さる2月、「ミスター・プロレス」(FILE No.325参照)、「風雲昇り龍」こと天龍源一郎選手が今年の11月に現役を引退する事を発表しました。
11月13日でデビューから39年(!)となるリビング・レジェンド(生ける伝説)が遂にリングに別れを告げるわけですが、天龍選手は生涯現役と信じていただけに正直驚きました。
流石昭和のトップレスラーだけあって、天龍引退のニュースは新聞の社会面やテレビのワイドショーなどでも取り上げられていました。
「えっ、天龍ってまだ現役だったの!?」と思った人も多かったと思いますが、最近は滑舌の悪いキャラとしてテレビのバラエティ番組などにも引っ張りだこですから、世間に与えたインパクトは大きかった事でしょう。
11月までの引退ロードの一貫として嬉しい事に4月、5月と我が大阪で立て続けにイベント&試合が行われました。
先陣を切ったのが4月11日、難波のイタリアンレストランでのフリー・アナウンサーの清野茂樹さんとのトークバトルで、イベントを仕掛けたのは私の家のご近所の上井文彦さんでした。
上井さんの人脈で会場には100人ものファンが集まり、佐野先生も来場されたので、二人で並んで天龍選手のユーモアたっぷりの毒舌トークを楽しみましたが、ラストにはかつてUWF及びUWFインターナショナルで活躍した田村潔司選手が登場するサプライズもありました。
これまでリング上で全く接点のない天龍選手と田村選手の異色のツーショットで得した気分でしたが、田村選手のニックネームは「孤高の天才」…ん?何処かで聞いたような(笑)。
当日は記念撮影用に私の秘蔵コレクションの一つである、UN(ユナイテッド・ナショナル)ヘビー級のチャンピオンベルトのレプリカを持参しました。
UNヘビー級は1970年8月、アメリカ、カナダ、メキシコの3カ国で通用する準国際タイトルとしてNWAによって新設されたタイトルです。
71年3月、ロサンゼルスで我らがアントニオ猪木が王座を奪取、日本に持ち帰り以後日本マットに定着したのですが、このベルト、上記の理由で元々アメリカ、カナダ、メキシコ国籍の選手しか挑戦できない決まりだったと何かの文献で読んだ記憶があります。それが本当なら何故猪木さんが挑戦できたのか(笑)? 後年、英国人のビル・ロビンソンも王者になっているし、ツッコミどころ満載ですね(笑)。
天龍選手は1984年2月にこのベルトを腰に巻き、以後何度か転落したものの通算4年以上も王座を保持し続ける長期政権を樹立しました。
当時全日本プロレスにはこのUN以外にインターヘビー級、PWFヘビー級と言うシングルのタイトルがありましたが88年頃から三つのベルトを統一する機運が高まり、89年遂に三冠ヘビー級王座が誕生しました。
王座統一後も三本のベルトはそのまま使われ、歴代の三冠王者は一本を腰に巻きあとの二本を手に持つのが恒例でしたが、天龍は三冠王者となった時必ずUNのベルトを腰に巻いていました。 以後も様々な栄冠を手にした天龍ですが、自他ともに一番思い入れが深いのはやはりUNのベルト…そこでわざわざ重たいのにレプリカを持参したのです。
まず私、次に佐野先生と順にベルトを持っての記念撮影を済ませましたが、遅れて席に戻って来た佐野先生からは驚きの言葉が…何と天龍選手「これ、何のベルト?」と言ったとか(笑)!
それを聞いて私も絶句しましたが、
1.裏側しか見えなかったので何のベルトかわからなかった
2.天龍選手一流のジョーク
いずれかだと思うんですけどね〜(笑)…。
(トークバトルの模様はこちらをクリック)
5月末には遂に大阪でのラストファイト、しかも天龍引退に花を添える為、師匠とも言えるテリー・ファンクの来日が決定しました!
涙モノの天龍&テリーのレジェンドタッグの実現、そのうえ試合の翌日には二人のサイン&撮影会まであり、大阪のファンには夢のような二日間です。
尚、この二日目には全日本プロレスの大阪大会もあり、偶然にもこちらにはテリーの兄、ドリー・ファンク・ジュニアが参戦! 場所は違えど同日にザ・ファンクスが大阪に揃い踏みですよ!
天龍プロジェクトの試合のチケットは上井さんを通して入手しましたが、最前列がゲットできました。しかもこの最前列には試合前にフルコスチュームの天龍選手と記念撮影と言う凄い特典が! 大阪大会だけの貴重なサービス、天龍プロジェクトさんありがと〜!!
そんなわけで当日が待ち遠しくて仕方なかった私でしたが、わずか数日前になってテリー・ファンクが肺炎で来日中止と言う悪夢のようなリリースが流れたのです!
