個人の銀行預金残高の証明(銀行にて発行してくれる)が必要で、しかも原則として残高が25万円以上ないと無効との事です。無一文の貧乏人は入国させないという事なんでしょうかね、いずれにせよこんな事は初めてなので戸惑いました。
四国銀行さんに発行してもらった証明書を旅行社に送りましたが、あ〜恥ずかし、貧乏がバレてしまったじゃないですか(苦笑)。
3月の終わり、近江部長からメールがありました。
「御夫婦で参加予定だった方がお気の毒に奥様が怪我をされたとかで夫婦揃ってキャンセル、人数が8人に減ってしまい青信号から黄信号に変わったものの、田宮さんの昨年11月の来協と2月のミャンマー参加のおかげで無事予定通り開催にこぎつけました」との事でした。社交辞令はともかく(笑)8人では採算割れは本当のようで(恐らく10人でぎりぎりだったのでしょう)最後まではらはらさせてくれました。
果たして地球の裏側で何が待っているのか、いよいよ出発の日を迎えました…。
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(次回へつづく) |
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