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社長の経営日誌

孤高の天才 社長の経営日誌社長の経営日誌 田宮社長が好き勝手に織りなす独白です

FILE No.400

2014.11.22
400回記念「 後継者(3) 」

遂に今週、消費税の再増税が当初の予定から一年半延期される事が決まりましたね。
松本清張先生の作品に「一年半待て」と言うのがありましたが(笑)、私ら貧乏庶民にとっては正直ほっとしたというのが本音ではないでしょうか。しかし何百億ものお金使って今、解散総選挙する意味が良くわからん…。

2007年1月10日より始まった「社長の経営日誌」はおかげさまを持ちまして今回で連載400回となりました!
一回目からお付き合いしている皆様、誠に有難うございます。

さて記念すべき400回目のテーマは「後継者」、調べてみると4年前にもこのタイトルを使用していますが(FILE No.197,198参照)今回は私ではなく、管理本部の後継者についての物語です。
現在、取締役管理本部長を務めてもらっている飯田さんが今期限り(来年3月末まで)で勇退する事が決まっているので、今年の6月から新しい総務・経理のグループリーダーとして私の大学時代の後輩の藪内くんに来てもらい現在引き継ぎ作業を行っています。
大学時代に学友会なるわけのわからない、人に説明しにくい部に入っていたのですが(勧誘で強引に捕まったのだ!)藪内くんは同じ部の一年後輩だったので都合三年間一緒だった事になります。卒業後は会ったり連絡をとる事もなかったのですが、私が東京から帰ってタミヤに入社してから一度(94〜95年頃?)、地下鉄の森ノ宮駅のホームでばったり出くわした事があり、名刺交換をしたら証券マンになっていました。
それから20年近い歳月が流れ一緒に仕事をする事になるとは夢にも思いませんでしたが、その経緯をお話する為、時計の針を昨年(2013年)の夏まで戻しましょう。

「社長、藪内さんって方からお電話がありましたけどご存知ですか?」
外出先から帰った時だったか、それとも来客か会議で席を外して戻ってきた時だったかは忘れましたが、ある日事務員にそう告げられました。
中小企業の社長宛には頻繁に各種の勧誘や売り込みの電話がかかって来ます。
近年は電話に出る事務員も要領を得てそういう類いの電話はダイレクトに私に繋がないのですが敵もさるもの、厄介な事に「田中ですが」とか「鈴木ですが」などと敢えて個人名でかけてくる輩がいるのです。てっきり友人や知人かと思って電話を代わると悲劇、株や投資信託、北方領土について(笑)の話だったなんて事が過去何度もありました。
だからこの時も「藪内」と聞いて咄嗟に後輩の藪内くんを連想したのですが、まさか20年近くも音信不通なのでそれはないだろう、どうせ別人の勧誘電話だろうと思っていたのです。
ところがそれからと言うものの頻繁に、それこそ数日おきのペースで同じ電話がかかって来るようになりました。間が悪い事にいつも私が外出や席を外している時ばかりだったのですが(もっとも例え自席にいても勧誘と警戒して出なかったでしょうが)それこそ同じ伝言を10回以上も聞く事になったのです。
よく電話に出る事務員は「本当に薮内さんって知らない人ですかあ?先方は随分よく知っている感じですけど。」と念押ししてくるし、次第に私もこれはひょっとしたら本当にあの藪内くんでは?と思うようになりました。
そしてある日事務員に「今度かかって来たら大学の一年後輩の藪内くんかどうかを確認して、もしそうだったらこちらから連絡するから連絡先を聞いておいてくれ。」と頼んでおいたのです。
案の定数日後にまた電話があり、事務員が確認したところやはりあの藪内くんである事が判明しました。
私にすれば「な〜んだ」の心境、早速こちらから電話して約20年ぶりに話をして「最初の電話から大学の一年後輩ですって名乗れよ!」とつっこんで大笑いとなりました。
聞けば今は証券会社ではなく太陽光発電関係の会社で事務職をしており、結婚して何と当社のすぐ近所に住んでいるとの事、嬉しい事に毎週このブログを読んでくれていて是非一度会いたいと連絡をくれたのだそうです。
その時は「また近いうちにメシでも食いに行こう。」と言って電話を切ったのですが何というタイミングでしょう、飯田さんから次の役員の任期切れで引退したいという申し出があったのはその翌日の事だったのです!

