7月3〜4日のWWEの両国二連戦(FILE No.432参照)を無事乗り切った私でしたが翌5日には新日本プロレスの大阪城ホール大会が待っていました。
正式名称 大阪城国際文化スポーツホール…日本全国のプロレス名会場を紹介して来たこのブログ、タイトルに登場するのは「後楽園ホール」(FILE No.273 参照)「大阪府立体育会館」(FILE No.312 参照)「東京ドーム」(FILE No.358 参照)に続いて史上4番目の快挙?となります。
あっ、「巌流島」(FILE No.274 参照)もあったな(笑)。
1983年に完成した同会場の記念すべきプロレスこけら落としは翌84年3月21日、新日本プロレスのビッグファイトシリーズの一戦でした。
シリーズ終盤に行われたこの大会は何故かノーテレビで(翌22日の最終戦・尼崎大会がオンエア)あまり事前に煽っていなかった事もあり、結構空席が目立ったと記憶しています。
それまで大阪のビッグマッチと言えば大阪府立体育館でしたが、初めて大阪城ホールの中に入る府立の1.5〜2倍ほどの大きさがあり(この会場はちょっとでかすぎるなあ)と思ったものでした。
戸島さんとのLINEでのクイズ合戦で出題した事があるのですが、初の大阪城大会のメインはアントニオ猪木、坂口征二vsディック・マードック、アドリアン・アドニスと言う普通の?カードでした。
因みにセミは藤波辰巳(当時)vs谷津嘉章、その前が長州力vs藤原喜明、当初長州の相手は前田日明の予定でしたがこのシリーズが始まる直前に前田がUWF(第1次)に走ったので藤原に交代したのです。
翌85年から87年までの間、大阪府立体育館が老朽化の為改装工事期間に入り、大阪でのビッグマッチの会場は自然と大阪城ホールに移行せざるを得なくなりましたが、85年7月28日の大会では4月に両国国技館で運命(FILE No.420,421参照)の初対決となったアントニオ猪木vsブルーザー・ブロディの再戦が実現し見事に超満員となりました。
以後も年に一回のペースでコンスタントに使用され、87年3月26日には海賊男乱入による悪夢の暴動事件(FILE No.401参照)と言う失敗もあったものの、ずっと動員自体は好調にも関わらず何故か94年9月27日を最後に使用されなくなりました。
やはり府立と比べるとキャパがあまりにも大きいので使いにくかったのかもしれませんが、今回昔の記録を調べていたらびっくり! この最後の大会の時は前日(9月26日)に神戸ワールド記念ホールでもやっていたのです!
さらに驚くなかれこの週は23日に横浜アリーナでもやっているのですよ!
この横アリは猪木さんが試合に出たので観に行きました(猪木さんと今年お亡くなりになった柔道王ウイリアム・ルスカの一戦でした)。
宿泊代を浮かす為に既に辞めた社員の分際でリスパックの寮の友人の部屋に泊めてもらい(笑)25日に神宮プールで行われたFMWの水上機雷マッチを観て帰って来ました。
21年前も今も私の行動パターンは変わってませんね〜(笑)。
で、26〜27日の関西連戦、神戸は流石にパスしたものの大阪城の方は足を運んでいるはずなのですが横アリや水上マッチの印象が強烈でどうも記憶にない…今では考えられない関西でのビッグマッチ連戦、こんな画期的な事が印象に残っていないのは当時は別段それが珍しい事でもなかったからでしょうね。90年代のプロレスバブル、恐るべし!
それから21年、遂に新日本プロレスが大阪城ホールに帰って来ました。
私はここ数年毎年9月(昨年は休止、今年は二年ぶりに開催)に太田裕美さんの出演するコンサート「君と歩いた青春」でこの会場を訪れており、その度にいつかまたここでプロレスをやって欲しいと願い続けていましたが、とうとうその日がやって来たのです(涙)。
因みに新日本ほどではないにせよ、他の団体も大阪城ホールの使用実績がありますので(これも戸島さんに出題済み)記憶をたどって紹介しておきましょう。
全日本プロレス、ジャパンプロレス、全日本女子プロレス、第2次UWF、UWFインターナショナル、FMW、INOKI FESTIVAL(猪木の自主興行)、UFO、 プロレスリングZERO-ONE、大阪プロレス、WWE
最後の使用が2004年のWWEですから今回、新日本は21年ぶりですがプロレスとしては11年ぶりとなるわけです。
しかしこうして列挙してみると実に半数の団体が現存しておらず、離合集散がプロレス界の宿命とは言え、時代の流れを感じますね〜。さあ、貴方はいくつ知っているでしょうか?