ガーン!脳天から熱い楔を打ち込まれたような衝撃(横溝正史が多用する表現)でしたが、テリーと言えば前回のマスカラスとの夢の競演(FILE No.406 参照)でも飛行機が飛ばずあわや来日不能!?となった事を思い出しました。
この時は間一髪の滑り込みセーフで強運を発揮したものの今回はその神通力も通じず…テリーとしては試合が無理ならせめて挨拶だけでもとの意向だったそうですが、長時間のフライトそのものにドクターストップがかかり、断腸の思いで来日キャンセル…今は一日も早く回復し、その勇姿を再び見せてくれる事を祈るのみです。
とにかくこれで天龍との夢のタッグもサイン&撮影会も全てパーか…と落ち込みました。
そしてドリーが日本にいる事だし助っ人参戦してくれたらいいな、と思っていたらその期待通り本当に男気を発揮、翌日の全日本との二連戦に挑む事になったのです!
いよいよ試合当日、フルコスチュームの天龍選手に失礼があってはいけないとスーツとネクタイで行こうかと思っていましたが、あまりの猛暑ゆえ断念しました(笑)。
記念撮影は試合開始の20分ぐらい前から始まり、控え室に通じる扉の前で順番を待っていましたが、扉の向こうにはコスチュームの天龍選手がいるかと思うと流石に緊張しました。 自分の番になり入室してロングガウン姿の天龍選手とご対面、前月同様この日も持参したUNベルトを持ってもらうと天龍選手、黙ってニヤリ(笑)…その時はすっかり舞い上がっていましたが、後で改めて写真や試合の入場シーンを見ると、つくづく天龍選手にはガウンがよく似合いますね〜。やはり相撲出身だけあって和服の着こなしが抜群ですよ。
同世代の長州力やジャンボ鶴田はジャンパー派でしたが、馬場、猪木、坂口世代の私にはやはりロングガウンが思い入れがあるのです。
天龍最後の大阪とあって会場は超満員札止め、天龍&ドリーの二大レジェンドがメインのリングに上がると蜂の巣をつついたような大騒ぎでした。
勿論二人とも全盛期の動きにはほど遠いものの、天龍のチョップとグーパンチ、ドリーのエルボースマッシュとスピンニング・トー・ホールド、お馴染みの技が出る度に客席は沸きっぱなしで誰もが満足気でした。もはや神の領域に入りつつある!?リビング・レジェンドに理屈は必要なしです。
(天龍&ドリー、レジェンドタッグの試合はこちらをクリック)
試合の興奮冷めやらぬまま一夜が明けてサイン&撮影会の日、この日はサークルKサンクスから発売された天龍&テリーのTシャツの購入特典イベントでした。
しかしまあ、このTシャツの超ど派手な事…折角なので勿論着て行きましたよ、これぐらい恥ずかしがっていてはプロレスマニアは務まりません(笑)。
会場は私の家から二つ隣駅にある大阪ビジネスパークにあるサンクスの前で、テリーの病欠により天龍選手単独でのイベントとなってしまったのは残念でしたが、それでも熱心なファンが160人も集まっていました。
前日同様ここにもドリーに来て欲しいところでしたが、この後試合もあるしご高齢なのであまり無理も言えないか…。
尚、私はこの日もしつこくUNベルトを持参、天龍選手は前日同様黙ってニヤリと笑っていましたが内心は呆れていたかも(笑)?
でもベルトも凄いですが、天龍選手の相撲時代の番付が載った木の看板(←これ何て言うのですか?相撲全く知らないので)を持参した人がいて驚きましたよ、マニアって凄いですね!
天龍選手の娘さんで天龍プロジェクトの代表を務める紋奈(あやな)さんとも記念写真を撮らせて頂きましたが、二日続けてのイベントで天龍親子に「必ずベルトを持って来る男」として完全に認知された事は間違いありません(笑)。
(サイン&撮影会はこちらをクリック)
イベント終了後、一旦家に帰ってから改めて夕べと同じく大阪府立体育会館に向かい、全日本プロレスを観戦しました。
勿論お目当てはドリー・ファンク・ジュニア…私の最もプロレス熱狂時代である80年代、一番好きだった外国人レスラーはドリーとテリーのザ・ファンクスでした。
あれから三十年以上もの月日が流れましたが、まさか二晩続けて(それも大阪で)ドリーの試合が観られるとは夢にも思いませんでした。
早くテリーに回復してもらって、今度はファンクスとしての来日を切望しています。
(全日本大阪大会はこちらをクリック)
現時点でまだ発表はないものの、11月には遂に天龍選手の引退試合が行われます。
前々回(FILE No.426参照)登場の同業のHさんも是非行きたいと名乗りを上げていますし、私も最後のRevolution(天龍革命)を見届けたいとに思っています。
引退前にまたイベントがあっても、流石に東京までは重たいベルトは持って行けませんが…タイガー・ジェット・シンのサーベル持参で上京した前科?がある(FILE No.397 参照)私の事ですからわからないか(笑)。
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