長年に渡って総務や経理は言うに及ばず物流やシステムも含めた管理本部の長を務めてくれた飯田さんの功績は大で、その人がいなくなる事は会社にとっても一大事、営業が安心して外にモノを売りに行けるのだって飯田さんのような縁の下の力持ちがいたからこそでした。私自身も何年前だったか海外視察に行った時、異業種の社長(勿論その旅行で初対面の方)から「田宮さんの会社はよほど優秀な番頭さんが揃っているんですね。」と言われたものです。
飯田さんの後釜を育成しなければならない事は以前から大きな課題で、私が社長になった翌年(2001年)に初めて作った中期経営計画書の中で既にテーマの一つとして「管理本部の後継者育成」と謳ってあります。それからも毎年同じ事を書き続けていたので良識ある?一部の社員からは毎回「誰の事だんねん?」とつっこまれていました(笑)。
ずっと先送りにしてきた問題がいよいよ現実になったわけですが、その時点で残された時間は1年半、考えようによってはあっという間です。
早急に後の体制を整えなければいけないと思うものの、社内を見回しても後継者に相応しい人材がいるようでいない…、私も含めて現有スタッフの大半は営業畑出身なので経理とか総務とかそちら方面はからきし弱いのです(苦笑)。
中にいなけりゃ外から探すしかありません。新たに人を募集するか、中小企業がよくやる、銀行から人を送り込んでもらうという方法です。
私も悩んで色々と同業の社長に相談したり意見を聞いたのですが、銀行から人を派遣してもらってもしうまくいかなかった場合、なまじお取引先だけに簡単に辞めてもらう訳にもいかず困った事になりがちというケースもあると耳にしました。
確かに銀行員だからって皆が皆、経理ができるってわけじゃないですからね〜。
あっ四国銀行さんすみません、これは世間一般論の話ですから(笑)。
個人的には有光支店長に来て欲しいところですがプロレスの話ばかりで仕事にならないか(笑)。
それとも流通システム研究会で事務局をやってくれた樋口さんがもう20歳若ければお願したいところでしたが、ようは会社の金庫番を任せるのに重視すべきは能力以上に人間性なんです。そう考えると外部から未知の人を募集する事にはどうしても積極的になれませんでした。
そして何日間も悩み続けたある日突然、いっその事藪内くんにお願いしようと閃いたのです。20年近く会っていないとは言え、彼なら気心が知れていて人間性は保証できる、下手な第三者を当たるよりよほどいいと言うものです。そう言えば彼は学友会時代、財務の仕事をやっていました。さらにこじつければこのタイミングで電話があったのは神のお導き? 我ながら名案だと思わず膝を打ったものの、いざ声をかけようとするとなかなか行動に移せませんでした。
冷静に考えればいくら私が一方的に来て欲しいと思っていても、彼は今の仕事に満足して 転職する気などさらさらないかもしれません。
ようは期待して声をかけてあっさり断られる事が怖かったので、そんなふうに自分自身で結論を出してしまっていたのです。
いざとなると臆病になる小心者の私、毎日今日こそ電話しようと思いながらついためらってしまい、いたずらに時間だけが過ぎていきました。
するとそんな私の気持ちを見透かしたかのように、再び藪内くんの方から電話がかかって来たのです。それは最初に電話で話した日から一ヶ月ほど過ぎた9月の中旬の事でした。
その時もお互いの近況を話していて、今の会社で具体的にどんな仕事をしているかを聞いてみると何と経理をやっているとの返事、(おお!こりゃあ最適だ!)と内心ニンマリしながらもそんな事はおくびにも出さず会話を続けました。ただ話を聞いていると彼もどうも今の仕事に疑問や不安を感じているようで、そんな悩みを会って聞いて欲しいような口ぶりで(あれ?ひょっとして脈ありかな?)と直感的に思いとうとうその電話で会う約束を交わしてしまったのです。もっともお互いのスケジュールがなかなか合わずX-DAYは今からちょうど一年前の11月13日となりました。遂に賽は投げられたのです。