近年全国的に絶好調の新日本、その発火点は実は大阪でした。
長かった暗黒時代を乗り越えて2012年6月、大阪府立が初めて超満員になった時、メインを務めた棚橋弘至選手が「この光景が見たかった…。」と試合後控え室で号泣したシーンは感動的でした。
先月(6月)、大阪城のプロモーションで来阪したオカダ・カズチカ選手も「今の人気は大阪がスタートだった。」と言っていましたが、大阪府立が満員になるようになった頃からその熱が次第に全国に広まっていったのです。
昨年4回行われた府立は全て札止め、それも最近では前売り段階で全てのチケットが完売と言う異常人気が続き、攻めの姿勢を崩さない新日本は遂に大阪城ホールへ再進出する事となりました。
ただ、昨年5月に勝負を賭けた11年ぶりの横浜アリーナ、8月に「G1CLIMAX」優勝戦を行った初使用の西武ドームは、正直集客にかなり苦戦しました。
横アリの直後、新日本の木谷オーナー(ブシロード社長)が「今のファンは案外保守的ですね。慣れない会場と言う事で敬遠されたのかもしれない。新しい会場を使う時はアクセスから徹底的に告知しなければ。」と発言していたのが印象的でしたが、折角の21年ぶりの大阪城ホール、もしこけたら今後の定期開催の望みは絶望的となってしまいます。
前述のように府立と比べて倍以上のキャパ、おまけにこの一ヶ月後(8月1日)には「「G1CLIMAX」が府立である為、食い合いになる恐れもあり非常に不安でした。
今回は佐野先生と高知から来阪の有光支店長との観戦で、チケットはいつもの如く佐野先生を通じて神戸のプロモーターの星野さん(故・星野勘太郎選手の甥っ子さん)に手配をお願いしていたのですが、ファンクラブ先行販売初日に一階の全席種が売り切れ、ファンクラブ会員ですら希望者の半分がチケットを入手できず、その人たちが二階席を購入したので星野さんのところですら二階特別席がほんの数枚程度しか入荷がなかったと言うのです。
個人的にはどでかい会場の場合二階の方が観やすくて好きなのですが、この話を聞いて(こりゃいけるかも!?)と手応えを感じました。
その後もチケットの売れ行きは衰えを知らず完売の席種が続出し、試合の数日前には遂に指定席が全席売り切れ!猪木の時代から大阪に強いと言われた新日本、その伝説は生きていました!
決戦当日はどんよりとした曇り空だったものの雨は降らず、歩いて会場に行くと既に物凄い人が集まっていました。待ち合わせまでまだ時間があるので大阪城公園の中を散歩していると新日本系のTシャツを着た人がうようよしていました。
いつも通勤電車や車から見ている大阪城、城の中にこそ入りませんでしたが、家が近所だと逆に来る機会がないもので、こんなに間近に大阪城を見上げるのは子供の頃以来でしょうか。 大阪城と言うと私はどうしても古代怪獣ゴモラ(ウルトラマン第26、27話「怪獣殿下」)にぶっ壊されるシーンが思い浮かびますが、大阪出身の前田日明さんが子供の頃この回を観て、「大変な事になった!」と翌日チャリンコでわざわざ大阪城を確認に行ったと言うエピソードは有名ですね(笑)。
会場に戻り当日券売り場を覗いてみると、やはり指定席は一枚もなく急遽発売が決まったと言う立ち見席(二階の一番上)のみが発売されていました。
立ち見と言えば昔は無制限と思えるほど客を入れて、後楽園ホールや大阪府立の人気興行では階段の通路にまで人が座っていたものです。
私も階段に座って観た事がありますが、あれをやられると皆身動きがとれないからトイレにも行けないんですよね〜、今は消防法の規制が厳しくなったのでそんなに人を入れる事自体が不可能…これも昭和の懐かしい景色です。
それにしても立ち見で4,000円は高すぎるぞ新日本(笑)!
場内は人、人、人で息苦しいほどの凄い熱気、発表で11,400人の超満員札止め、いや〜本当に大阪城ホールにプロレスが帰って来たんだなあと実感、でもよく考えりゃこの会場に来ている人の9割以上は昔の大阪城ホールを知らないのでしょうね。
星野さんが取ってくれた二階の特別席はちょうど中央で観やすい位置でしたが、私たちの周りに若い女性ファンの何と多かった事…、最近は「プロレス女子」なんて言葉まで生まれて雑誌やテレビでよく特集されていますが、随分と時代は変わったものです。オープニングでビジョンに昔の大阪城ホールのダイジェスト映像が流れたのですが、海賊男乱入シーンに「キャッキャ」言って反応しているのは私たち昭和の少数民族?ぐらいでした(笑)。
折角なので海賊男コスプレで来ても良かったのですがあまりにも暑いので取り止めました。第一今の会場でそんな事やっても誰もわかってくれません(笑)。
夕方4時から始まった大会は休憩なしのぶっ続けで、メインのIWGPヘビー級選手権でオカダ・カズチカがAJスタイルズを破って新王者となるハッピーエンドでちょうど8時に幕となりました。
私は三連戦の疲れがどっと出て、前半は睡魔に襲われかなりやばかったです(苦笑)。
試合終了後は戸島さんとカードゲーム仲間の面々も加わり、近くのツイン21で恒例の飲み会、コアな話に花が咲きました。
酔い醒ましに家まで歩いて帰りましたが、暑さと疲れで流石にヘロヘロでした。
大阪城ホールは人気会場につき土日や祝日はかなり先までコンサートの予定が入っているそうです。
今回はタイミング良くキャンセルが出たから実現できたそうですが、折角こんなにも大成功を収め新日本の底力を見せつけたのですからこれを機会に定期開催して欲しいものです。
90年代と違ってこの会場を使う体力があるのは現状では新日本のみ、プロレス界の盟主として来年も期待しています。
会場を後にする時、アリーナを振り返って(今度ここに来るのはいつになるかな)とちょっとセンチメンタルな気分になりましたがよく考えれば私、早くも二ヶ月後にコンサートでここを再訪します(笑)。
台風シーズンなのが気がかりですが(裕美さんは雨女!)奇しくもタイトルの「君と歩いた青春」の通り我が青春の思い出の会場を再び訪れる事が出来るのでとても楽しみです。
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