連日残業の多い彼の仕事を考慮して当日は夜7時半の待ち合わせ、少し早めに約束の場所に向かう時、ふと皆まだ会社にいるんだろうなあと思いました。
残業がなかなか減らないのが当社の悩みの種ですが、考えてみれば私もこれから会社の将来を左右しかねない大きな仕事に向かうところなのです。
今日や明日の仕事をするのは現場であり、社長がすべきは会社の未来を作る仕事、そう思うと心なしか緊張して武者震いがして来ました。
約20年ぶりの再会、食事のお店に着いて席に着くなり「君、転職する気はないか?」とストレートに我が社の事情を話しました。
最悪二つ返事で断られる事も覚悟していただけに彼の口から「思ってもいない光栄な話ですので前向きに考えさせて頂きます。」と言う言葉が出た時はほっとすると同時に幾分拍子抜けしました。管理本部の後継者候補を探していた私と、おぼろげながらも転職を本気で考えだした彼、会う前からお互いの利害は一致していたのですね(笑)。
繁忙期である年末を乗り切ったら年明けにまた打ち合わせをする約束をして、その日は昔の思い出話に花を咲かせて美味しいお酒が飲めました。
そして今年に入って再度食事に誘い正式に入社の意志を確認して喜んでいたのですが、実はここからまた一悶着あったのです。
2月に彼が会社に正式に辞表を提出したところ強烈な引き止めにあい、説得に応じないとなると今度は話し合いもなくなって、辞表が受理されず宙ぶらりん状態となってしまったのです。
何しろその会社でも実質一人で資金繰りや金庫番を任される程の重要なポジションにいたそうなので簡単には辞めさせてもらえないだろうとはある程度予想はしていたのですが、まさかこんな事になろうとは想定外でした。
当社にも過去ろくな引き継ぎも挨拶もせず出て行ったアコギな連中が沢山いて、そういう輩は例外なく哀れな末路を辿っているので彼には同じ轍を踏まないよう、後任者にきちんと引き継ぎを終えて円満に退社するようによく話してはいたのですが、当人に立つ鳥後を濁さずの気持ちがあっても会社が後の体制を整える気がなければ話になりません。
辞めると口にした人間は必ず辞めるもの、お互いに不幸になるだけなので辞めたいという社員は快く送り出してやるべきだと私がいつも主張する所以です。
実はちょうどその頃、子会社のエヌティ企画の方でも営業に欠員が出て、同業にいる人がこちらに移ってくるという話があったのですが、いざ辞表を出す段階になってギャラアップで慰留され話が白紙になった事がありました。
その人と違って藪内くんは金に転ぶような人間ではないと信じていましたが、何しろこちらからは先方の状況が見えないし具体的なスケジュールも出ないので、それからの数ヶ月間は疑心暗鬼になりそうな心と戦いながら、ひたすら彼からの定期連絡を待っていました。
5月、初夏が訪れようとする頃ようやく後任人事が決まって引き継ぎが開始されたとの連絡がありほっと一安心、そして6月からは晴れて当社の仲間に加わる事になって私の肩の荷も降りたのでした。

そう言えば6月に有光支店長とプロレス観戦に行った時に聞いた話ですが、実は四国銀行のこの春までいらっしゃった支店長さん、私が経理担当を探しているという噂を聞いて、具体的に何人か物色してくれていたそうです。お手を煩わせてすみませんでした!

それにしても飯田さんの退任が決まったのと同時に藪内くんと20年ぶりに再会するとは、今思い出しても何とも運命的です。やはり私は人との出会いに恵まれていると神に感謝ですよ。
彼に限らず縁あって我が社に入社して一緒に仕事をする事になった人たちは皆、人生を賭けてくれているのです。「この会社に入って良かった。」と皆が思うような会社にする事が経営者の使命、その事を改めて肝に銘じたいと思います。…400回記念だからってかっこよすぎでしょうか(笑)

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 「相棒」の大河内主席
監察官の好物はラムネ!

来期からはいよいよ藪内くんも独り立ちするわけですが、泣く子も黙る株式会社タミヤの監察官として、ラムネでもかじりながら(「相棒」見てない人にはわかりませんね 笑)厳しくも優しい目で管理本部を引っ張ってくれる事を期待しています。

次回は当然、401回記念(笑)!?

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